さよならコミュニケーション:「AIの進化」、「人間の劣化」、液状化する社会

2023-04-13 11:28:20 | AI

 

 

 

 

「AIの進化」とともに「人間の劣化」が並行して進み、その中で「bot>人間」という価値観も広がっていくと繰り返し書いてきた(微調整が必要で腹の読み合いもしなければならない割に実りの薄い人間同士のコミュニケーションより、勝手にノイズキャンセルしてこちらのほしいものを提供してくれそれに文句も言わないbotの方がusefulな存在に感じられるようになる、ということ)。かかる事態をカリカチュアライズすると、この動画のようになるだろう。

 

このような状況を(少なくとも現時点では)問題と感じる人が少なくないだろうし、「自分はそうならないようにしよう」とおそらく考えるだろう。しかし、そういう「自助努力」だけでどうにかなる事態でないことも、この動画は端的に示唆してくれている。

 

どういうことか?
いくら自分だけがAIに耽溺することから距離を置いたとて、その周囲に一定数の「AI中毒者」がおり、その人たちと日常的にコミュニケーションを取らざるをえないのなら、それは対人関係のストレスと無益さの感覚を増さずにはおかないからだ。そしてそのような実りのなさ(「人間の劣化」)と反比例する「AIの進化」は、ごく必然的により多くの人を「bot>人間」の思考へと導き、それによってますます多くの人とのコミュニケーションが不毛に感じられるものとなり、AIから距離を取っていた人々も「AI中毒者」への道を歩んでいく、ということだ(ひとり便利さだけの問題ではなく、人間に対する期待値の減衰がパラレルに生じている点が重要)。

 

もちろん、次のような注釈は必要だろう。すなわち、

1:そもそも外向的で人懐こいため、生身のコミュニケーションに苦を感じない(感じにくい)人は一定数残る

2:信条的にAIへコミュニケーションを委ねることを忌避する人も一定する残る

3:「AI中毒者」が、ある時生身のコミュニケーションに戻ったらそちらでも別にいいじゃんとなりその状況を放棄する

といった具合に(これはamazonなどが発達してもあえて本屋に行く人もいる、というのと似ている。あるいは非婚化の問題を議論する際、結婚する人たちも一定する残り続けることは前提で議論を進めることが重要なのも同様)。

 

しかし気にかかるのは、そういったある意味「人間らしい」とも評せるような態度を取る人たちが存在することで、社会のモザイク化(多様化・分断)はさらに進み、お互いを同朋として社会を営むことさえ難しくなっていくとしたら、果たして地域共同体はもちろん近代民主主義社会の運営はどのようになっていくだろうか?とも思うのである。これは「ポストトゥルース」や「オルタナティブファクト」といった言葉を持ち出して基本的な事実認識すら共有できない人たちの事例(cf.陰謀論)を挙げれば思い半ばに過ぎるというものだが、あるいは自治体のルールを作り長年生活してきた旧住民と、そこに移動してきたはいいが旧来のルールを縛りと見て自治体にも参加したがらない新住民の対立を想起することもできる。これらはAI云々以前からすでにそこここで観察される事態であり、そういった軋轢がさらに加速すると考えられる、ということだ。

 

またそのような社会においては、承認欲求や所属の欲求がどのように発露するのかということも大きな問題となってくることだろう(生身の人間の承認などいらず、AIとの毛づくろい的コミュニケーションで満たされるなら、もはや人間自体がノイズであり、そも生きていることすら合理性・コスパに反する、という認識に到るかもしれないが)。

 

このようにして人間社会はAIによって支配されるなどということもなく、勝手に液状化・自壊していくのではないかと思うのである。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なるほど、シベリア送りだ(ヨ... | トップ | ジャニーズ問題について:そ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

AI」カテゴリの最新記事