「ひぐらし 業」3・4話考察:この世界はどこまで「現実」か?あるいは「うみねこ」との関連性

2020-11-11 11:38:28 | ひぐらし

というわけで前回の続きとなる「ひぐらしのなく頃に 業」(以下「ひぐらし業」)の3・4話に関する考察。結構長文なので先に結論を書いておくと、以下の通りになる(時間がない人はまとめだけどうぞ)。

 

1.

鬼騙し編は、主に「鬼隠し編+罪滅し編」という要素で成立している。ただし随所に綿流し編の要素も散見される。

 

2.

特徴として、犯人の「リバーシブル」という現象がみられるが、同時に「キャラの解釈違い」という要素もあるのではないか(ここでの「解釈違い」は、これまで話からすると、およそそのキャラにとって必然的とは思えない行動を取ることを指す)?

この見立てが正しいとすれば、次なる綿騙し編は同じく犯人のリバーシブルが成立することで、自然とあるキャラの解釈違いが成立する話になるのかもしれない(ただその場合、あまりにも「ひねり」のない話になるとも思われ、どういう描写にしていくのか楽しみではある)。

まあもっとも、これは詩子おねいさんに最近俺の脳みそが毒されていて、詩子症候群LV.5を発症しているだけ、という説もあったりなかったり( 。∀ ゜)アヒャ

 

3.

「リバーシブル」やキャラの「解釈違い」もそうだが、どうもひぐらし本編の「二次創作」的描写をわざとやっているのではないかとも予測できる(ラフに言えば、「同人誌」的なのだ)。これは「旧来のシナリオの単純なサンプリング」という意味だけでとられるかもしれないが、そうではない可能性が高い。

たとえば、レナに襲われた圭一の状況を見ると、生還しているのは奇跡的という表現を通り越して不自然極まりないとさえ言わざるをえない。これを先の「二次創作」とあわせて「リアリティの欠如」として解釈すると、ひぐらしと関連の深い「うみねこのなく頃に」(以下「うみねこ」)の世界構造が想起される(典型的なのは「スターウォーズ」的なEpisode2だろう)。

以上を踏まえてOPを見返すと、「アウローラ」(羽入のうみねこ世界での現身?)と思しきキャラクターが登場するし、また六軒島の聖堂らしきものまで一瞬ではあるが描写される。

なぜそんな世界構造になっているのかが全くのところ不明であるし今のところ予測の範疇を出ないが、少なくとも目の前に描写される世界をそのまま受け取るのはいささか危険であるとは言えそうだ。

 

というわけで、まとめは終了。以下、三話と四話で気になった部分を具体的に取り上げていきたい。

 

【第三話】

・大石が車の窓を開ける描写
まあこれは無印(鬼隠し編)にもあったヤツだけど、要するに圭一と接触してることを周囲にアピールして、彼を「撒き餌」にしようって腹なんだよね。Angel Mortで会話するなんてあからさまだし(Angel Mortが連続殺人の話をする密会の場所に向かないことなんて、綿流し編を知ってる人にとっては周知の事実だろう)。まあガチで聞かれたくないんなら、運転中にしゃべればええやん、てことでね。

まあこのあたりは、初見の人に「大石=全面的に信頼できる人物」ではないことを印象付けるための演出でもあるのだろう。

 

・レナの「頑張った」発言
ここから改めて、状況が罪滅し編に近いことがうかがえる(つまり家族関係でレナが相当追い詰められている)。ということは、今回の「鬼騙し編」とは、鬼隠し編の要素+罪滅し編の要素で構成されているということか(まあ元々両者は似た状況ではあるのだけど)?

とすると、次の綿流し編は、綿流し編+目明し編で構成されるということ?しかしその場合、どういう見せ方をするのか??大きく違う要素って梨花の死に方(前者は拷問死、後者は自殺)くらいしかない気が・・・

ちなみに、鬼隠し編は梨花自身が圭一は非常に不運な症候群の発症ケースであると言っているように、そうそう起こる事案ではないらしい(雛見沢に来て間もなくで、しかもほんの二日そこを離れただけで症候群が発症するのが珍しい、という話だった)。そういう意味では今回の展開の方が鬼隠し編より自然と表現できるかも。

 

【第四話】

・入江診療所が改装中
原作通りであれば、富竹が自殺して鷹野が焼死体で発見され(まあ後者は綿流し編まで進めないとわからない事実だが)、入江の裏切りを疑った組織が山狗を派遣して診療所を制圧したってことだろう。ただ、富竹が本当に自殺したかどうか、そして同様に鷹野が焼死体として発見されたかどうかは言及がなく不明(まあこの山狗たちの描写からは、富竹・鷹野が原作通りの状況になっていると推理するのが常道)。例えば後に述べる「リバーシブル」がより広く適用できるなら、鷹野は被害者で富竹が加害者になっていることすらあり得るのだから(そして入江がリアル黒幕と)。鬼「騙し」編とあるくらいだから、ここも思い込まずにカッコでくくっておくのが無難だろう。

 

・校舎裏での梨花のアドバイスシーン
ここは綿流し編を連想させる場面。これと鬼隠し編の惨劇の記憶を踏まえると、圭一が凶行に及ばないことの伏線と考えられる(鬼隠し編は誰にも相談できないことが疑心暗鬼を強め、最終的にはカタストロフへと到った。また作者自身がひぐらしという作品の惨劇回避・事件解決のポイントとして、「相談」ということを言及してもいる)。また、この描写からは梨花が「ひぐらし 業」第二話での羽入とのやり取りを踏まえて、部活メンバーが暴走しないように奔走していることがうかがえる。

 

・レナによる凶行
そうきましたかー!!鬼隠し編は「信頼できないがゆえの惨劇」だったけど、鬼騙し編は「信用したがゆえの惨劇」って意味ではリバーシブルな話だね。しかし、信用した相手に裏切られて腹を刺されるも生きてはいるってのは、これまた綿流し編を連想させる部分だ(そこで流れるTheme of Ownerは無印の中で最も好きな曲の一つ)。

 

・梨花と沙都子の死
憑落し編で詩音と沙都子が死んでいるシーンとよく似ている。あれは精神錯乱状態になった沙都子を詩音が助けようとして殺され、症候群によって沙都子も自死するというものだった。

沙都子が鬼騙し編で錯乱する必然性としては、描写こそないものの、レナがああなっているということはリナを殺害かそれに近い状態にした可能性が高く、そうなると鉄平にも何らかの影響があるわけで、彼が北条家に帰ってくるという状況になったのかもしれない(カレンダーでわかるが、意外と日は経っているので)。そして錯乱状態になった沙都子を宥めようとして、包丁で殺された、というわけだ(これもまた、圭一がレナを信用して窮地に陥ったのと同様、暴走した沙都子が危険だとはわかっていたけれども、必死に助けようとしたことが裏目に出たのかもしれない)。

しかしこの解釈で疑問なのは、沙都子も同じ包丁で死んでいるらしいことである。症候群が劇症化した場合、記憶の限り死ぬときは喉を掻き毟ってというのが共通していたはずだが・・・

 

・死闘の不自然さ
不穏な空気が一挙に爆発した第四話だが、これはどう考えても不自然な部分が多すぎる。

1.レナが拷問器具を準備すること(手錠・糸鋸etc...)

レナが直線的な凶暴さを秘めていることは罪滅し編その他でもうかがえる。しかし逆に言えば、彼女がじわじわと誰かをなぶり殺しにするようなシーンは、無印・解・礼はもちろん、プレステ2版の盥回し・憑落し・澪尽しのいずれでも見ることができない(ついでに言うと、ファンによる二次創作でも、そのような描写は一度も見たことがない)。確かに、罪滅し編では籠城戦で人質を攻撃する場面は存在するのだが、あれはあくまで人質をとっての交渉中ということもあり、圭一の家に単独でやってきた今回とは大きく状況が異なっている。まあ要するに、詩音の十八番とも言える拷問にレナが手を染めるには、今回の展開はあまりに必然性を欠いているということだ(ちなみに詩音が拷問をやっているのも、多くは村の中心人物たちから真相を聞き出すためであって、拷問自体が目的ではない)。

 

2.腹を刺されまくる圭一→なぜ死なない?というかこの世界は「現実」なのか?

そもそも、これだけ腹刺されて生きてましたってオチは無理じゃね?わざわざあれだけ大量に血が出てる描写もあるんだし。そこで必死に抵抗して(どう見ても死ななそうな物で)頭を殴り続けたレナの方が死んでるんだからなおのこと違和感がある(ただし、梨花や沙都子と違ってレナの死因については言及がないので、実はそれでは死んでなくて後に喉を掻き毟った可能性は残る)。

なるほど、人間どう見ても死んでるやろって傷を負いながら九死に一生を得るというパターンは現実にも存在するし、圭一の生存が絶対的におかしいとまでは言えない。しかし、もう一つおかしな点がある。すなわち、「一体誰が圭一を助けたのか?」ということ。

状況的に一刻を争う容態のはずだ。しかし両親は東京にいて、すぐに帰ってくることはできない。また魅音や梨花たちも可能性が低い。アポをしてないのももちろんだが、レナが圭一宅を訪問すること自体他の人間が知っている描写がなく、以上を察知してというのも考えにくいからだ(詳細な描写がないので予測だが、そもそも前原家は家が隣接しておらず、宅内で言い争ってもそれが周囲にまで漏れて・・・という事態があり得るのかも疑問である)。このような状況でも助けに来る可能性があるのは梨花だけだが(圭一とレナの様子を見守ってもいたので)、沙都子とともに死んだ話を考えると、彼女が圭一を救ったとも考えにくい。

とここまであれこれ書いたが、要するに言いたいのは、圭一があれだけ刺されて生還したのは不自然なことだらけだということである。こうなってくると、拷問するレナという「解釈違い」も含めて、果たして今見せられている鬼騙し編とは「現実」の話なのか?という疑いがもたげてくるのだ。

この「現実」とは、いわば「虚構内虚構」のようなもので、ひぐらしと関連の深い作品で言えば「うみねこ」を挙げられるだろう(これでわかる人にはわかるだろうし、この記事はうみねこのなく頃にのネタバレは極力避けようと思っているので、こういう表現にとどめる)。

これだけ見るとただの思い付きに感じられるかもしれないが、OPを見返すと・・・おいおい、45秒頃に登場するのは「アウローラ」(羽入と深い関係のある人物)で、終了間際に登場するのは六軒島の聖堂じゃねーか!?

こうなってくると、「ひぐらし 業」はますます「うみねこ」的な世界構造を持っているのではないかと感じられてくる。とするなら、次の疑問は「一体誰が何のために紡いでいる『物語』なのか?」ということだろう(縁寿のような必要性・必然性を持った存在がいるのか?)。

これは単なる考察のための問いではない。いささかメタい話で恐縮だが、そもそも「うみねこのなく頃に」はEpisode4までしかアニメ化されてないはずで、解答編にあたるEpisode5~8はゲームないし漫画でしか世に出ていないばかりか、ゲームの方ではかなり暗示的な描かれ方しかしてない(PC版しかプレイしていないので他では違うのかもしれないが)。

すると、「ひぐらし」を「うみねこ」的な手法で描き直すことに、どれだけの意味と必然性があるのか、そしてそれが視聴者にちゃんと伝わるのかを製作者側が計算しているのかが今一つ読めないのである。

まあこれ以上は情報が少ない段階であれこれ考え過ぎてもしょうがないので、5・6話を見て改めて考察してみることとしたい。


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