キリスト教伝来と排除の風景:弾圧の実態を見ずして何を語れるというのか

2017-10-22 17:46:59 | 宗教分析

 

 昨日の記事では、キリスト教が広まらなかった理由について、「多神教の風土に一神教が馴染まなかった」などという粗雑な理解ではなく、時代ごとの状況を見るべきであること、すなわち政策の変化、布教方法の変化、イメージの変化に注目すべきこと、そして階層ごとの反応の違いにも留意すべきことを書いた。

 

比較対象という意味では、ヒンドゥーナショナリズムの実態であったり、戦後日本におけるキリスト教の状況を述べる方が議論が深まりそうな気はするが、まだ私にそれを書くだけの準備が今はないので、ここでは近世におけるキリスト教の伝来・普及・弾圧についての小原克博の説明を転載することにしたい。

 

ちなみに重要だと思われるのでもう一度繰り返しておくが、ある思想や集団が普及しなかった時に、それに対する大々的な弾圧や排除に言及されることなく(あるいは言及される前に)、ただその思想・集団が環境に合わなかったのだという所で話が終わる(あるいはそれを前提に話が始まる)のは極めて異常なことであるように思われる。たとえばローマ帝国におけるキリスト教弾圧やメッカにおけるイスラーム弾圧を取り上げ、その苛烈さや継続性に関する差異、地理的状況を比較するだけでも、日本のキリスト教弾圧と殲滅への評価は立体的になるはずだ(というより、それをせずして「日本人は信仰心が弱い」とでもいうような評価をすることに一体どういう意味があるのか私には全く理解できない)。 

 

そのような思考実験をすることなく、メンタリティのみに着目したレッテル張り(妄想)が平然と行われ、またその奇妙さを指摘する人もいないのは、そもそも熟考の機会が皆無というのが現象の説明になろうが、さらにその要因としては、丸山真男言うところの「作為の契機の不在」=今日的状況の歴史性に対する無頓着と(だから政府の政策よりも日本人の精神論に帰着する)、「西洋を理解できない東洋(なのが当たり前)」とでも言うべきオリエンタリズムが強く内面化されていることが指摘できるように思われる。

 

ちなみにコメント欄でも触れられているが、キリスト教排除をただ野蛮・残虐と評価して終わるのは片手落ちであろう。「明治期排耶論の背景」でも書いたが、同時代の様々な事象を見れば、そこには確かに(その脅威認識が完全に適切なものであったかはさておき)外国勢力の防衛という側面があったからである。

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