絵画テロ、反逆の神話、加速主義

2024-06-19 11:45:29 | AI
 
 
 
 
「名画に対してスープを投げる目的は一体何なのか?」という背景を予測した動画で、まあ専門的な言説分析というわけではないが、ここで語られることはまさしく「反逆の神話」であり、要するにそれは抵抗運動のようでありながら、その実ファッション・ビジネス化していることを示している。
 
 
もちろん、「権力は腐敗する」ではないが、体制側が間違うこともしばしばある以上それへの異議申し立て・デモが必要となる場合はあるのだが、しかしそれは「反体制=正義」ということを全く意味しない、という点に留意すべきだろう。
 
 
ただ、こういった運動を見ていると、多様性・複雑性が支配する成熟社会においてなお、「道徳的な言辞」でもって人の欲望を制御可能であると、よくもまあ世間知らずに思い込めるものだと感心する(リベラルアイロニズムとかリバタリアンパターナリズムとか勉強した方がいいんじゃないかしらん)。また同時に、それがダメならテロールに訴えるという短絡性も、愚昧の極みと感じる次第である(あえて極端に言えば、「クロムウェルの共和政時代みたいなのが現代社会で可能な訳ねーだろ」と。それとも全体主義とか言った方がよいかな?)。
 
 
もし本気で環境の悪化を懸念しているのならば、「自然をいかに守るか」よりもむしろ、「いかに人間を減らすか」を考えた方がよい・・・と言っても、戦争や虐殺という手段、あるいは疫病や飢餓を人工的に生じさせるといったは全く現実的ではない(「12モンキーズ」の世界かな?)。ではその手法はと言えば、「サピエンスの欲望を徹底的にドライブする加速主義によってこそ、むしろ最も効率的に環境危機は回避できる」という話だが、あくまで自由意思に基づいた合法的なやり方で人間の数を減らす策を採るべきで、ごくごく乱暴な言い方で表現すれば、「Vtuberやメタバースに石油王スパチャしとけ!」ってことである(・∀・)
 
 
成熟社会において基本的に出生率が下がるのは、欧米や日本のみならず、韓国や台湾、中国などにも幅広く見られる現象だ(そう言えば、インドの人口が中国を抜いたようですな)。で、人口を減らすにはその要因をブーストすればよいわけで、例えば人間の興味関心をChat-GPTなど急速に発展するAI(AGI)やメタバース、つまり生身以外の世界へと強烈にドライブすることで、人間関係や繁殖といった行為の優先順位を大いに下降させ、その資本投下先を現実世界以外に向けさせていくことが考えられる。
 
 
そうすれば、家族を形成する人間はどんどん減っていくので(もちろんゼロにはならない)、自然な人口抑制・人口減少を大いに促進するし、かつ現実世界での物欲が目減りするため、地球環境にも優しいというわけだ(この時、特にエネルギー消費量の多い先進国=成熟社会においてこの方策が覿面に効果が表れやすい、という点にも注意を喚起したい)。
 
 
まあこれだけ言うと悪い冗談にしか聞こえないかもしれないが、この後の世界はグローバル化の進展と格差拡大により中間層がさらに崩壊へと向かっていく可能性が高く、国により程度の差こそあれど、「結婚や出産は贅沢品」になる人の数はどんどん増えていく。
 
 
すると、「生身の人間と家族を形成することが理想である」という旧来の価値観の中では、その枠から弾かれてルサンチマンを溜め込む「インセル」のような連中の数が膨れ上がることになり、それらが社会を攻撃・破壊するリスクを増していくだろう。
 
 
かかる状況において、そういった怨念を帯びた集団に生身以外の世界による承認のオルタナティブを提供することは、当該集団についても、またそれを抱え込む社会双方にメリットがあり、つまり「社会的公益性」を持つと言えるのである(「生身のネコを飼いたいのなら、金持ちになりたまえ」と。あるいはVtuberを「弱者男性へのベーシックインカム」と喝破した動画を想起してみよい)。まあ現実社会で暴走されるよりも、「二次漬け」になっておいてもらった方がありがたい、というわけだw
 
 
以前ここで自由恋愛が惹起する問題点に関する動画を取り上げた時に、「自由選択の社会において無理やり生身の人間をあてがう仕組みを構築するなど、あまりに非現実的な政策すぎて、むしろその不可能性をかえって証明しているようなものだ」という趣旨のことを述べたことがある。それに比べれば、今まで書いてきたことの方がよほど現実的ではないかね?なぜなら、こちらは「抑圧」・「強制」ではなく、「解放」・「自由意思」に基づくだからだ(この時に重要なのは、あくまで国民国家や近代市民社会という枠組みを維持する観点では、少子高齢化に歯止めをかけることは必要な措置なのだが、それを各国が行った結果は、地球規模の維持可能性を考えた場合にはむしろ極めて有害かもしれない、ということだ→合成の誤謬)。
 
 
というわけで、最後に「サピエンスの欲望を徹底的にドライブする加速主義によってこそ、むしろ最も効率的に環境危機は回避できるのではないだろうか?」と繰り返しつつ、この稿を終えたい。
 
 
え、人間社会の変質はどう手当てするのかって?
 
 
知らんがな。
 
 
「沙耶の唄」に関連して書いたけど、別に人類の存続に論理的な必然性はないしねえ。
 
 
「自由意思」の赴くままにアヘりながら死ねるんなら本望ってもんでしょw
 
 
・・・「強く過ぎる欲望は必ずやその身を亡ぼす」
 
「あなたがた人間はそうですがね。しかしもうすぐ、その愚かな歴史も終わるでしょう・・・こういう言葉を知っていますか?『世界は人類なしで始まった、そして人類無しで終わるであろう』と」
 
 
なーんつってな(・∀・)

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