
先日、東浩紀の対談を元に、コスパ思考が実は「老害」の思考様式と親和性が高いこと、そして若年層にコスパ思考が広がる背景には、そもそも情報が過剰になり過ぎている(がゆえに「無駄」をいかに切り捨てるかが日々意識されざるをえないし最短ルートが求められやすい)ことを指摘した。
ところで、その記事でも述べたように、そこには世界の全体性が見えてしまっているかのような誤認がある訳だが、そういう一種の閉塞感が、もしかすると若年層の自殺数増加に影響しているのか・・・?
というわけで、高円寺の町を放浪している時に、間もなく閉店するAyumi Booksで渋井哲也『子どもの自殺はなぜ増え続けているのか?』を購入してみた。
まあ本日買ったばかりなのでまだ最初しか読んでいないが、例えば自分が現状想定していることとしては、
こちらで語られるような、学校がいまだに近代の監獄(パノプティコン)をモデルにしたスタイルから脱却できていないこと(その方が生徒管理は楽だからね)などを原因の一つとして想定していたりする。
もう少し踏み込んで言えば、情報環境による「先が見えているかのような閉塞感」と、現実の閉塞的環境の息苦しさ、常にSNSなどで繋がりを半ば強要される事での疲弊、こういった要素が絡み合って、若年層の自殺数・自殺率増加の背景となっているのではないか、ということだ(あとは本書でも言及されているようだが、家庭環境や経済状況との相関がどの程度あるのかも気になるところだ→『貧困を救えない国 日本』などを参照)。
とはいえ、若年層の自殺はひとり日本だけの問題ではなく、韓国などについても指摘されていることだ。そうであるがゆえに、ただ現象を思い付きでそれらしく思えるものに結びつけるのではなく、データ的な裏付けや国際比較などを元にして、より精度の高い分析をしていくことが求められている。
例えば、日本だけで見ると、自殺数の増加はアンケート調査に表れるその自己肯定感の低さと結びつけることができるかもしれない。しかし、隣の韓国でも自殺率が高いこと、そして韓国の場合日本に比べれば自己肯定感は全然高い数値を示していることからすれば、その見方には疑問が残る。あるいは両者に共通項を見出そうとするならば、韓国で特に指摘される受験準備や就職の過酷さを元に、それが「レールから外れたら終わり」的なプレッシャーを惹起し、日本の若年層におけるリスクヘッジマインドと同様、実態以上の精神的抑圧を生み出していることは考えられないだろうか?・・・といった具合である(ちなみにリスクヘッジマインドがコスパ・タイパ志向と結びつきやすいことは以前にも書いている)。
というわけで、読了したら書評を書くつもりでいるが、先日のコスパ思考の件と結びつく可能性のある問題系だったため、取り急ぎ触れてみた次第。
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