訂正する力、越境する知、自律した人間の養成

2023-11-28 11:27:53 | ことば関連
先日、ホロライブの儒風亭らでんというライバーが、サブカルチャーとハイカルチャーをつなぐ役割の担い手として極めて重要だ、という覚書を掲載した
 
 
あの覚書には続きがあり、あまりに長くなるため分割したが、要するに「越境する知」を経験することは、自ら考える思考態度を身に着ける、あるいはそういった人間を養成する上で必要不可欠、という話である。
 
 
 
【覚書5】
 
 
 
 
 
(今の世には無限にコンテンツが溢れている。興味を持つきっかけさえあれば、アクセスは容易になっている。場所と人。分野と分野。例えば美術の写生の授業で光の話が出てくる。フェルマーの原理、ヤングの干渉実験。さらに波動とか良識理学とか物理への興味へ。あるいは、認知科学、美学、心理学といった人間という受容体への興味・分析へ。)
 
 
しかし、あまりにも多くのコンテンツがあるからこそ、魅力的なネタが次から次へと流れてくる回転寿司のように、興味はあっても手を出すのに少し躊躇していると、あっという間に他のもので洗い流される。あるいは、よくよく意識してなければ、それを次から次へと味わいもせずに丸呑みして、ただの「情報のフォアグラ」と化していくことになる。
 
 
だからこそ、「つなぐ」存在が極めて重要。この動画では「考えさせることが大事」とあるが、人は「考えろ」と言われて考える生き物では、断じて、ない。そこには、驚き、喜びといった感情的なフック(報酬)が必要で、それを習慣とした人は自分で勝手に考えるようになるであろう(ついでに言えば、この感情的なフックには不安や恐怖もあり、これを用い逆に頭を真っ白にして洗脳するのがカルトなどの手法である)。
 
 
とするなら、「考えさせる仕掛けをどう張り巡らせるか」という(いささかパターナリズム的な)意識が必要不可欠になる。例えば、高校日本史では「ノビスパン」という単語が登場する。今日使わない単語だが、これについて考えろと言われても、面倒がってテストのために暗記するのが関の山だろう。
 
 
だからここに、「Nueva Espanya→New Spain」などと併記しておく(あえて言葉で説明しきらないことが重要)。とするとそこから、「現メキシコ付近は当時スペイン領だった」という理解になるし、あるいはヨーロッパ諸国が植民地を建設する際、NewだとかNovaとか付けてるという一般的理解に繋げれば、New Yorkはもちろんイギリス植民地の名残だし(つでに言えばその前の呼称はニューアムステルダムだから元はオランダ植民地だったとわかる→英蘭戦争)、さらにNova Scotiaなんて地名は、イングランドとスコットランドの位置関係からアメリカ大陸で北の方に作られた植民地だと予想され、そこからカナダ(まあアラスカ辺りを予測する人もいるだろうけど)あたりを推論する、という感じになる。
 
 
あるいは英語で習う「動詞の原形」なるものを考えてみるといい。これは命令文や助動詞とセットになると個別具体的に習うが、「不確定」という概念を提示した上で、次のように列挙してみるのはどうだろうか。
 
1.Be quiet. (命令文)
2.I will go to the shop next week. (未来の表現)
3.Nancy must be a good athlete to run a long distance in a shor time.  (推量)
4.Don't forget to lock the door before you leave.   ⇔  I forgot locking the door yesterday. (不定詞と動名詞の差異) 
5.Mike suggested to me that we start a business together./ I rejected his proposal that we start a business together.  (要求・提案内容のthat節内の動詞形)
 
これらは全て、「不確定」つまり「現在はまだ行われていない」「現在行われるか確定していない」という共通項を持っており、それを理解すると不毛な丸暗記からは脱却できる。ただ、一々列挙して説明していると、今度は情報の洪水になって頭に残らなくなるので、あくまで自分で考えるのに十分なくらい(というのはどうしても主観的だが)のきっかけを与えつつ、後は自分で考えてもらうようにすればよい。
 
 
ただ、そこに実利性がないと(感じてしまうと)人間なかなか新しい事には踏み出さない生き物なので、そこに付随してこういう事例を考えてみようというのを提示する。
 
A:「mothers to be」の意味は?
 
B:「The best is yet to come.」はなぜnotやnoが存在しないのに「ない」という意味を持つのか?
 
まあAは前後の文脈も入れた方がよいが、「これから母になる人」という意味で、重要のは、基本3用法の訳丸暗記では全く意味が取れないということ。つまり不定詞の持つ不確定→未来志向が理解できていないと適切に訳出ができないという事例。Bは不定詞の不確定性→「まだ~してない」というとこから、否定的な意味を持ちうる、という話。これはrefuse to doなんかを類例に上げてもよいかもしれない。
 
 
・・・といった感じで例は何でも良いのだが、要は「考える煩わしさが対象の閾値を超えない程度にヒントを与え、その越境的思考が生み出す楽しさを実感させることで、自律的に思考する習慣を持つ人間を作る」プログラムを作り上げる必要がある、という話(もちろん、こういう取り組みをしたからとて、「手っ取り早く飼料を寄越せ」という人間がいなくなる訳ではないが)。「自立した人間の育成をプログラムする」とはいかにも矛盾した話のように思われるかもしれないが、前述のような経験を十分にしてこなかった人間が、情報と結論の「麻薬」で溢れたこの世界で考えられる人間になると思う方が、むしろ楽観的にすぎるというものだ(その是非は別にして、「ファスト教養」が今の世で求められるのは当たり前、と私が考えるのもこの辺りによる)。
 
 
なお、そのような営為を繰り返した人たちは、当然のごとく、こちらが思いも寄らなかった発見をしたり、あるいはこちらの思い込みを破砕するような指摘をしてくるかもしれない。あとはそれを受け止め、自己研鑽に繋げるだけの度量が、情報提供者にあるかという問題になり、即ち「トレーナー→トレーニー」という一方通行的・非対称的関係ではなく、双方向的に切磋琢磨し合う関係性が成立する。
 
 
 
美術の授業の話から敷衍。当たり前だが、無謬なものはなく、その点では儒烏風亭らでんも学校も何でも同じ。常に穏健な懐疑主義が必要。抽象的に感じる?その答えの一つは「シニア右翼」。「学校で教えてくれなかった真実がネットにある」なんてね(爆笑)。反面教師はそこかしこにいるじゃん。そも、誤りのない真理が人から与えてもらえるなんて、(狂)信者の発想と同じ。一部のジャニーズ「ファン」や旧統一協会と、これまた他山の石はそこかしこにある。いい加減その発想から脱しろよと。
 
 
最後に繰り返すが、穏健な懐疑主義という思考態度の元に需要すれば、らでんのような越境的存在の果たす役割は極めて大きなものとなるだろう、ということである。
 
 
ちなみに芸術鑑賞については、自分が大昔に教わっていた永田達三という英語講師の授業紹介動画をたまたま発見したので、ついでに掲載しておきたい(「知識を持った状態=身構えができてからでないと芸術作品に触れるべきではないというのも間違いである」という話)。
 
 
 

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