「君が望む永遠~主人公とプレイヤーの共犯関係~」の内容に対する反論の形で論を展開していく。
(登場人物)
C=張紘 K=金環三結
C
ちょーこーちょーこーちょこちょこちょーこーバルログちょーこー♪
K
VXガスを使わざるをえない!?てゆうかそれキャラが違うくね?二日酔いでとうとう頭がイカれたか…
C
そりゃ昔からや。で、今日のお題は何ですかね?
K
この前の「主人公とプレイヤーの共犯関係」に関してだけどさ。あれ色々と問題があると思うんだよ。
C
ほいほい。まあそういう反応は予想してたよ。で、内容は?
K
二つあるんだけど、一つは「共犯関係」って言葉が主人公との同一化を連想させるってところかな。もう一つは、「選んだプレイヤーにも責任がある」って考え方は何とも堅苦しくないかってこと。じゃあまずは一つ目から。孝之は「感情理解型」というようなことを何度も言っているのに、これじゃあ同一化っていうか、まるで「感情移入」の対象であることを肯定してるみたいで矛盾してないか?
C
その指摘はもっともだね。そしてその部分こそが、サブキャラシナリオの演出的失敗の根幹と言っても過言ではない。「感情理解型」ってのは文脈に強く依存する(この文脈って言葉も誤解を招くからいずれ詳しく話したいけど)から、プレイヤーが望んだとしても告白は断れないし、遥と水月を選ぶに選べない状況になったりするわけだ。この間まで論じ続けていたYU-NOの有馬たくや、あるいは誤解を恐れずに言えば「さよならを教えて」の主人公もそうだね。
K
でもそれって小説とかじゃ普通じゃねーの?
C
そうだね。小説とかには受け手が介入する余地(選択肢)が皆無かそれに近い分、文脈とか必然性をきちっと書く必要が出てくる。でも、選択肢によってストーリーやエンディングがいくらでも変わりうるゲームにおいては、展開や攻略対象の拡充のためにプレイヤーの選択に強く依存する、つまりはそれによって主人公の性格などがある程度、もしくは大きく変わりうる「白紙」の主人公が採用されることも少なくない。そのような状況だから、鳴海孝之は「感情理解型」の主人公だ、と指摘するのは十分意味があると思うよ。“All you need is kill”が「ゲームのような小説」だとしたら、君が望む永遠は「小説のようなゲーム」ってことだな。
K
「小説のようなゲーム」?例えばひぐらしのみたいな?
C
そうそう。もちろん、選択肢はあるんで純粋に同じじゃないけど、そういう風にして見ていったほうが物語が理解しやすいってことさ。
K
じゃあそもそも選択肢がいらないってことはないの?
C
いやいや。選べない孝之の辛さを、「おまじない」を求める遥に応えるか否か、といったキッツイ選択肢を通して疑似体験させる、という具合に演出としても選択肢は十分に活用されているよ。もっとも、その選択肢が鳴海孝之の文脈に沿っていることを忘れると、一瞬にして「ヘタレ」になるわけだけど。
K
なぜそうなるのかな?…ってゆうか何だか違う話になってない?
C
いや、ちゃんと繋がってるよ。まあ「ヘタレ」って見解を俺はよく批判するわけだけど、そう評価する原因をちゃんと分析してみると、多分「選べないこと」なんじゃないかなって思うんだよ。
K
選択肢があるのに?
C
そう確かに選択肢はあるよ。でも、第一章を根本から規定する遥の告白についてプレイヤーには選択肢はないよね?第二章にしても、どっちかを選んだと思ったら、茜につつかれたり水月が精神崩壊しかけたり遥が泣いてるのを見て結局またどうすりゃいいんだと悩みだすという循環構造が軸になっているわけ。要するに、プレイヤーは肝心な選択に携われないか、そういう選択をしたつもりなのにまったく事態が進まないもどかしさに苛まれ続けるわけだよ。実はそのフラストレーションを言葉にしたものが、「鳴海孝之=ヘタレ」という評価なんじゃないかな?
K
どういうこと?
C
レビュワーたちが「鳴海孝之=ヘタレ」と言うとき、多分それは「孝之というキャラが受け入れられない」という意味合いだろう。でもその苛立ちって、ある意味では重要な選択に関われない、選んでいるのに選べないというシステム的なものへのもどかしさも含まれているんじゃないかな。鳴海孝之の文脈を読めるかどうかはともかくとしても、このシステム的な面でのフラストレーションをうまく汲み取れなかったのは製作者側の失敗だったと思うね。まあサブキャラシナリオの失敗がそれにあたるんだけど。
K
「逃げ道」として機能していないと?
C
まあありていに言えばそういうことだね。自分が選べないフラストレーションをメインシナリオで抱えたプレイヤーが、ようやく選べるようになった場面がサブキャラシナリオ。しかしそこでは…
K
めちゃくちゃな展開が待っていたと。
C
そういうこと。「ようやく選べるようになったと思ったらこれかよ!」と明確に意識した人は少ないだろうけど、そういう幻滅は結構大きかったと思うぜ。
K
ようやく自分が大きな影響を与えられる状況になった(=孝之が「感情移入型」の主人公になった)と思ったら、その先にあるのはペドファイル(まあ相手は20代だけど)に逆監禁……この地点において怒り爆発!!てわけかい。
C
そうそう。そしてその怒りが、「孝之=ヘタレ」という見解をさらに強固なものとするわけさね。「何で蛍や星乃の誘いに乗ったりするわけ?こいつ単に意志薄弱なだけちゃうんか?」てな感じで。そして選べる状況になった開放感とそれが裏切られた怒りの前には、突飛な選択肢でサブキャラシナリオの「ありえなさ」を強調していることなども吹き飛んでしまったようだ。
K
そして、それを自分自身が選んだことも忘れてしまう、と。
C
まあ正直、それを完全に忘却するのは無責任だと思うけど、プレイヤーがサブキャラシナリオに到る流れについて、もうちょい製作者は考えたほうがよかったんじゃないかな。
K
単に重い展開から逃避するための「逃げ道」だったらむしろ展開なんてでーでもいいかもしれんけど、そこには選べないフラストレーションが内包され、かつその解放が期待されていたと。
C
そしてその期待がありえない展開によって裏切られたことにより孝之への怒りがますます増幅され、物語の理解を邪魔する結果になってしまった。そういう意味において、サブキャラシナリオは演出的に失敗だった、というわけだ。
K
ふーん、まあまあわかったわ。じゃあ二つ目の方は?
C
その演出的失敗という事実を踏まえた上で話すと…いや、今回はもう無理やろ。俺も読者ももたない。「禁断の血族」のエンディングとかを例に出しながら次回話すことにしますわ。
K
じゃあ今回はこのへんで。再見~。
(登場人物)
C=張紘 K=金環三結
C
ちょーこーちょーこーちょこちょこちょーこーバルログちょーこー♪
K
VXガスを使わざるをえない!?てゆうかそれキャラが違うくね?二日酔いでとうとう頭がイカれたか…
C
そりゃ昔からや。で、今日のお題は何ですかね?
K
この前の「主人公とプレイヤーの共犯関係」に関してだけどさ。あれ色々と問題があると思うんだよ。
C
ほいほい。まあそういう反応は予想してたよ。で、内容は?
K
二つあるんだけど、一つは「共犯関係」って言葉が主人公との同一化を連想させるってところかな。もう一つは、「選んだプレイヤーにも責任がある」って考え方は何とも堅苦しくないかってこと。じゃあまずは一つ目から。孝之は「感情理解型」というようなことを何度も言っているのに、これじゃあ同一化っていうか、まるで「感情移入」の対象であることを肯定してるみたいで矛盾してないか?
C
その指摘はもっともだね。そしてその部分こそが、サブキャラシナリオの演出的失敗の根幹と言っても過言ではない。「感情理解型」ってのは文脈に強く依存する(この文脈って言葉も誤解を招くからいずれ詳しく話したいけど)から、プレイヤーが望んだとしても告白は断れないし、遥と水月を選ぶに選べない状況になったりするわけだ。この間まで論じ続けていたYU-NOの有馬たくや、あるいは誤解を恐れずに言えば「さよならを教えて」の主人公もそうだね。
K
でもそれって小説とかじゃ普通じゃねーの?
C
そうだね。小説とかには受け手が介入する余地(選択肢)が皆無かそれに近い分、文脈とか必然性をきちっと書く必要が出てくる。でも、選択肢によってストーリーやエンディングがいくらでも変わりうるゲームにおいては、展開や攻略対象の拡充のためにプレイヤーの選択に強く依存する、つまりはそれによって主人公の性格などがある程度、もしくは大きく変わりうる「白紙」の主人公が採用されることも少なくない。そのような状況だから、鳴海孝之は「感情理解型」の主人公だ、と指摘するのは十分意味があると思うよ。“All you need is kill”が「ゲームのような小説」だとしたら、君が望む永遠は「小説のようなゲーム」ってことだな。
K
「小説のようなゲーム」?例えばひぐらしのみたいな?
C
そうそう。もちろん、選択肢はあるんで純粋に同じじゃないけど、そういう風にして見ていったほうが物語が理解しやすいってことさ。
K
じゃあそもそも選択肢がいらないってことはないの?
C
いやいや。選べない孝之の辛さを、「おまじない」を求める遥に応えるか否か、といったキッツイ選択肢を通して疑似体験させる、という具合に演出としても選択肢は十分に活用されているよ。もっとも、その選択肢が鳴海孝之の文脈に沿っていることを忘れると、一瞬にして「ヘタレ」になるわけだけど。
K
なぜそうなるのかな?…ってゆうか何だか違う話になってない?
C
いや、ちゃんと繋がってるよ。まあ「ヘタレ」って見解を俺はよく批判するわけだけど、そう評価する原因をちゃんと分析してみると、多分「選べないこと」なんじゃないかなって思うんだよ。
K
選択肢があるのに?
C
そう確かに選択肢はあるよ。でも、第一章を根本から規定する遥の告白についてプレイヤーには選択肢はないよね?第二章にしても、どっちかを選んだと思ったら、茜につつかれたり水月が精神崩壊しかけたり遥が泣いてるのを見て結局またどうすりゃいいんだと悩みだすという循環構造が軸になっているわけ。要するに、プレイヤーは肝心な選択に携われないか、そういう選択をしたつもりなのにまったく事態が進まないもどかしさに苛まれ続けるわけだよ。実はそのフラストレーションを言葉にしたものが、「鳴海孝之=ヘタレ」という評価なんじゃないかな?
K
どういうこと?
C
レビュワーたちが「鳴海孝之=ヘタレ」と言うとき、多分それは「孝之というキャラが受け入れられない」という意味合いだろう。でもその苛立ちって、ある意味では重要な選択に関われない、選んでいるのに選べないというシステム的なものへのもどかしさも含まれているんじゃないかな。鳴海孝之の文脈を読めるかどうかはともかくとしても、このシステム的な面でのフラストレーションをうまく汲み取れなかったのは製作者側の失敗だったと思うね。まあサブキャラシナリオの失敗がそれにあたるんだけど。
K
「逃げ道」として機能していないと?
C
まあありていに言えばそういうことだね。自分が選べないフラストレーションをメインシナリオで抱えたプレイヤーが、ようやく選べるようになった場面がサブキャラシナリオ。しかしそこでは…
K
めちゃくちゃな展開が待っていたと。
C
そういうこと。「ようやく選べるようになったと思ったらこれかよ!」と明確に意識した人は少ないだろうけど、そういう幻滅は結構大きかったと思うぜ。
K
ようやく自分が大きな影響を与えられる状況になった(=孝之が「感情移入型」の主人公になった)と思ったら、その先にあるのはペドファイル(まあ相手は20代だけど)に逆監禁……この地点において怒り爆発!!てわけかい。
C
そうそう。そしてその怒りが、「孝之=ヘタレ」という見解をさらに強固なものとするわけさね。「何で蛍や星乃の誘いに乗ったりするわけ?こいつ単に意志薄弱なだけちゃうんか?」てな感じで。そして選べる状況になった開放感とそれが裏切られた怒りの前には、突飛な選択肢でサブキャラシナリオの「ありえなさ」を強調していることなども吹き飛んでしまったようだ。
K
そして、それを自分自身が選んだことも忘れてしまう、と。
C
まあ正直、それを完全に忘却するのは無責任だと思うけど、プレイヤーがサブキャラシナリオに到る流れについて、もうちょい製作者は考えたほうがよかったんじゃないかな。
K
単に重い展開から逃避するための「逃げ道」だったらむしろ展開なんてでーでもいいかもしれんけど、そこには選べないフラストレーションが内包され、かつその解放が期待されていたと。
C
そしてその期待がありえない展開によって裏切られたことにより孝之への怒りがますます増幅され、物語の理解を邪魔する結果になってしまった。そういう意味において、サブキャラシナリオは演出的に失敗だった、というわけだ。
K
ふーん、まあまあわかったわ。じゃあ二つ目の方は?
C
その演出的失敗という事実を踏まえた上で話すと…いや、今回はもう無理やろ。俺も読者ももたない。「禁断の血族」のエンディングとかを例に出しながら次回話すことにしますわ。
K
じゃあ今回はこのへんで。再見~。
というより、エロゲとしての存在価値を忘れてないなって感じで逆に感心しました
あと主人公はヘタレヘタレと言われまくっていますが
むしろ、あんなとんでもヒロインの間に挟まれたら誰でもああなる気がします
>エロゲとしての存在価値
とは何でしょうか?またそれが本編の展開の必然性をプレイヤーにわかりにくくしている点についてはどう評価しますか?
>とんでもヒロイン
それはキャラにもよるのではないでしょうか。メインの3人に関する限り、茜はともかく他の二人はある程度理解できる範囲の行動だと私には思われますが。ただ、幸せになりたいという思いや行動が、他者のそれを侵害する状況なのが悲劇的というだけのことではないでしょうか。