この動画を見て、脳神経内科で医者の友人夫婦が、「病名がつくとまだ安心する」という話を昔していたのを思い出したわ。
これって言葉尻だけ聞くと「病気なのにけしからん」とか「何てサイコパスなんだ」みたいに感じるかもしれないが、そうではなくて、病名がつくということは、「今後の帰結がおおむね予測できる」という話なのである(まあこのあたりは、その人が例えば「99%は仮説」みたいなスタンスで学問を理解しているか、といった構えとも大きく関連するだろう)。
「パーキンソン病」であれ「すい臓がん」であれ、もちろん病名がついたらそれによるショックやその後の治療などの大変さはあるけれども、その後の道筋は見える。
これを道で喩えるなら「酷道」のようなものであって、なるほどあちこちにコースアウトの危険性があり、その通行に慎重さは要するが、地図は与えられ、先は見えている状態だ(ゆえに困難はあるとは言っても、どういう道筋で走ればよいかは比較的認知・共有しやすい)。
しかし病名がつかないということは、その輪郭が定め難く、行き先がどちらかなのかもわからないことを意味する。それは靄のかかった獣道のようなものであり、足を踏み出すのは怖いかもしれないが、意外と普通に歩けるのかもしれないし(しばらくすれば症状が緩解する)、逆にまあ何とかなるだろうと足を踏み出してみたら、実は二歩横は切り立った崖だった(ある時症状が急変する)なんてこともありえる。そして人間というものは基本的にわからないものを忌み嫌う傾向にあるので、形ある答えを求めて暴走したりするワケだ。
医者の側としても、治療方針はもちろん、患者への対し方も変わるというわけで、「病名がつくと安心する」という話になるのだろう。
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