人口動態についてはこれだけ蓄積があって将来のリスクも見えてるのに、それすら否認する人がいるとかもうこれ意味わかんねーな(・∀・)ちなみによく勘違いされるが、問題なのは人口減少以上に少子高齢化であり、そして日本の場合それによる生産年齢人口の圧倒的減少である(他国が10%前後なのに対し、日本は40%以上減)。ここ間違えると単にコンパクトシティ化すればいいとか、地球規模では人口増加で困ることになるから人口減少は悪い事じゃないとか的外れな方向に話がいく可能性があるので念のため。
「正しい数字や情報があっても、それが正しい行動に結びつけられるとは限らない」てのはまあわからんではない。おそらくは「現状を大きく変革したくない」という気持ちが先にあって、ゆえに悲惨な将来や失敗のリスクを謎の精神論で補完しようとするか、あるいはそもそもそんなリスクは存在しないと現実逃避したり、他の国もそうだからという理由で納得しようとしてるんだろう。ジョナサン=ハイト風に言えば、「乗り手」が理屈を理解しても「象」が現状維持を選択しているわけだ。だから、リスクそのものは間違いないのに、「他がそうだから自分も大丈夫」とは一体どういう論理構造なのか?と思ったり、同じ傾向でも数字が全然違うのでリスクの大きさも異なる点には目を向けてないのは何たる稚拙さかと思ったりするわけが、発言の流れが「情報の受容→思考→吟味と表現」ではなく「情報の受容→感情的拒絶→拒絶の論理的正当化」とすれば、むべなるかなである。まあこう書いてて虚しいのは、そうやって思考様式を分析できたとしても、説得に大して役に立たなそうってことなんだが(-_-;)ま、そういう人たちも説得してたら時間切れになるんで、政策決定者たちとダイレクトに繋がりそのままシステム変革、て結論になるだろうけど。
とまれ、最後の方にもちらっと出てくるけど、これって『経済学者たちの日米開戦』・『未完のファシズム』・『失敗の本質』、つまり第二次大戦の時と同じだよな(今さら止められない、変えられない・・・だから上手くいってる時はいいけど、不味くなっても歯止めが効かない、という傾向を「次々となりゆく勢い」と丸山真男は表現してたけど、ナチスドイツとかもそういや同じだったな)。数ではない、精神力の問題だ!って言っても、竹槍じゃB29は当然落ちなかったのをもう忘れたんだろうか?この体たらくで、たとえば「大丈夫!人工知能が発達して人手不足が解消されるから!」などと言っても、なんか「資源がないなら現地調達すればいいじゃない!(それでアメリカに勝てるとは言ってない)」とのたまってた頃と変わらないんですがそれは・・・
先ごろ川崎の痛ましい事件が起こったばかりだが、まずはこういう厳しい現実を直視するところから始める以外に方法はないんじゃないすかね~。じゃなきゃ二度目の滅亡を経験するまで行動が変わんねー気がするわ(まあこれは比喩であって、ナウルじゃねーんだし実際に国が滅びることはないけども)。
え?何とかそんなもん見なくて済む方法ないのかって??ふっふっふっ、お客さん、いい所に気づきましたね!じゃあ次の記事でそいつを紹介しましょう(゚∀゚)
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