(はじめに)
君が望む永遠のレビューをいろいろ見ていると、「感情移入」「共感」という単語にしばしば出くわす。
私は以前、それが根本的な誤りであって、主人公鳴海孝之はどのような感情の動きをしているのか理解・推測していくべき「感情理解型」の人物であると述べたのであった(これについては君望関係の過去ログ、特にこれらの記事を参照)。その時は、簡単に言えば、君が望む永遠の主人公の描き方を通して、「感情移入」だとか「共感」という見方で君が望む永遠をプレイ・分析することの誤りを指摘したのであった。
今回は、そういった姿勢で書かれた(いわばゲームそのもののあり方とは正反対に位置する)レビューの内容を分析対象とし、いかに「感情移入」「共感」といった見方に問題があるかを提示しようと思う。なお、分析の焦点は「茜妊娠エンド」である。
ここで結論を先に言っておけば、この分析を通して、いかにレビューで言われている「感情移入」「共感」とやらが薄っぺらで独りよがりなものか証明されることであろう。またあらかじめ言っておくがかなり厳しい内容になっているので、その点を覚悟して読んでほしい。
(本文)
茜昏睡、穂村エンドを「精神的にきついエンディング」として挙げているレビューは多いが、遥の妊娠(と昏睡)について言及したものが皆無であることは非常に不思議だ。その理由は、私個人がこのイベントに衝撃を受けたからという狭い範囲にとどまらない。客観的に見て、これが茜昏睡・穂村エンドに勝るとも劣らないくらい重くて衝撃的なものなのだ。
そもそも妊娠ということ自体、男にとっても女にとっても(個人的・社会的に)重大な出来事であり、良きにつけ悪しきにつけ相当な衝撃を伴うものである。ここでよく考えてほしい。その衝撃的なイベントに、三年間の昏睡からやっと目覚めた恋人が再び昏睡するという「オマケ」がついているのだ。その衝撃がどれほどのものか、想像することすら難しい。それゆえ「感情移入」ないし「共感」していれば、いやそこまで言わなくとも、ほんのわずかでも孝之の衝撃に寄り添おうという姿勢を持ってゲームをプレイしていたのなら、このイベントに関する言及がなければおかしい。しかしそれに関して触れたレビューはないのであるから、「感情移入」「共感」していた人間など誰一人としていなかったと結論できる。
こう書くと、衝撃の大きさが理解できないために反感を持つ人間がいるかもしれない。そこで、より詳しく妊娠と昏睡の意味を提示しておこう。言うまでもないことだが、一回的な人生を生きている孝之(=作中人物)は、他のルートにおいて同じように遥が昏睡することを知らない。これは、遥が昏睡した理由を、遥が妊娠したこと、即ち自分の行いのせいだと認識することに繋がる(もちろん他のルートと展開が違うことを知っているプレイヤーにはそれが事実であることがわかっているが)。つまり、またしても自分のせいで遥が昏睡してしまったという巨大な罪悪感を抱え、さらに遥のお腹の中には自分の赤ん坊という状態なわけである。この状態のヘビーさに「感情移入」「共感」などできるのだろうか?はっきり言って絶対に不可能である。いやそれどころか、衝撃の大きさを想像することすら困難であると言える。
これほど重いイベントの最中、「感情移入」「共感」などとのたまうレビュワーたちは、一体何を思っていたのだろうか?もし「感情移入」「共感」というものを多少なりともしていたのなら、(孝之と同じく)3日間を茫然自失で過ごすほどではないにしても、数時間は何もできないほどの衝撃を受けたはずだ。しかし繰り返すが、遥妊娠イベントには全く言及が無いのであり、彼らが(孝之に比べれば)大した衝撃も感慨も受けずに流したことが推測されるのである。
さて、まとめに入ろう。遥の妊娠イベントとは、
①妊娠という事実
②遥が再び昏睡したこと
③自分のせいでまたしても昏睡させてしまったという罪悪感
という、一つでも十分にヘビーな出来事が三つまとめて降りかかるという恐ろしいものであり、(「感情移入」もしくは「共感」しているなら)茜昏睡・穂村エンドに勝るとも劣らないほどの衝撃を受けるはずのイベントであった。しかしながら、「感情移入」「共感」を旗印にするレビュワーたちは、全く不思議なことにこのイベントについて一言も言及していないのであった。このことから、彼らの唱える「感情移入」や「共感」がいかに薄っぺらで独りよがりなものかは明白である。いやそれどころか、このイベントの衝撃を慮るような想像力さえ欠如していると言えるだろう。そんな人間が、君が望む永遠の重み・深みをどれほど理解できているのか私は非常に疑問である。
以上が、(特に君が望む永遠において)私が「感情移入」「共感」という見方を排撃し、理解しようとする姿勢こそが重要なのだと強調する所以である。
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