フラグメント236:他者の複雑性・多様性に対処できないため、ノイズを排除した陰謀論や人工知能に逃げる

2020-05-13 11:35:00 | フラグメント
およそ一週間ぶりのフラグメント。2018年はこれでもかと言うくらいに人工知能の話を繰り返し書いているが、そこで言及した人間の複雑性の具体例(笑)として、このブログ自体を取り上げてみた、という内容。
 
 
自分自身も2005年にブログを始めるまでここまでの分量になるとは予想していなかったが、ともあれ5000以上の記事を書いて(可視化して)思ったことは、「自分のことでもわかんねー事柄が大量にあるのに、他の人間を理解しきるなんて絶対無理~♪はっきりわかんだねw」ということだ。
 
 
というのも、このブログには意図的に書いてないことが大量にあるのはもちろん、自分が書こうと意識にさえ上らなかった事項も大量にある。そういった事項そのもの、そしてなぜそれらを書こうと思わなかったのかもまた、当然その人を理解する上では参照項となりうるのは言うまでもない(これは例えば、「日常的に当たり前すぎることはそもそも歴史資料に残らない」といったことなどともつながる)。それらまで含めたら、一体どれだけの分量になるというのか・・・バキの独闘にビビった烈海王でなくても、戦慄せざるをえないところである(・∀・)
 
 
逆に言えば、人間の多様化が進んで情報も大量になった社会においては、その処理に人間が追い付かないわけで、結果として「理解できないものが増える=怖い→単純化してレッテル貼りする&都合のいい情報しか見ない」という傾向が加速して、ますますノイズ排除と分断が進んでいくのは当然のことと言える(まあこれを乗り越えるには、最終的には電脳化でもしてニュータイプになるしかないですなwwwちなみにこれは陰謀論宗教イデオロギーが人心をとらえる理由説明にもなる。なぜならそれらは、世界を単純化してくれるからだ)。
 
 
こういった趨勢と並行して、人工知能やVRが発達して人間の代替機能を向上させていけば、ノイズだらけの厄介な他者と交流するより、ノイズが排除された安全な人工知能(というかbotレベル可?)と過ごす方が心の安寧を得られるし、コンフリクトも起きなくて社会的にハッピーな状態になる・・・と思っていたのか(ブロリー並感)!!
 
 
まあそういうことを繰り返し書いてるわけですわ。ちなみにこういった社会変化と人間の限界を踏まえて、「もう幻想の中に浸って島宇宙がぶつからない社会にしチャイナYo!」というのが新反動主義(neo-reactionism)であり、そうなるために現在の人間社会がいかにクソかが白日の下に晒される必要があるんでもっとグチャグチャになれ(←説明が雑)というのが加速主義であったりする。
 
 
元々下降線を辿っていた衰退先進国の日本が、コロナ禍によって墜落する覚悟をもつ必要があるというのは最近よく書いている話だ(てかまあここまでわかりやすくポンコツぶりが可視化されると、誰しも意識せざるをえないだろう)。しかし、仮に他国へ移ったとしても、先に述べた趨勢は変わらないのである(せいぜい、社会の成熟度合で今どこにいるかが違うだけ)。要するに、「ユートピア」の言葉通り理想郷などどこにもない、ということである。
 
 
以上をもって前置き終わり。ちなみに、本文に関して言うと、「前回の話」というのがフラグメント234のことなのか、はたまた別の記事なのか、今となってはもう覚えていない(・∀・)
 
 
 
 
〈無題〉 2018/12/5
前回の話を「アナライズミー」に繋げる。
 
記号化やデータベースに抗う。人間の複雑性の理解、生身の人間に向き合うこと。
 
このブログは一つの具体例。意図的に仕事のことは書かないし、一旦削除した記事も300程度ある。さらにまだ書いていないもので、旅行、宗教、歴史、ゲーム、映画、飯、飲みなど今の倍には余裕でなる(要するに、これだけの分量があってもほんの一部に過ぎないということ)。
 
「人間の複雑性」とは抽象的だが、端的に言えばこのブログは一つのサンプルである。だから「可愛いものを愛でる話」「それを無批判に理想化する病理」を同時に書く。認知的不協和に流される人はどちらかを「真」、どちらかを「偽」として正当化するだろう。
 
しかし、それは間違いだ。その時の気分で変わるのでもなければ、どちらかをバランスを取るために意図的に入れてるのでもない。それらは「同時」であり、どちらも「真」なのだ(これがわからない人間は、『夜と霧』の収容所の残酷な刑務官が同時に善き父親であるという話や、「凡庸な悪」の話も決して理解しえないだろう。ちなみにこの具体例は近いうちにundertaleのmuffetで書く予定)。
 
そのような複雑性を全て理解しようとするのも、されることを期待するのもとんだお門違いだ。しかし、その現実に向き合わずにノイズ排除、すなわちパターン化を求めるなら、その人たちにはAIが人間の代わりとなるだろう(複雑怪奇な他者<<<予測可能なAIだるぉ!??)。「介護は人間じゃないとイヤだ」という意見。落合陽一のウォッシュレット発言。全く同意。中身のない繰り返される老人の話を聞く相手。それは人間である必要があるのか?求めているのは複雑な反応ではなく、壁打ちの相手だろ?
 

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