イギリス王室は荒海の澪標となれるや

2019-06-10 11:31:25 | 感想など

 

ほうほうなるほど、日本の皇室とイギリス王室の比較っすか。俺は天皇にも皇室にも特別なロイヤリティーはなく、有能な者には敬意を払い、無能であれば軽蔑する(たとえばダウ―マンシュタインと同じスタンス)。ただ、今回のようなシステム的有用性の有無だとか、あるいは性質の変化には興味のあるところだ。

 

動画全体を通して言うと、ブレグジットを巡って混迷する今のイギリス政治の中でこそ、王室が果たせる大役がある、というお話。これは宮台真司風に言うと、今のイギリス議会は「田吾作のつばぜり合い」ってやつで、要はどいつもこいつも近視眼的でせせこましいポジショントークと保身に汲々としている(がゆえに膠着状態に陥っている)時、それを超越する存在として王室が立ち現れる、っちゅーわけやな(日本で言えば、ポツダム宣言受託の「聖断」とかがそれに当たる。まあもっとも、わが国ではそれが「統帥権の侵犯」などの形で君側の奸として利用された苦い経験があることを忘れてはならないと思うが)。

 

私が今興味を持っているのが戦後恐慌~憲政の常道~軍部の台頭~太平洋戦争突入~敗戦の過程(議会政治とその機能不全)だったりもするので、なかなかおもしろい話である。ただ、「昔のイギリス政治家は国益を軸にした決断力や大同団結的な視点があって云々」というのは、ちょっと「懐古という名の誤謬」が入り過ぎてるかな、とも思ったりする(まあコービンやジョンソンなど、今の政治家への批判という文脈なんでしょうがないが)。

 

なるほど保守党ピール内閣がアイルランドのじゃがいも飢饉もあって、自らの支持基盤である地主のための穀物法を廃止したというエピソードはわかるし、インドを巡る100年の計があった時代の外交を主導したパーマストン、WWⅡを戦い抜いたチャーチルの言を紹介するのは理解できる。しかし、たとえばイギリスの選挙法改正は市民の権利を拡大することを主目的でやったわけでは必ずしもなく、第一次改正で自由党は己の支持基盤となるブルジョワジー・産業資本家に選挙権を拡大したし、保守党の元で行われた第二次改正では熟練都市労働者≒産業資本家に敵対する勢力≒自由党ではなく保守党に投票する人が増えるといった党利党略の中で参政権が拡大していき、結果として普通選挙法が達成されていったという経緯がある。また、南北戦争時の奴隷解放宣言についても、リンカン自身に人道的目的があったとしても、そこには奴隷制廃止の方針であったイギリスが奴隷制維持を掲げる南部に協力するのを防ぐという実利的狙いがった(だから、宣言の後も黒人はシェアクロッパーなどとして依然苦しい生活を強いられ、その権利獲得は100年後の公民権運動を待たねばならないのだが)。

 

ことほどさように、社会の利益になるようなことが、党利党略の(=自グループの実利を求めた)結果として達成されるというある種の「ダイナミズム」はしばしば見られることであり、ある意味で民主主義ってのは所詮そんなもんである、と思う(ここはまさに“It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.”というチャーチルの言を思い出すのが適切だろう。ブレグジットの国民投票の結果から言ってもね)。ただの嫌味に聞こえるかもしれないが、最近しばしば書いている「加害者や被害者に同情するか否かはさておき、社会問題を放置すると結局自分自身の利益にならないんじゃね?だったら考えた方がいいでしょ」ていう話はこれと全く同じ性質のテーマである。

 

まあこれをそのまま突き詰めるとエリート主義になるので一旦置くとしても、個人的にはイギリスが墜落へ向かうことによって、他国の運営に資するのであればまあ結果オーライかもね、ぐらいには冷めた目で見ている次第である。


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