横綱玉の海
この写真は昭和46年4月11日の浜松巡業の時のものである。玉の海はこの年の10月11日に急逝した。この時の秘密の場所の模様は『大相撲』5月号79ページに出ている。丁度この時に浜松市議選があり、玉の海も何人かに応援を頼まれ、名前がこんがらがってしまったと冗談を言っていた。この巡業でも玉の海が最も稽古をしていたと記事に出ている。浜松巡業の際には豊橋の森國弘氏と、よく玉の海を訪ねた。玉の海の死後に、彼の兄から依頼があり、横綱・トロフィー・賞状など全資料を入手したのも奇縁である。彼の人柄をよく物語るものにファンレターが取ってあったことである。横綱で他にいるのであろうか。昨年、蒲郡巡業の折りに実行委員会から、玉の海展の依頼があったが、コロナ禍で来年に延期となった。素直な性格で入院を伸ばして、あのような結果になってしまったのは、かえすがえすにも残念である。