責任逃れに終始する官僚主義化した組織の姿がこちらです:セクシー田中さん問題とミッドウェー海戦

2024-06-03 11:22:43 | 感想など

 

 

 

 

いや~日テレの「セクシー田中さん」ドラマ化に関する報告は、ものの見事に「お役所仕事」って感じの内容だわね。24時間テレビの継続含め、こうして自らその存在価値が無いことを積極的にアピールしていくスタイル、嫌いじゃないぜ(・∀・)

 

しかしこの姿を見てると思い浮べるのは

 

 

 

 

旧日本軍だよな!

 

目的達成のために厳しい目で議論や検証をしなきゃいけないのに、願望にすり合わせていくようどんどん不都合な可能性を排除していって、「ダメな場合を考えるのは敗北主義だ!」と勢いで押し通し、そしてダメだったら今度は責任のなすりつけ合いを始める、と(まあこういう事例って現代のブラック企業しくじり企業でもまま見られるので、組織が失敗する典型パターンとも言えそうだ)。

 

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」なんて言葉もあるが、そういう失敗学を欠いた組織が、そもそも厳しいとわかっていた戦いで「不思議のない負け」に突き進んでいったのは、実に必然的なことと言うべきだわな(ちなみに、最近何度か取り上げている古典教育とそれを必要とする立場についても、その人が様々な可能性を考慮した結果として主張しているのか、それとも現状維持のための精神的安寧を目的に思考停止のベクトルから壊れたテープのように言説を垂れ流しているだけなのか、よくよく吟味する必要がある)。

 

そして、これと相似形にある現在のオールドメディアの姿を見ていると、日本の報道の自由度の低さが自主規制(=保身のためのリスク回避と横並び)に要因するという話はジャニーズ問題とその隠蔽からしても実に頷けるところだし、こういった連中が戦前は「鬼畜米英」を絶叫し、戦後は「アメリカさんありがとう」と掌を返したことは、何ら不思議なことではない。

 

それはつまり、世情が変われば戦前に近いことをまた言い始めるという話であって、連中の背骨は何ら変わっておらず、そんな頽落した組織が他にいくらでも選択肢のある時代に人々から見捨てられていくのは、極めて必然的なことと言えよう。


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