音楽と「祝祭」:革命と戦争のクラシック音楽

2019-11-20 13:25:25 | 歴史系

 

 

うーむ、やっぱひぐらしの「祝祭」は何度聞いてもいいねえ。名前の通り血肉沸き踊るわ~。

 

あ、これはどうも、ムッカーです。オーディオ機器が普及した今でこそ、音楽というものはBGMとして日常の添え物かのように扱われていますが、本来音楽とは、祝祭のような「非日常」へ誘う舞台装置の一つでした(もちろん、音楽に付随する踊りや歌も同様ですが)。

 

要するに音楽とは変性意識を作り出す一種の「魔術」なわけでして、それを日常の延長である娯楽とのみとらえると、少なくとも歴史的には、その影響力を見誤ることになります。そこでご紹介したいのが、先ごろ出版された『革命と戦争のクラシック音楽史』です。これは10/27の毒書会の後、東京駅前の丸善で買った本の一つですが、クラシック音楽が戦争や革命といかに深く関わっているかをわかりやすく説いています。具体的には、フランス革命と革命精神の波及によるヨーロッパ近代市民社会の到来により、クラシック音楽がどのような変容を被ったか、またそこにどのような役割を果たしたのかを説明しているのですが、要はクラシック音楽の聴衆に市民が参加することで、主に貴族を相手にしていたクラシック音楽は「わかりやすい」展開を意識せざるをえなくなり(後掲のベートーヴェン交響曲第9番第1楽章はその典型でしょう)、それが曲の組み立てにも影響したし、またクラシック音楽が国民の統合ツールとして機能した、ということです。

 

今日では、前述のようにただのBGMか、はたまためかし込んでfomarlな空間で鑑賞する高尚な趣味のどちらかに思われているクラシック音楽が、非常に生々しい側面を持っていることを知れる点で興味深い著作と言えます(そういう表層的な認識になるのは、日常と全く乖離した=歴史的文脈から切り離された輸入品としてしかクラシック音楽が存在しない日本という場では、当然のことかと思います)。この内容を踏まえるならば、たとえば(実際にそういうYou Tubeの書き込みも見ましたが)「ベートーヴェンの曲をカラヤンがハリウッド的な形でプロデュースしている」というような見方は、皮肉として成立しないどころか、歴史に対するおのが無知をさらけ出すことにしかなりますまい(片山杜秀調にw)。

 

というわけで、ここでカラヤン指揮のベートーヴェン交響曲第9番をご紹介します。

 

 

 

大衆を血肉沸き踊らせることを意識したベートヴェンの曲調、カラヤンの情熱的でいて優美な指揮、ベルリンフィルハーモニーのすばらしい演奏(さらに言えば巧みなカメラワーク)・・・このトリアーデは私を「神の配合」としか呼びようのない心持ちにさせますが、しかも演奏された場所が1968年のベルリン(当然東西ドイツ分裂時)であり、また指揮者カラヤンの複雑な出自を思う時、前述のように音楽の大衆化と国民統合という背景を負っていたベートーヴェンとその曲が演奏されたことに、深い感慨を覚えずにはいられません。ある人は、国民主義の成れの果てとしてのナチスドイツ台頭とその敗北を考えたかもしれませんし、またある人は分断ドイツの悲劇を嘆いたかもしれません。

 

もちろん、先に述べたように、私たち日本人はクラシック音楽に対してかかる「悲劇の共有」のような要素を持ち合わせませんが、さりとてその由来を知ることは、「文化というものがいかに政治や戦争と結びついていたか」という古くて新しいテーマを想起させるでしょうし、また音楽の響き一つとってもそれが銃火の象徴であることを知れば、受け取り方の幅も増えるというものでしょう。かかる点から言えば、クラシック音楽の背景に関する知識は単なる蘊蓄などではなく、世界をより深く理解するための一助となると表現しても差し支えないように思います。

 

ただ、一点だけこの著作に注文をつけるとすれば、ロマン主義や国民音楽派などへもう少し言及すべきだった、というところでしょうか(もちろん、これはカルチャーセンターでの講演を収録したものですから、それらは注釈的なものになるでしょうが)。フランス革命と国民主義・民族主義といったものの高まりがロマン主義を生み出したというのは今さら述べるまでもありませんが、それは前掲書で挙げられた音楽以外にも、極めて多岐に渡りました。それが絵画(ドラクロワなど)であり、小説(ユーゴ―など)であったわけで、つまり音楽はそういう大きなうねりの一側面だったわけです(もちろん、片山先生のご専門が音楽史と思想史であるがゆえのテーマ選択なのは重々承知していますが、音楽から色々な分野に波及しうることが受け手に伝わりきらないのは何とも勿体ないところ)。

 

また、この音楽の聴衆の広がりと国民主義・民族主義が、シューベルトやスメタナ、ショパンたちの音楽へと受け継がれていくわけです。 以前、魔王について動画を掲載する機会がありました。

 

 

改めて述べるなら、シューベルトがなぜドイツの森と魔王という中世的なテーマに注目したのか?これはグリム兄弟がなぜ古いドイツの伝承を収集したのかにもつながりますし、またワーグナーが「ニーベルンゲンの指輪」を作成した理由にもつながりますが、要は「我々はドイツ人である」と訴える時、「ではドイツ人とは何者か?」という問いが惹起してくるわけです(ちなみにこのような視点は、日本人の無宗教に関する言説を見ていてもしばしばお目にかかるものです)。ゆえにこそ、旧きもの遡って答えを求めるわけですね。この流れで言えば、スメタナが音楽で祖国を流れる大河を称え、ショパンが音楽で独立に挫折したポーランドを鼓舞した理由も、自ずと理解できるでしょう。

 

このような大きなうねりの序章として、ディッタースドルフやハイドン、そしてベートーヴェンの話を位置付けていたなら、いっそう広いパースペクティブを提示する著作として本書はより完成度の高いものとなっていたのではないでしょうか。


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