続・明治以降の日本になぜキリスト教は広まらなかったのか?

2017-10-07 12:36:34 | 宗教分析

読者の中には、なぜわざわざ「明治以降の」という限定が入っているのかと訝しく思う人もいるだろう。その理由を先に述べておくと、「キリスト教は戦国時代には広まったから」である。

 

もちろん、これについては様々な指摘ができる。たとえば「広まった」とはいえ100万人には満たない規模であるとか、そもそもそれは「キリスト教」と呼べるのか。あるいは日本人たちは正しくその教えを理解していたのか?といった具合に。

 

これはすでに書いた話なので簡単に繰り返すが、前者については、そもそも大々的な弾圧が長期に渡って行われたことを考慮すべきである。確かにキリスト教やイスラームなど弾圧を経て世界宗教となっていった例もあるが、一方でマニ教やカタリ派など、国を超えるレベルで多くの信者を獲得しながら弾圧の中で消えていった宗教も少なくない。よって弾圧の影響を考えずして、一神教と多神教の相克というメンタリティの問題に還元しようとする言説があまりにも多いのは偏っていると言わざるをえないだろう(もちろん、「弾圧がなかったらキリスト教が日本の支配的宗教になっていたはずだ」などといった予測は妄言の域を出ない)。後者については、Englishの多様性という意味でEnglishesという呼称が提唱されたりしているが、宗教も同じで実のところ同じ宗教・宗派でも多様性に富んでいる点を等閑視すべきではない(もう一つ、この視点には「結局西洋を理解しえない東洋」というオリエンタリズムを内面化した意識も働いているように思われる)。仏教が中国・韓国を経由して変化したように、あるいは韓国には韓国のキリスト教の特徴(シャーマニズム的要素)があるように、日本に伝来したキリスト教が日本という環境の影響を受けて変容するのは別段特筆すべきことでも何でもなく、そこで「本当にキリスト教を理解していたのか?」と聞くのはさして意味のない問いであろう、ということである(なお、いわゆる「隠れキリシタン」たちが保持していた信仰を元に、日本のキリシタンが正統なキリスト教からいかに外れているかを論じるのは危険な行為である。というのもそれらは、200年以上にわたって密かに教え護られたもので正統な教義を伝承するのは望むべくもなかったし、当時の宗門改めをかいくぐるために表向きでも仏教徒を装う必要があったのだから)。

 

ちなみに、キリスト教の広がりについては、戦国時代が江戸時代末期や二次大戦直後のように、価値観の大変動時代であったことを考慮に入れておくべきであるように思われる(新宗教ブームはそういった時代に生じている)。加賀の一揆のように農民が領主を倒して国を作り、あるいは秀吉のような農民が天下人にまでのし上がるような下克上の時代であった。かかるアノミー的状況の中で、「一神教的」とも言われる浄土真宗(一向宗)と、キリスト教が大きな存在感を示したことは注目に値することであろう。キリスト教が広まった背景については、このような時代状況を念頭に置くと理解しやすいのではないだろうか。

 

というわけで、戦国時代にキリスト教が広まらなかったと考えるのは不適切で、それが後にシュリンクしていったことを単に精神的背景によるものであるとみなすことも大いに問題があると言えるのである。

 

次回に続く。

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