キリスト教が明治時代に広がらなかった要因:戦国時代との比較より

2017-10-21 12:22:20 | 宗教分析

 

ここ数回、明治期にキリスト教が解禁された頃の状況について言及してきた。ここからはもう少し突っ込んだ話ができればと思うが、その時のアウトラインとして小原克博の説明は大変参考になるのでぜひそちらをご覧いただきたい(この手の大きなテーマはどこまで詳細を説明するのかのバランスが大変難しいものだが、ヒンドゥーナショナリズムとの比較など様々なヒントを提示しながらここまで簡潔明瞭にまとめ上げる手腕は並大抵のものではない)。 

 

なお、私の記事内容としては、そこで述べられていることを踏まえて戦国時代と明治時代の大雑把な比較を行いつつ、今後につなげていきたいと思う。なお、あくまで概観なので詳細は控えるが、参考となる著作として(古いものばかりだが)安丸良夫「神々の明治維新」、五野井隆史「日本キリスト教史」、工藤英一「日本キリスト教社会経済史研究」、隅谷三喜男「日本プロテスタント史論」、圭室文雄「葬式と檀家」などを挙げておきたい。

 

 

<戦国時代> キリスト教の教勢は100万近くに達したとも言われるが、その要因は?

・イエズス会のキリスト教布教独占とそれがゆえのベクトルの一致
(オランダやイギリスといった国が、プロテスタントの布教にそこまでこだわらなかったがゆえに、[特にオランダはそうだが]貿易国であり続けたことを想起したい)

・イエズス会の現地の実情に合わせた布教方法という特徴

・キリスト教に特別なマイナス/プラスイメージがない≒タプラ・ラーサ状態
(強いて言えば、新しもの好きの信長は興味を示した)

・貿易上のメリット
(東南アジアのイスラーム化を想起)

・下克上という価値変動のアノミー期
(一向宗もそうだが、強い求心力・統一的な価値体系/世界観を求めた?喩えが悪いのを承知で言えば、ヴァイマル共和国期のナチスドイツの広がりと類似?)

・前項に関連して、一揆で農民が国を支配し、また武士も群雄割拠の状態であり、統一的な政策が困難だった
(江戸時代や明治時代とは大きく異なるということ。また仮に禁令を実施したとしても、地域限定的なものにしかならない。また貿易の利もあるため戦国大名としてはなかなか全面的禁止は難しかったのではないか?)

・信長という有力者の許可
(前項のような状態の中で、信長という天下人に肯定的に受け入れられたのが大きかった)

 

 

<江戸時代> キリスト教の大々的かつ徹底的な弾圧

・1613年の伴天連追放令以降、キリシタンが改宗した証として「転び証文」なるものが作成されたが、そこには村民や村役人の連署が必要であり、端的に言えば連帯責任を伴うものであった(五人組を想起されたい)。要するに、キリスト教を信仰する、あるいは信仰を守り通す云々というのは、個人の意思の硬軟を超えた、共同体レベルに関わるものであった(このようなシステム的側面を見落とすと、「日本人にはキリスト教が実質受け入れられていなかった」だとか、「底なし沼」だとか言った、実に精神主義的な理解に終始することになる)。その中で相互監視的にキリシタンは排除されていったわけである。

・弾圧の性質に関する比較を通じた理解
(たとえばローマ帝国の弾圧にもかかわらずキリスト教は教勢を拡大していったし、イスラームもメッカでの弾圧にもかかわらず拡大していったことはよく知られている。では、日本にも本当にキリスト教が根付いていたのであれば、弾圧は二次的な理由にしかならないのではないか?試しに三者を比較してみると、ローマ帝国は弾圧が最も大々的に行われたディオクレティアヌスの時代にはすでに信徒が相当数になっていたし[だから次代のコンスタンティヌスはむしろ公認してそれを帝国の紐帯を強化するのに利用]、イスラームもメディナへヒジュラしてある程度ウンマが拡大してからメッカとの戦争に勝利・拡大したのであり、家康による天下統一の元で統一的かつ徹底的な弾圧が行われた江戸期日本よりずっと拡大は容易であったように思われる。これについては、当時の日本が鎖国しており、色々な意味で「逃げ場」がなかったことにも注意を喚起しておきたい)

 

 

<明治時代> なぜ、戦国時代のように広がらなかったのか?

・カトリック/プロテスタント/正教会/メソジスト/無教会主義といった様々な宗派・派閥の活動
(ベクトルを揃えようという動きもないではなかったが、結局は自治主義のためにバラバラに活動した)

・禁欲主義的要求/倫理性の高さを求める動き→禁酒禁煙の奨励など
(農民階層から忌避された理由の一つ?禅が主に武士階級に広まっていったのに近い?)

・始めからマイナスイメージ強い
(江戸時代の「邪宗」観はもちろんのこと、欧米列強との戦争期には敵性宗教とみなされる)

・特に農村における強固な反「耶蘇教」姿勢の存在
(農村における反「耶蘇教」の頑迷さとでも言うべき性質は、明治政府の意を受けた石丸八郎が越前で行った神道中心主義的な寺院改革が、耶蘇教とみなされ一揆の原因となったことに象徴的である。というのも、石丸は幕末からキリスト教徒探索・排撃を行っていたほどの人物であるにもかかわらず、それが「これまでとは違う外来の何か」ということで耶蘇教呼ばわりされたのであった。しかもそこで批判されたのは、宗教[まあこれも勘違いなのだが]のみならず、断髪や洋服、洋文も含めてのことであったから、これは反西欧化運動という側面も持っていた。ことほどさように、江戸時代の250年以上にわたる統一的・徹底的なキリスト教弾圧は、極端なまで民衆の心深くに浸透していたのである)

・農村への布教の失敗、あるいは困難さ
(前項と連動するが、1873年時点で農業従事者はおよそ8割に達しており、彼・彼女らの支持を得られなければ教勢を拡大するのが困難なのは自明の理であった。なお、この事実に関連すると思われるが、プロテスタントは主に士族層や商人層、カトリックは福祉事業を通じて貧困層への布教・改宗が目立っていた。プロテスタントの改宗者に商人層が多いのは、ヨーロッパと同じで、それが商工業も「天職」とし、蓄財を認めたことにも関連か[ナントの王令廃止がオランダやプロイセンなどへの商工業者流出を招き、フランスの停滞とプロイセンの興隆を招来したことを想起]。ちなみに福祉授業に関しては、マイノリティへの戦略的な教勢拡大として見ることができるが、このような動きは大逆事件の後には社会主義者と結びつけられることを恐れ停滞してしまうこともあったらしい)

・明治政府のホンネとタテマエ
(最初にあったキリスト教禁教の高札は廃止され、「信教の自由」も認められた。しかしそれらは、欧米列強に近代国家として認めてもらうための外交的戦略ないしはポーズであり、明治政府や社会の内実がそうであったと考えると完全に見誤る。その端的な例が本願寺派を中心とする仏教勢力の排耶論や反キリスト教運動であるが、これは表立ってキリスト教を禁止できないという政府の事情と、廃仏毀釈で衰えた教勢を盛り返したいという仏教側の狙いがマッチングしたもので、なかば鞘当てのような形で仏教側がキリスト教を攻撃するよう有形無形に促していたのであった)

・文明化のお株を奪われる。少なくとも唯一無二のものではない。
(私たちがキリスト教をイメージする時、先進国との重なりもあって文明とニアリーイコールで考える人も少なくないだろう[まあさすがに今ではその数は減ったと思うが]。これは明治期の人々も同じであったから、それではキリスト教はやはりプラスで受け取られるようになったのかと言うとそうではない。先にも述べたように、そもそも農村では西欧化や近代化は負のイメージさえ持たされることも多くスムーズに受け入れられたわけではなかったし、また神道や仏教の側も文明化の件を意識して、「キリスト教でなくても文明化できる」という趣旨の発言を島地黙雷はじめとする様々な宗教界の人間や知識人が行っていたのであった。明治1873年に明治政府によって出された三条の教則十七兼題の中に「文明開化」が組み込まれていたのは、その典型であったと言えよう) 

・日本は植民地化されなかった
(植民地化された地域はある程度フリーハンドで布教が行えるが、日本は主権国家であるためそうもいかず、むしろ独特な国家神道の中で様々な制約の元布教を行わざるを得なかった)

 

 

<おわりに>

以上が大まかな特徴の列挙と比較の見取り図である。もちろん現状はまだまだ粗雑なものでしかないが、これらの要素から少しでも立体的な日本とキリスト教の関係史を構築し、もって日本人の無宗教についても理解する一助となればと考えている。なお、比較宗教学の観点で小原はヒンドゥーナショナリズムとの比較の重要性を提唱しているが、全く同感である。というのも、類似した多神教国でありながら、インド人は自らのことを無宗教と多数が認識しているという話を少なくとも私は聞いたことがなく、日本の現状を(妄想ではなく)分析する上で大変参考になると思うからだ。インドは日本と違って植民地化されているが、フィリピンやアメリカ大陸のようにキリスト教化されたわけでもない。ただ思いつきで言ってしまえば、キリスト教という他者との相剋がかえってその帰属意識を強めた可能性があること(この見方が正しければ、神道は政府主導の下その優位が揺るがなかったからこそ徹底的な形骸化を被り、かつ敗戦による国家神道のパージもあって、日本人の宗教的帰属意識という名の辞書から消えることになったのだろう)、イスラーム(パキスタン)との関係についても同じことが言える可能性があること、そしてその上でローイラーマクリシュナの運動を分析していく必要があることを指摘しつつ、この稿を終えたい。

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