結核菌が死病であった頃でも、それに罹患することが100%の死を意味するわけではなかった。しかしそのことをもって、結核という病の原因を探ったりその治療薬を探究することが無効であるとは誰も思わなかったし、また無効であったと思う人は今日でもいないだろう。
しかるに、犯罪の主要な背景の一つとして貧困やそれを生み出す社会構造が指摘された際に、「それですべての人が犯罪に走るわけではない」という反論がしばしばなされるのはなぜなのか?
もちろん、「とにかく社会が悪い」と環境要因ばかり重視しているように見える言説には思わず反論したくなるのも(カント先生ならずとも)理解できるが、そのアンチテーゼとして提示されるのが前述のような物言いでは五十歩百歩と言わざるをえまい。なぜならそれは、「とにかく社会が悪い」的な主張とはまた別の意味ではあるが、(視点が属人的にすぎるという点において)やはり思考停止でしかないからだ。
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