「殺人の追憶」、「鬼が来た!」~テーマ性とエンターテイメント性の両立~

2011-12-14 18:06:32 | レビュー系

テーマ性とエンターテイメント性をいかに両立させるかは極めて重要な問題だと言うと、人によっては「内容面で観客に媚びを売る」といった小細工を連想するかもしれない。確かにそういう興行的な側面はあるが、それ以上に、誰に、そしてどのようにメッセージを届かせるかという根本的な問題がそこには関係している。

 

例えば「殺人の追憶」という映画がある。この作品においては前半のゆるい雰囲気と後半のシリアスさが強いコントラストを成しているが、前半ではローカルな世界のいい加減さ(ある種の安心感?)と相まって半ばギャグとしか思えないような証拠の捏造や拷問などが描かれている。そういった冤罪の構造はもちろん(日本の足利事件のように)大きな問題なのだけれども、そのままシリアスな雰囲気で描いていたら、あまりのしんどさに途中で見るのを止めたり、思考を停止する観客も少なくなかったのではないだろうか(時代の雰囲気の描写とエンターテイメント性の両立、という側面もある)。またそのようなゆるい雰囲気が始めにあるからこそ、徐々に事件の深刻さに引きずり込まれ疲弊していく刑事たちの姿に観客が自らを重ね合わせやすくなるといった効果もあるだろう。

 

また例えば、「鬼が来た」という映画では奇妙なディスコミュニケーションから親密さが醸成される様が笑いと親近感を生み出すが、もしこのような演出がなく、後半のカタストロフとそれに連なるシリアスな展開で構成されていたらどうなっていたであろうか?おそらく見る人の数は相当限定されていただろうし、また日常性と非日常性の落差による衝撃や悲劇の普遍性の理解は観客に訪れえないだろう(またここを見落とすと、「南京大虐殺批判を意図した反日映画」というような極めて短絡的な評価にしかなるまい。またこのような話は、「ヒトラー最期の12日間」で私が述べたことと関係が深い)。

 

では、ソウルイーターに関してはどうか?それを次回見ていきたい。


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