オイディプス三部作とは、ソフォクレスの「オイディプス王」「コロノスのオイディプス」「アンティゴネ」を指す。まあ内容的には最後にあたる「アンティゴネ」が「オイディプス王」より前に発表されており、しかも一気に作られたわけでもないので、厳密には三部作とは位置づけられていないらしいが…(「アンティゴネ」の訳者、呉茂一の解説による)。と細かいことはさておき、これに関する感想を簡単に書いておこう。なお、私が読んだのはちくま文庫版で、ページ数もそれに準じていることを断っておく。
(おそらく)よく言われているように、「オイディプス王」は人間の数奇な運命が描かれている。それはつまり、知恵と力を持てる者が、正当防衛とはいえ知らず父殺しを行い、自分の母を妻として王国を治めるというものである。しかも主人公オイディプスは、自国の災悪を取り除く目的で自らの父殺しを自らで暴いていくという構図がおもしろい。そして恐ろしい真実が暴かれていく際の不吉な調子の強まりには「オイディプス王」の演出の妙がある。
続編の「コロノスのオイディプス」は、彼が自らの罪により追放されて流浪する話である。ここで疑問なのは、息子(ポリュケイネス)に対するオイディプスの批判である。オイディプスはテーバイ[テーベ]攻めのため援助を求める息子に「おれを国から追い出したのはお前だ」と罵り、兄弟で刺し違えて死ねとまで言う(520p)。なるほどこの言そのものは息子に追い出された父親の憤りとして理解できなくもないが、「オイディプス王」を見るに、そもそもキタイロンの山に追放を望んだのはオイディプス自身である(370p)。とすれば、オイディプスの発言はいささか自分勝手ではないだろうか?それに「オイディプス王」で先王殺しの犯人を究明する発端は、テーバイに生じている禍いが先王殺しの血によるためであり、その犯人を罰することで禍いを取り除くという目的であった(307p)。ここで強調したいのは、罰するとは「追放、もしくは血を血で贖うことによって」という神のお告げ(を伝えるクレオンの言)である。この「血で血を贖う」が同害復讐を意味するのかは私にはわからないが、もしそうだとすると、先王殺しの犯人であるオイディプスは命を絶ったわけではないから、禍いを取り除くには追放しか残っていないことになる。そしてまた(前述のように)オイディプス自身が追放を望んでいたことからも、贖いの方法はまさにそれしかなかったと推測される。だとするなら、オイディプスが息子を責める正当性は全く存在しないことになる。いやむしろ、息子の方こそ正しかったと言えるのではないか?にもかかわらず、オイディプスの言こそが正しいものと「コロノスのオイディプス」は位置づけている(521p、コロスの発言)。また、オイディプスは娘達(アンティゴネ、イスメネ)が乞食のような暮らしをしないで済むようクレオンに娘を託している(370~372P)のだが、実際には追放された後アンティゴネに面倒を見てもらっているのも矛盾と言えば矛盾だろう(ただ、人の心など状況次第でいかようにも変わるのが現実ではあるが)。このように、先王殺しの真実が明らかになった後オイディプスをどのように扱うべきであったかという点において、「コロノスのオイディプス」は疑問が残る。それはもしかすると、ソフォクレスが存命中にこの作品が上演されなかったことと関係があるのかもしれない(つまり、ソフォクレス自身がこの作品の出来に満足していなかったか、実は未完であったかもしれないということ)。
最後に「アンティゴネ」について述べておけば、解説で問題点がいくつか提示されてもいるので特に取り立てて書くことは無い。ただ、「アンティゴネがポリュネイケスの亡骸になぜ二度も砂をかけたのか」という解説で提示されている疑問について私がふと思ったのは、一回目は神の行為、すなわち神の意思を表しているのではないかということだ。まずこの作品では、死者を決められた形で葬るのは(敵味方の問題以前に)神の意思であると強調されている(アンティゴネの言)。それを前提として一度目の葬送を分析すると、注意していなかったとはいえ兵士に全く見られることなく亡骸に砂をかけている点が注目される。その事実は、自然に、つまり神の意思により亡骸が(定められた形式で)葬られたことを意味しているのではないか?そしてその神の意思をアンティゴネがくり返すが故に、聴衆はクレオンとアンティゴネのどちらが正しいか、そして結末がどのような方向に向かうかがあらかじめ予想できるような仕掛けになっていたのではないか、と私は推測している。
蛇足ながら…
あとは「なぜ神に酒を奉納することが多いのか」また「神託の影響力はどの程度だったのだろうか」といった点に興味が湧いたので、いずれ調べることとしよう。前者は、酒が酩酊状態(≒忘我状態)を引き起こすものとして神と人を神託で結ぶ架け橋となるが故に奉納されたのかもしれない。まあ思いつきだけど…
(おそらく)よく言われているように、「オイディプス王」は人間の数奇な運命が描かれている。それはつまり、知恵と力を持てる者が、正当防衛とはいえ知らず父殺しを行い、自分の母を妻として王国を治めるというものである。しかも主人公オイディプスは、自国の災悪を取り除く目的で自らの父殺しを自らで暴いていくという構図がおもしろい。そして恐ろしい真実が暴かれていく際の不吉な調子の強まりには「オイディプス王」の演出の妙がある。
続編の「コロノスのオイディプス」は、彼が自らの罪により追放されて流浪する話である。ここで疑問なのは、息子(ポリュケイネス)に対するオイディプスの批判である。オイディプスはテーバイ[テーベ]攻めのため援助を求める息子に「おれを国から追い出したのはお前だ」と罵り、兄弟で刺し違えて死ねとまで言う(520p)。なるほどこの言そのものは息子に追い出された父親の憤りとして理解できなくもないが、「オイディプス王」を見るに、そもそもキタイロンの山に追放を望んだのはオイディプス自身である(370p)。とすれば、オイディプスの発言はいささか自分勝手ではないだろうか?それに「オイディプス王」で先王殺しの犯人を究明する発端は、テーバイに生じている禍いが先王殺しの血によるためであり、その犯人を罰することで禍いを取り除くという目的であった(307p)。ここで強調したいのは、罰するとは「追放、もしくは血を血で贖うことによって」という神のお告げ(を伝えるクレオンの言)である。この「血で血を贖う」が同害復讐を意味するのかは私にはわからないが、もしそうだとすると、先王殺しの犯人であるオイディプスは命を絶ったわけではないから、禍いを取り除くには追放しか残っていないことになる。そしてまた(前述のように)オイディプス自身が追放を望んでいたことからも、贖いの方法はまさにそれしかなかったと推測される。だとするなら、オイディプスが息子を責める正当性は全く存在しないことになる。いやむしろ、息子の方こそ正しかったと言えるのではないか?にもかかわらず、オイディプスの言こそが正しいものと「コロノスのオイディプス」は位置づけている(521p、コロスの発言)。また、オイディプスは娘達(アンティゴネ、イスメネ)が乞食のような暮らしをしないで済むようクレオンに娘を託している(370~372P)のだが、実際には追放された後アンティゴネに面倒を見てもらっているのも矛盾と言えば矛盾だろう(ただ、人の心など状況次第でいかようにも変わるのが現実ではあるが)。このように、先王殺しの真実が明らかになった後オイディプスをどのように扱うべきであったかという点において、「コロノスのオイディプス」は疑問が残る。それはもしかすると、ソフォクレスが存命中にこの作品が上演されなかったことと関係があるのかもしれない(つまり、ソフォクレス自身がこの作品の出来に満足していなかったか、実は未完であったかもしれないということ)。
最後に「アンティゴネ」について述べておけば、解説で問題点がいくつか提示されてもいるので特に取り立てて書くことは無い。ただ、「アンティゴネがポリュネイケスの亡骸になぜ二度も砂をかけたのか」という解説で提示されている疑問について私がふと思ったのは、一回目は神の行為、すなわち神の意思を表しているのではないかということだ。まずこの作品では、死者を決められた形で葬るのは(敵味方の問題以前に)神の意思であると強調されている(アンティゴネの言)。それを前提として一度目の葬送を分析すると、注意していなかったとはいえ兵士に全く見られることなく亡骸に砂をかけている点が注目される。その事実は、自然に、つまり神の意思により亡骸が(定められた形式で)葬られたことを意味しているのではないか?そしてその神の意思をアンティゴネがくり返すが故に、聴衆はクレオンとアンティゴネのどちらが正しいか、そして結末がどのような方向に向かうかがあらかじめ予想できるような仕掛けになっていたのではないか、と私は推測している。
蛇足ながら…
あとは「なぜ神に酒を奉納することが多いのか」また「神託の影響力はどの程度だったのだろうか」といった点に興味が湧いたので、いずれ調べることとしよう。前者は、酒が酩酊状態(≒忘我状態)を引き起こすものとして神と人を神託で結ぶ架け橋となるが故に奉納されたのかもしれない。まあ思いつきだけど…
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