戦争についての多様な語り

2017-03-03 12:22:54 | 歴史系

前回の記事で、私は戦争の多面性について描かなければ、結局戦争を止めることすらできないと書いた。

 

この記事を書く際に私の頭をよぎったのは、もちろんフランクフルターたちや心理学・認知科学の研究であるが、もっと個人的・根源的なところとして、自分の祖父二人の語りがある。この二人のことは「喪失、絆、偶然性」で既述のため詳細は繰り返さない(ちなみに「この世界の片隅に」を語る上で二番目にこの記事を書いたのは、コミュニケーション喚起というこの作品の力と、そして描かれた時代の多層性を私がどのように、そしてなぜそう受け取ったのかを語っておくことが極めて重要だと思ったからだ)。

 

さて、ラバウルにて負傷し将来を棒に振り、戦争を語りたがらなかった父方の祖父。そして内地にて長崎・大湊で偶然により死を免れ、戦中の思い出をよく語ってくれる母方の祖父。この二人を思う時、次のように彼らの立ち位置を想定することは容易である。すなわち、父方の祖父は戦争を憎み、当然戦争を引き起こした戦前の体制や天皇などを憎み、戦後民主主義を肯定する。そして母方の祖父は、そこまで戦争への忌避感がなく、ゆえに戦後民主主義にもそこまでコミットしない、といった具合に。

 

しかし実際は全く異なる。わかりやすく戦中的なるものの代表格(皇国史観)として平泉澄、戦後的なるものの代表格(戦後民主主義)として丸山真男で考えた場合、父方の祖父は明らかに平泉澄の側に連なる人間であった。その例が渡辺崋山の話だが、他にも1990年頃のことだが在日米軍のニュースについて忌々しそうに「我が物顔をしおってからに・・・」と言っていたのが印象的であった。端的に言えば、彼は戦争のことを語らなかったしそれは悲劇として心中に刻み込まれていたと推測されるが、そのことは彼を戦後体制の(少なくとも全面的な)肯定者とはしなかった、ということである(まあこれについては、次のような反論は十分可能である。すなわち、簑田胸喜的な非論理的国体護持ならともかく、平泉澄のような場合は敗戦で論理体系が破壊されるわけでは必ずしもなく、次はどのようにしてリベンジするか=それまでどう国体を維持しながら生き延びるかという発想になると想定されるため、そもそも敗戦→戦後民主主義肯定という方にはいかない、と。なお、接点はないので全くの余談だが、祖父は簑田と同郷である)。

 

では、母方の祖父はどうであったか?戦中の話を何度も得々と聞かせ、真珠湾攻撃の八ミリを子供に見せる彼は、戦争あるいは戦中的なるものの肯定者なのだろうか?そうではない。むしろ彼は丸山真男側、というより正確には素朴な戦後民主主義の肯定者である(要するに指示はしているが論理だってはいない、ということ)。逆に言えば、素朴であるからこそ、今述べたような一見矛盾するようにも感ぜられる事柄が同居していても疑問に思わないと考えることもできよう。

 

以上要するに、身近な数人の人に聞いてでさえ、戦争との関わり方はもちろんのこと、それに対するスタンスも一筋縄ではいかないわけで、私はずっと前からそのことを感じてきた。ゆえに、戦争やその経験者に対する語りがしばしば一面的であることに強い違和感もあったのである(だから、戦争=絶対悪・日本=絶対悪という語りが席巻していた後にそれらを全面的に肯定する言説が出てくるのは、ある意味で当然の反動とも言える)。「この世界の片隅に」はそんな状況に一石を投じる作品となりうることは触れてみればわかる。それもまた、私が高く評価する所以の一つである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« この世界の片隅に:戦争の高... | トップ | 竹書房プレート破壊ミッション »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史系」カテゴリの最新記事