死刑制度の是非:二項対立の不毛、既得権益、思考停止

2019-09-27 13:23:23 | 日記

「死刑制度に賛成か反対か」という二項対立図式で議論をするのは極めて不毛な結果しか生まないように思える。一見するとそれは正しい問題設定のように見えるかもしれないが、実際にはどれだけ大きく分けても次の三つが存在するからだ。 

・現状肯定(現状維持)

・死刑存置には賛成だが、システム変更は必要と考える

・死刑反対

以上のカテゴライズは当たり前だと思われるかもしれないが、しかし一つ目と二つ目を分けることに重要な意味がある。というのも、死刑肯定の背景が、単純に現状のシステムを変える必要がないと考える(もしくは積極的に変えたくない)という理由なのか、それとも死刑という仕組み自体には賛成だが、その在り方については批判的な眼差しを持っているかで全く変わってくるからだ(ちなみに、私が「今そこにある地獄甲子園」についてのコメントに返信した時の質問は、これを明確にする意図で行ったものである)。

 

前者については、はっきり言ってしまえば現状を変えることに感覚的不安があってしがみついているタイプか、既得権益側であることが想定される。というのも、「完璧なる司法制度」などというものは、「完全無欠の社会」と同様に決して存在しえないわけで、だからこそ多くの国で死刑制度が廃止されてきたし、また死刑制度が残っている国でもその是非がしばしば議論されているのだ(当然のことだが、インターネットが普及する前にインターネット関連の犯罪規定は存在しなかった。また尊属殺人の条項が正式に削除されたのは、たかだか20年ほど前のことに過ぎず、その始まりは違憲立法審査であった。憲法や法律が「予言者」でも「聖典」でもない以上、社会情勢や価値観の変化、あるいは既存の法自体の問題点に伴い、司法も変化していくものだ)。そして実際、飯塚事件のように再審請求がされている最中に刑が執行された例もあれば、我が故郷の熊本で起こった免田事件のように、死刑判決が出た後で再審により無罪判決が出た例もある(しかし、たとえば清水潔の『殺人犯はそこにいる』を読むと、免田事件について無罪判決が出た後でも「それでもやったのはあの人でしょ」という発言が地元の人から普通に出てくる場面が描かれており、事件の真相よりただ犯人が捕まった否かで安心したいだけの人が少なくないのではと考えさせられもする)。

 

以上のように冤罪の際の不可逆性など様々な問題が提示されているにもかかわらず、現状のままでよいというのは、感情的反発であれ(組織を守りたいといった)戦略的反発であれ、死刑制度の是非というよりはむしろ、何らかの防衛本能に突き動かされた立場であると考えざるをえない(そもそも、絞首刑一つとっても、その方法でなければならない必然性はどれだけあるのか)。

 

要するに、死刑制度賛成VS反対の図式で議論する前に、賛成の側に開かれた議論をする準備があるのかどうかをきちんと明確にしてから話を始めないと、防衛本能か思考停止かはともかく、出す結論が決まっている相手とどれだけやり取りをしようが、ただ正当化と辻褄合わせの御託に付き合わされるのがオチである、ということだ(これについては、ジョナサン=ハイトの「象」と「乗り手」の喩えを連想していただきたい)。

 

そのようにして、思考せる死刑制度賛成者の言説についても現状肯定者たちの御託の中に埋もれ、もって賛成VS反対の不毛な二項対立的石の投げ合いで終わる時、一体最も「得をする」のは何者だろうか?それは思考停止したい感情に流される者たちをライナスの毛布を与えて手馴づけ、組織を現行のまま維持しようとする人々ではないだろうか?以上のことを、システム的問題点を感じている人々は、死刑賛成・反対に関係なく、肝に銘じるべきであると私は考える。

 

死刑制度を存置するにしても、いやそう主張するからこそ、(その不可逆性ゆえに)冤罪を抑えるシステム変更は必要不可欠である。その代表的なものは証拠開示や取り調べの透明性担保、そして代用監獄制度の廃止である(一番最後のものを取り上げた作品として、有名なのは「それでも私はやってない」だ。痴漢冤罪の問題を考える時、私は女性の側を論難するものが多いのに驚きを禁じ得ないが、怒りの矛先は女性より前に冤罪を生み出すこのシステムにこそ向けられるべきであろう)。

 

死刑制度に賛成であれ反対であれ、この部分であれば共闘できるし、またすべき場所ではないだろうか。賛成派は継続の必然性を担保するために、反対派は少なくとも今より被害を減らすために、だ。

 

【補足】

以上の意味で、「死刑制度に賛成か反対か」のようなアンケートは白痴的だとすら私には感じられる。真剣にその問題を検討しようと思うなら、「死刑制度は現状のまま残すべき」・「死刑制度は残すべきだがその在り方は変更が必要」・「死刑制度そのものを廃止すべきである」と3つ設定してそれぞれのパーセンテージを出すべきであるのに、そのようなタイプの調査を私は寡聞にして知らない。それは作成者や実施者が救いがたいほど愚鈍であるか、もしくはあえて結論の出ない論争に持ち込むことによって現状維持を図ろうとする意図があるのかのどちらかとしか思えないのだが。


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