イギリス、紅茶、アヘン:あるいは嗜好品が不全感の穴埋めをする未来について

2024-03-11 17:10:44 | 歴史系

 

 

 

 

おかしな武器の製造や紅茶狂はしばしば「英国面」としてネタにされるが、イギリスが茶の栽培を清朝からどう「盗んだ」かについては、そこまで知られていないように思われる。

 

この動画は、まさにその契機となったロバート・フォーチュンという植物学者が産業スパイとして活躍したお話であり、語り口調も含め一本の映画のように視聴できる。

 

ところで、イギリスと言えばその植民地統治などの悪辣さで「ブリカス」として有名だが、当時の世界を見渡して見ると、次に自分が行く予定のカンボジアであればフランス、あるいはインドネシアであればオランダ、ウズベキスタンならロシア、またあるいはアフリカ分割の元になったコンゴであればベルギーといった具合に、欧米の旧植民地は世界各地に存在しており、反乱を起こした島が宗主国により虐殺の末で無人島になったり、あるいは分割統治のため少数民族に権力を与え多数派民族と対立させた結果、独立後には民族紛争と虐殺の火種になるなど、その暴虐と爪痕の事例は枚挙に暇がない。

 

その意味で言えば、イギリスは大英帝国として欧米列強の代表例であるがゆえに目立つだけであり、その他の国も大なり小なり似たようなことをやっていた点は改めて確認しておくべきだろう(もちろん、日本も三・一独立運動やフクバラハップの抵抗など支配した地域で様々な反発を受けていたし、独立を支援と言いながら資源の収奪や軍票での搾取を行っていたわけだが)。

 

こういった点において、旧枢軸国(日独伊などの「持たざる国」)の悪行ばかり取り上げられがちだが、「お前ら連合国側も散々なことやってきたじゃねーか!」みたいな物言いはまさにその通りである。しかしそこで、歴史修正主義なんぞを持ち出して自己正当化を図ろうとするから問題なのであって、むしろ連合国の過去の悪逆非道を散々暴露していけばよいのではないか。そうすれば連中も刺されまくって血まみれになる恐怖というものを理解するだろうし、そのような指摘に対し知らぬ存ぜぬを決め込むならば、ダブスタ野郎どもとしてその欺瞞をさらに追及すればよいと私は思うのである(この話は「告発の交換可能性について」で触れたことともつながっている。また念のため言っておくが、リー将軍の銅像が撤去されたり、マクロン大統領がナポレオンへ批判的に言及するなど、過去の植民地主義や収奪の反省というものは単に被害者からの突き上げではなく、加害者側も無視できないものとして具体的行動に影響を与え始めている)。

 

で、後半の動画はアヘンについてだが、むしろ幅広く「危険薬物とその扱われ方の歴史的変遷」と表現した方が適切かもしれない。なお、主に扱われるのはイギリスの話だが、日本でもいわゆる「ヒロポン」が合法的に購入できた時代があったわけで、同じような道を辿っていることは確認しておくべきだろう(ついでに言えば、江戸時代のおしろいの中には鉛成分が含まれており、これが使用者自身はもちろん、授乳などで乳児の健康や死亡にも影響を与えたとされるなど、こういった毒物としての認識の無さが当時の人々の健康に影響を与えた事例は水銀をはじめ枚挙に暇がない)。

 

そしてこれは決して昔の話ではなく、今日でもタバコやアルコールの規制強化であったり、あるいは市販の風邪薬でさえ一部は購入に際して細かく確認を求められるようになっていることを想起するのは容易だろう。まあとはいえ、例えば食品添加物を過剰に恐れるような向きはどうかとも思う。個人の自由として摂取しないのはもちろん好きにすればよいが、明確なエビデンスを積み重ねることなく毒物などとして騒ぎ立てるのは、さすがに理性的態度とは言えないだろう(これは、「迷信、疑似科学、ナチュラル志向」の記事でも述べたように、自然から離れた快適な生活に慣れきってしまったからこそ、かえって自然を理想視しすぎる傾向が生まれた結果ではないかと思われる)。

 

ところで薬物や中毒について私が思うのは、今後それらの形態が変わることがあっても、絶滅することは考えづらい、ということだ。なぜかと言えば、今日では「自由」「平等」や「多様化」が奨励される一方で、格差が拡大してそれがSNSなどで可視化されてしまっているため、ブータンの幸福度下落の背景でも述べたように、手に入らないルサンチマン(相対的剝奪感)が日々刺激され続けるという不幸を負ってしまっているからである(デジタルデトックスが奨励される理由の一つはここにある。もちろん、麻薬を抜くには物理的にアクセスできないようにするしかほとんど方法がないのと同じように、スマートフォンなどを一時封印することで半ば嗜癖になった情報の収集から意識的に離脱するという狙いもあるのだが)。

 

そうである以上、為政者側が鬱積する不満をどうガス抜きするか考えた場合に、生身の世界でのリソースと報酬には限界がある訳だから、電脳空間で達成感や承認などカタルシスを得られるよう生ー権力的にコントロールする発想が出てくるのは当然のことと言える(AIの「進化」と人間の「劣化」という視点で何度も書いているが、人間社会の分断が進むことで、ノイズだらけな他者と微調整をしながら関係性の履歴を構築するよりも、自己に最適化されたbotと延々戯れる方を選ぶ人間の割合が増えていく可能性は高い)。

 

そしてそのような環境管理型のコントロールを整備していく際に、認知科学を元にした人間の感覚の探求とその成果は極めて重要になってくるわけで、つまりはドーパミンやセロトニンを「適度に」分泌する薬物の発明やそれを抽出する「仕組み」の解明が進んでいくことだろう。もちろん中毒症状もあるので、必ず使用に歯止めはかかるだろうが、アンチエイジングの研究進展などで耐性を「リセット」する仕組みが解明できれば(まあそんなもんがあるとすればだけど)、これまでほぼ不可逆だった中毒さえ可逆的なものとなるだろう。

 

あるいはさらに、恋愛などでよく言われる「この人しかいない」感覚を人工的に作り出せるようになれば、現実でパートナーが見つからない男性に対してこれを用いAIなどと紐づければ、不全感からインセルになるような事態は多少防げるかもしれない(まあそういう人間が進んでそのような薬物?を摂取しようとするか・・・という問題は残るが)。

 

このように考えていくと、これからの時代に薬物が消滅するみたいなことは考えづらく、「中毒症状やらを緩和しつつそれなりの多幸感は得られる」みたいなのを多くの人が使うようになるんではないか、と思っていたりする。そしてその状況は、冒頭の動画で見られる産業革命期の労働者たちと重なるし、あるいはまた自身LSD中毒だったフィリップ・ディックが『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』で描いたように、砂を噛むような現実に倦みつつ、夢の世界を見せる「キャンD」の使用に耽溺する人々を想起させ、興味深く感じた次第である。

 

以上。

 

あ、ちなみにワイはそういう未来を一言も「ユートピア」だなんて書いてないので、そこんとこヨロシク(・∀・)


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