この画像は、1776年=江戸中期に書かれた『伊勢参宮細見大全』、すなわちお伊勢参りのガイドブックの一部(P114-115)である(なお、画像は三重県立図書館のデジタルライブラリーで無料公開されている)。
名前の通り伊勢詣での様子を描いたものだが、注目してほしいのは左端の参拝客で、内宮に向かって跪いた状態で手を合わせ拝んでいるのがわかる(右手の内宮内側にも、同じく跪拝している人物が描かれている)。なお、P130-131にも(内宮ではないが)やはり同様の姿勢で参拝している2名の姿が描かれており、偶然この箇所だけそのような描写にっているわけではない。つまり、「神社に対して跪拝している様子が、当然のこととして江戸時代のガイドブックには記されている」のである。
さて、なぜこのような資料を持ち出したのかと言うと、先日紹介した「九段の母」の件と関連する。それは亡くなった息子の御霊が眠る靖国に参拝した母親の様子を歌ったものだが、昭和14年に発表され大ヒットした。その3番の歌詞は、「両手あわせて ひざまづき 拝むはずみの お念仏」という行動を取り、そこで「はっと気づいて うろたえました せがれ許せよ 田舎者」となっている。
前回の記事では、それをもって「神仏分離や廃仏毀釈というのは大抵の人間にとってお題目であり、実態としては神仏習合的意識・儀礼が息づいていた」と述べたわけだが、1776年という150年以上前の本において、この「母」とほとんど同じ行動が、半ばモデルケースとして描かれていることに注意を喚起したい(でなければ、ガイドブックにおいて複数回描写されるのは奇妙であろう)。
もちろん、『伊勢参宮細見大全』のそれは「九段の母」と違って慰霊の場面ではないが、むしろそれだからこそ、両者に「有り難いもの」・「人ならぬもの」に対峙した時の習慣化した動作が共通して表出していることが重要なのである。
このように見てくると、靖国神社で跪拝した母親の姿は日本の宗教的伝統をむしろ正しく引き継いだものであって、それを「田舎者」すなわち常識を知らない人間の行為として恥ずかしく思わせたのは、そのように宗教的伝統を歪めたのは一体何だったのか?とむしろ逆に問題提起したくなるところである(このような観点においてであれば、阿満利麿が『日本人はなぜ無宗教なのか』で行ったような諸々の政治的介入・改変への批判は頷けるものである)。
俗説において、日本の宗教と言えばふたこと目には宗教的混交の話が出てくるのに、いざ今の神社の礼拝形態については疑問なく受け入れるのは不思議なことだと思わずにはいられない(まあそこでは、神仏分離・廃仏毀釈も、日本人の宗教意識を定量的に示したデータも参照はされないのだが)。
その意味においても、日本の宗教や宗教的帰属意識を分析する際、「べき」(お題目)に注目するのではなく「である」(実態)に目を向けることが重要であると改めて強調しつつ、この稿を終えたい。
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