日本アニメ(や映画)のデッドエンド

2020-05-12 11:00:00 | 感想など

こないだ「星合の空」というアニメを紹介したが、同作が途中で打ち切られた背景についての記事があったので、興味深く拝見した。

 

詳しくは記事を読んでほしいが、ある意味やり尽くしてしまった(もしくはそう思っている)がゆえのニッチな内容への逃げ、もしくは日本国内しか見ていないがゆえのデッドエンドが迫ってきているということだろう。昨日紹介した韓国映画のプロデュースの仕方などとは大違いである(まあこれは日本のアニメに限らず映画もそうなので、要は1億2千万という人口に胡坐をかいてきたわけだ)。

 

日本がこれから衰退することはほとんど決定的である。少子高齢化、成長産業の不在など挙げればキリがないが、さらに言えば構造転換が遅々として進んでいないこともある(というわけでアフターコロナは災い転じての言葉通り大きな変化が期待されてもいるわけだが)。

 

となると、日本にはこれまでの技術的蓄積はあるわけだから、そこを活用してマネタイズしていこうという資金力のある外国企業が出てくることは当然想定される(「ものづくり大国」か何だか知らんが、パトロンに金が無くなりゃあルネサンスと同じで雇い主が変わるって話よ)。すると記事の中にもある通り(リチウム電池作ってる会社を吸収合併するみたいに)中国資本で日本のクリエイターを囲い込み、いずれはノウハウを吸収して完全に自前でやることを目指す、という動きは容易に考えられるところだ(ちなみにこれ、ハリウッド映画とかではすでに始まっていることだ)。

 

では「クールジャパン」などとのたまっていた日本政府は何をやっているかと言えば、せいぜい箱物を作って満足し、そこは伽藍の洞であるというオチがついている。こういう市場経済についてのセンスのなさはアベノマスクでも存分に発揮されているわけだが、いい加減自分たちが無能であることに気付いた方がいいのではないだろうか?

 

ちなみにこういう形でいくと、日本国内で国内向けに作る作品はどんどんショボくなっていくわけなので、徹底して海外市場を意識してクラファン含め別の動き方をしていくか、もしくは「ほしのこえ」のような形での作成・発表をYou Tubeなどで行っていくような動きしかないのではないか。

 

要するに、どこまでも普遍性を意識してテーマ性やビジュアルを徹底追及した作品で世界を魅了するか、あるいは作家性を強く打ち出したところにスーパーチャットやメンバーシップ制などで「熱烈なファン」が作成を支えるような仕組み(そしてそこから、稀にとんでもない怪物が生まれる)でないと、ただ目の前を生きるために毒にも薬にもならないジャンクが量産されて、それすらどんどん劣化していくという悲惨な状況に陥る他ないと思う訳である(あえて言っておくなら、一人のユーザーとして「それはそれで全く構わない」と思う。なぜなら、先に述べたYou Tubeを始めとして、過去の数々の傑作が容易に見れるようになっているし、とても一生で消化しきれないほどのコンテンツが私たちの前にはあるからである。その中でなお、時間をかける価値を感じてもらう方法を考えねば「死」あるのみ、という覚悟が製作者側にあるのだろうか?)。

 

「星合の空」という傑作が途中で終わってしまったことについて非常に強い危機感を覚えたとともに、こういう事態は今後ますます進行していくだろうと述べつつ、この稿を終えることとしたい。

 

以下余談。

「世界を対象にして作品を作る」という点でなかなかに賢いなと思ったのが、「成り上がり~華と武の戦国」「日替わり内室」である。先に断っておくと私はこれらのゲームをプレイしたことはない。しかし、思わずプレイしたくなるくらいに、エロスなキャラが私を魅了してくるじゃあないか(妄想)。もちろん日本にはDMMとかもあるが、無料のエロコンテンツは昨今世界に溢れていて、ただエロを出せばいいという時代はとっくのとうに終わっている。その点、エロをちら見せしてゲームに引き込み、そこから課金などで世界から金を剥ぎ取っていくという手法はなかなかに有効だなあと思った次第だ(ただし売上高やその内訳まで詳細に調べているわけではないので悪しからず)。

 

「成り上がり」は中国企業が出しているゲームだが、思えば「魚釣島(尖閣諸島)は中国のもの、蒼井そらは世界のもの」という世紀の名言を爆誕させたのも中国であった。この発想からいくならば、エロコンテンツに関してもニッチ化・アングラ化してデッドエンドを迎えるのではなく、上手く脱色しながら資金のあるところに訴求して金を引っ張る戦略を徹底的に合理計算してやるのが賢明というものだろう。

 

なお、インタビューの中では春日の話も非常に頷けるものであった。私は「ただしイケメンに限る(んだろ)」みたいな野郎どものやっかみを聞く時に、「お前ら自分が今までどれだけ女子を容姿で差別してきたのか理解しとるんかいな」と呆れることも少なくない。まあこれはエロゲーをやっていればイヤでもわかるのだが、そもそも太ったキャラは登場すらしないか、登場してもイロモノ担当である(まあそういう意味では、「美少女ゲー」という呼び方自体も欺瞞だらけで私は虫唾が走るけどね)。そして一般のアニメや漫画でもそうだが、太った女性キャラとシリアスな恋愛が描かれることはほぼ皆無なのである(これまで読んできた中ではヤンジャンで一回だけ見たことがあるが)。

 

もちろん太ったキャラ=ブス、痩せたキャラ=美人なんて図式が成立するわけではないが、ともあれこういう描写の圧倒的な偏りを見ていてなお、まるで自分たちはそうではないかのように、「ただしイケメンに限る」などと女性の嗜好を揶揄するのは一体どの口がほざくのかと思うわけである。

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