ウクライナ侵攻とゼレンスキー:ポピュリストから抵抗の象徴へ

2022-03-12 11:55:00 | 感想など




昨日はロシア側の軍事オペレーションの不自然さやプロパガンダについて触れたので、今回はまた別の視点、すなわちウクライナのゼレンスキー大統領の来歴について紹介した動画を取り上げたい。


詳細は見てもらうとして、要するに彼は「人々が旧来の政治へ倦んでいるところに現れたポピュリスト」ぐらいに考えておくのがよい、ということだ。だから実際に政治を執らせてみたら、やらかし続きで支持率が低迷していたのも当然だろう(その好例として、マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』でも書いたナポレオン3世を挙げることができる。対立する諸勢力同士と結び付くことで大統領・皇帝まで登りつめた彼は、結局内政ではその地位を確立することができず、対外拡大というわかりやすい成果で人気を取り続けるしかなく、ゆえにセダンで敗北した後、あえなく失脚したのであった。なお、「隣の芝生は青い」のことわざにも近いが、反感を持つもの=旧来の政治家の向かい側にいる存在を正しいと考えるのは、ありがちな錯覚である)。


ロシア、というかプーチン周辺も、おそらくこのような状況を元に、小突けば倒れるハリボテと考えて杜撰に侵攻を始めてみたら、思いの外そのハリボテは厚く、しかも今まで遠巻きに眺めていた人々がそのハリボテをこぞって支えはじめるという想定外の事態に到った、というのが現状ではないだろうか(外敵に対してバラバラだった国内が団結する、というのはよくある現象で、この点はネオ・ユーラシア主義の影響もあるのか、見通しが甘すぎたと言えるだろう)。


なお、このように書くとゼレンスキーがただのパフォーマンスとして首都にとどまっているかのような印象を与えるかもしれないが、それは容易なことではない(もちろん、首都に残ることの戦略的意味=抵抗の象徴として士気を鼓舞し、かつ相手の軍事的・政治的行動に正当性を与えない、という意識的振る舞いではあるだろうが)。


身近な例でも、朝鮮戦争時に脱兎の如く国外逃亡した李承晩、あるいは先の戦争で腹が痛いだのと言っていつの間にか前線から消えていたどこぞの日本人司令官殿などが挙げらるわけで、戦禍の中に身を置き続けることは、たとえその戦略的価値が理解できていたとしても、容易になしえることではないのである。


もちろん、事態は現在進行形であり、これからどのように状況が変化するかはわからない。しかし少なくとも、今回のウクライナ侵攻で観察される諸現象は、それまでの歴史的事件とあわせて、様々な教訓を私たちに与えてくれるように思うのである。

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