ひぐらしのなく頃に 業:第23話の感想→「絆」と「赦し」について

2021-03-15 12:12:12 | ひぐらし

第23話までの展開を見て、「ひぐらし 業」は旧ひぐらしでの救済となった「絆」が「呪縛」へと転化した話だと述べた。

 

それ踏まえて第23話を見たら・・・ほう、これは興味深い。そもそも部活メンバー以外がこれだけクローズアップされる(人物主観で長く描かれる)ことが珍しいだけでなく、かなり色々な含意のある話なのは容易に読み取れるねえ。というわけで、以下に気になったポイントをいくつか書いていきたいと思う。

なお、北条鉄平の改心とその赦しという話が以下に出てくるが、こういった現象や行為を現実にそのまま当てはめるのは愚の骨頂であることを踏まえた上で読んでいただきたい(ピンとこない人は虐待や毒親の壮絶な事例を様々見てみることをお勧めする。今回の話を見て、「あの時は済まなかった」程度で赦せるのが当たり前だと思うのはとんでもない勘違いだろう)。

 

〇北条鉄平=部活メンバー以外の人物主観で物語が描かれる

旧ひぐらしから「ひぐらし 業」にいたるまで、キャラクター描写は部活メンバーを主軸に描かれてきた。例外が旧ひぐらしのTIPSと祭囃し編で、後者では「カケラ紡ぎ」という形で物語の背景をプレイヤーに見せていくという形式が取られているため、鷹野をはじめ入江などの主観で物語が進んでいく演出もあった。

しかしこれらは、TIPSあるいはカケラ紡ぎという言葉が示すように、あくまでメインストリームとは別のフラグメント(断片)でしかないことは明白だったのである。

しかし第23話と終盤にきて、まさかの北条鉄平主観とは!これはまた大胆な仕掛けをしたものだなと感じた。

 

〇北条鉄平のエピソードを描く意味

これは様々なものを想定できるが、かいつまんで言うと以下の通りだろう。

(a)絆の話が梨花ー沙都子という二人の関係のみに限定されるのを防ぐ(話を一般化する)

ひぐらしのなく頃にという作品の中でも、修復(という呼び方が正しいのか疑問だが)が最も困難なものの一つが、沙都子と鉄平の関係性だろう。たとえば詩音と園崎本家なら、詩音の性格や園崎家当主の性格からして、将来的には近すぎない距離で良好な関係が築けるかもしれない、と思える。しかし鉄平、テメーはダメだ、というわけである。

かかる存在であっても、何度も死を経験するという現実にはありえない現象を踏まえてではあるが、己の所業を反省しつつ、絆を取り戻したいと考えるという話で、つまりこれは絆(と呪縛)というテーマはループできる二人に限定した話ではないですよ、ということを暗示したいのだろう(もう一つは、「ひぐらし 業」では絆の呪縛的側面を描いているため、それが救いにもなりうる要素を入れてバランスをとっている、という面もあるだろう)。

 

(b)沙都子が「赦し」に到るカタパルトの役割

沙都子が梨花の裏切りに怒り、梨花が雛見沢から出ることを諦めさせようとして彼女を残酷な形で殺めることも厭わず世界を繰り返している・・・これが「ひぐらし 業」の偽りの昭和58年であることはすでに物語内でも説明されている通りで、またこれを絆が呪縛に転じた姿だと私は評したわけだが、100年の惨劇を経験してなお沙都子の心にともった炎は消えることもなく、それはもはや執着や呪いのレベルである(彼女の姿を親に置き換えると、そのまま子どもの自立を許さない毒親になることは容易に理解されるところだと思う)。

この物語に「オチ」がつく以上は沙都子が梨花の「業」を赦し、その絆を断念するしかないわけだが、そこに到るまでの伏線として、これまで自分を迫害し続け、絆はもちろん赦しもありえなかった北条鉄平という存在の変化と、彼を赦す可能性が示唆されているのではないかと考えられる(これもまた、沙都子の症候群が完治した、という展開を組み込んだ理由の一つだろう)。あの北条鉄平でさえ繰り返す世界の中で惨劇を体験するとともに己を振り返ることで変化し、その「業」を認め赦しを請う。いわんや古手梨花をや、というわけだ(100年の惨劇を繰り返してすらポーカーフェイスだった沙都子が、ここで始めて困惑の様子を見せていることを想起したい)。

沙都子を生きた人形になるまで追い込むような所業を何度もやってきた鉄平と、同じ学校の受験に誘って入学した後自分に親身になってくれなかった梨花を同列に並べるのはさすがにどうかと思うんだけどねえ・・・という具合に納得は全くしないが(=私が旧ひぐらしほどには「ひぐらし 業」の物語にコミットできなくなっている理由)、図式というか演出上の意図としては理解できる、という話である。

 

(c)これが祟騙し編に繋がるであろう皮肉

この話が祟騙し編ないしはそれに近いカケラに繋がっていることはほぼ疑いがない。というのも、わざわざ大石を登場させて鉄平の改心の可能性を示唆する描写は祟騙し編の「正義と信じて疑わないのは怖いことだ」という大石から圭一たちに向けられた独白とそのままリンクするからだ(逆に言えば、そこをつなげる意図がないなら、大石を出す必然性がない)。

というわけで、このあと鉄平は雛見沢へと帰って沙都子と同居を始めるが、祟殺し編のような展開になっていくと思われる。ここで二つの意図が想定されるので書いておくと、

(1) 鉄平と沙都子が良好な関係であるとすれば、祟殺し編の団結は「絆の暴走」=絆の負の側面の描写へと転化する

  ※これが絆が呪縛へと転化する=絆の負の側面を描く「ひぐらし 業」の描写としてマッチングしていることは言う
   までもない

(2) 鉄平の改心の可能性を見ながら、それでも嘘をつき、彼を操って惨劇を起こさせることで沙都子は心にダメージを負う?

  ※これはあくまで予想の範囲内ではあるが、こういった出来事を経て自分の行為に疑問をもった沙都子の姿が泣きな
   がら梨花を惨殺する猫騙し編の一場面であり、またそういったものの蓄積は沙都子が梨花を屈服させるために世界
   を繰り返すことを断念する一つの契機となるのかもしれない

 

というわけで非常に興味深い23話だったが、これがどのように発展していくのか、第24話に期待したいところだ。


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