ひぐらしのなく頃に 業:「うみねこ」との関連性から、世界構造と今後の展開を予測してみる

2020-11-13 12:09:50 | ひぐらし
前回は「ひぐらしのなく頃に 業」(以下「ひぐらし業」と表記)の3・4話までを見て、疑問点や世界構造について考察してみた。そこでは、「リバーシブル」という要素や「解釈違い」という要素、そして明らかに圭一の生存が不自然という状況から、「鬼騙し編」が「うみねこのなく頃に」(以下「うみねこ」と表記)で描かれるような、「虚構内の虚構」ではないかと書いたわけだが、今回はそれを踏まえつつ、今後の展開の予測をしてみたいと思う次第である(なお、前回述べられなかったが、鬼騙し編は残酷な描写によって不自然さや考察から意識を逸らすという手法もうみねこを想起させるものだった)。
 
 
現状で4話までしか見てないのは変わっていないが(今週末で残りをまとめて見る予定)、逆にそれだからこそ発揮できる蛮勇で推測(という名の妄想w)を、書き連ねていこう。
 
 
なお、前回は「うみねこ」のネタバレは極力しないという方針で書いたが、ちょっとそれは無理そうなので、今回はうみねこもネタバレ全開で推論する方針であることをお断りしておく(ただし、本当の核心部分はぼかして表現する)。なお、「うみねこ」は「ひぐらし」シリーズに比べるとやり込みが浅く(このブログの記事数でわかることだが)、また公式掲示板におけるプレイヤー達のビビッドな反応もEpisode2発売後間もなくぐらいまでしかフォローしていないため(だからスターウォーズ的描写への困惑は今でもよく覚えているw)、こちらの情報はかなり荒いものになっている可能性が高い点注意されたし。
 
 
 
****以下考察****
 
 
「うみねこ」の犯人(首謀者)は、「全て女性」である。それは夏妃、楼座、絵羽、ベアトリーチェ、ベルンカステル、縁寿、アウローラ・・・という具合だ。男性があらゆることに対して無罪であるとは言わないが、全てにおいて「従」的存在であると表現することができよう(もちろん、「何の」犯人であるかはそれぞれ異なっている。また何だったら、この中に須磨寺霞も加えて天草十三を並置すると構造がよりわかりやすいだろう。ちなみにこの「全て女性」であるという事実が真相・動機についても深く関係していることは既知の人にとって自明のはず。ちなみに私は、これらの犯人設定がどういう意図でなされたのかまでは寡聞にして知らない。あるいは、ひぐらしにおいて梨花が赤坂の再訪によって救われるという祭囃し編の描写から、結局「女性=無力な存在」として描いてるとか批判が出たりでもしたのだろうか??)。
 
 
それを踏まえて、今回のひぐらし業と重ねてみるとどうだろう?まず、ひぐらしにおいてはうみねこより圧倒的にメインキャラクター(立ち絵のある人物)の女性比率が高いにもかかわらず、鬼隠し編や祟殺し編のように、圭一=男が主体的に犯行に及んでいるケースがいくつか描かれている(少なくとも誰かに命令されての犯行ではない。なお、いわゆる「山狗」が犯行の主体的存在でないことは言うまでもないだろう)。その点両者は異なっているのだが、今回鬼騙し編で「レナ=加害者/圭一=被害者」というリバース(逆転)が生じたことで、うみねこの犯人像に一歩近づいたと見ることもできる。
 
 
ここから想像をたくましくすると、圭一=男が犯行を行う祟殺し編は、沙都子が犯人となる「祟騙し編(仮)」になる可能性が予測される(リバーシブルという要素で考えると、祟殺し編で被害者としての立場にいた沙都子が、祟騙し編?において加害者側になることはむしろ必然と言っていい)。仮にこうなった場合、ほぼ確実にひぐらし業はうみねこの物語構造を継承した作品として描き直されていることが確定すると言っていい(どうしてそんな世界になっているのかはまた別の問題として)。
 
 
というわけで先に「祟騙し編(仮)」の予測を書いたが、一度話を戻して「綿騙し編」について想像を巡らせてみたい。元の綿流し編が魅音と詩音の入れ替わりによって成立していることは今さら言うまでもない。そこに「リバーシブル」と「解釈違い」の要素を入れると、魅音と詩音の入れ替わりがそもそも存在せず、園崎家当主である魅音が凶行に手を染めていくという予測になる。これは原作だと被害者のポジションだった魅音が加害者になるという意味で逆転であり、かつ魅音が誰かに重傷を負わせたり殺したりする場面はないため(部下に指示して死体遺棄などはやってる可能性大だが私利私欲のための行動ではない)、「解釈違い」がそのまま成立する。まあもっとも、解釈違いになるのにはそれなりに理由があって、魅音にはそれをする必然性がない。立場的には園崎家ながら事態を蚊帳の外から見るしかなかった詩音なればこそ、事実を知りたいという飢餓感と、知っているヤツがいるはずだという疑心暗鬼が生じるわけで、ある程度はその境界線がわかっている魅音がわざわざ手を下していく必然性がないのである。
 
 
まあもっとも、この辺はあのレナに拷問器具を準備させるという「解釈違い」を描写したのが「鬼騙し編」だったことを考えると、大義名分ではなく素のままに「祭具殿を侵した者たちを罰していく」といった体で一人一人虐殺していくのかもしれないが。この点は綿騙し編の世界がそもそも生後間もなくの魅音と詩音の取り違えが起こっていない=魅音が詩音的キャラクターを持っている世界なのかもしれないが、その場合でもやはり魅音(綿流し編における詩音)は犯行の必然性を欠くことには変わりはない(悟史とどう絡むかにも影響されるが、立場上情報は知ってるはずなので)。まあここはあれこれ妄想しててもしゃあないので、レナに不穏な兆候が散見されたり、梨花が圭一にあれこれ配慮してると思しき変化があるのを踏まえ、綿騙し編も同じような綿流し編との違い(特に詩音のキャラクター描写)に注目しながら見ていくのがいいだろう。
 
 
というわけで、綿騙し編および祟騙し編(仮)の予測を書いてみた。これをさらにうみねことの関連性やリバーシブルの要素を物語全体に適用すると、どうなるだろうか。ここで改めてうみねこの物語構造に言及すると、それはずっと「被害者」だと思われていた人物が実は・・・という話だった。言い換えると、その人はうみねこの「虚構内虚構」において常に殺される側だったのであるが、実はその人物こそ惨劇のトリガーになった存在だったのである。これを踏まえると、ひぐらしの世界おいて常に殺される側なのは、言うまでもなく古手梨花その人である。
 
 
とすると、この世界に再び「捕らえられた」かのように見える古手梨花は、実は大きな物語構造においては加害者、もしくは語り手(騙り手)という可能性も考えられる。
 
 
ただ、これには疑問も少なくない。なるほどひぐらしは昭和58年、うみねこは昭和63年だから、惨劇を乗り超えた古手梨花が何らかの原因でベルンカステル症候群(?)を発症し、昭和58年の雛見沢を舞台にした二次創作を濫造しているとか、そういう世界線なのかもしれないと考えることはできる。しかし、うみねこの世界において縁寿・ベアトリーチェにはそういった行動を取る止むに止まれぬ事情があり、彼女の不幸な生育環境を含め受け手にもある程度納得がいくものであったと言えるのに対し、少なくとも現時点でこのような世界が現出する必然性・説得性が私には全く見出せないことも事実だ。
 
 
まあさすがにここから先は、綿騙し編という別の鏡を使い、もう少し世界を多角的に見ながら分析していくこととしたい(たとえばOPについては多少考えてみたけど、EDでやたらカレンダーがめくられてる理由とかも気になるしね)。
 
 
というわけでアテブレイビー、オブリガード(麒麟並感)。

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