わかりやすいのは前回の「セブンスマートにて。」だが、さらに重いネタとして古手梨花の「予言」というのもある。実は私がオカルト混入をはっきりと疑い始めたのは、公式HPでスレッドを立てて「予言」内容の厳密な考察を展開したのと、それに対する「人為100%」の人々との議論の中でであった。というのも彼らの意見が、「人為100%」という枠組みを利用して真相に迫るというより、「人為100%」の立場を護持するための内容に成り下がっているように思えたのだ(※)。そして私は考えた。彼らをそこに縛り付ける原因は何なのかと。そして得た答えが、お疲れさま会が「人為vsオカルト」という図式をけしかけている、というものだった。それ以来、私は「人為100%」でもましてや「オカルト100%」でもなく、両方の要素が混ざっているに違いない、と確信するに到った。真実であるが故に、隠される必要があると考えたからだ(テーマ・主張には当てはまらないが)。
と前置きが長くなったが、今ここで古手梨花の「予言」について長々と述べることはしない。量が膨大に過ぎて、めんどくさい(笑)からである。まあ興味がある人はこのページに掲載された「予言」考察記事を参照してもらいたい(ちなみに元版の掲載時期は目明し編発売から一ヵ月後くらいだったと記憶している)。諦めと希望という古手梨花の複雑な内面をも読み解いたこともあって、今でもこの記事は(多少)自画自賛している。
まあそれは冗談としても、ひぐらしが(深読みでは無しに)ここまで読み込めるレベルの作品であることは少なくとも再認識してもらいたい。
※こういったひぐらしプレイヤーの様々な思考様式が見れるという点で、ひぐらし公式HPは文字通り壮大な思考実験場でもあった。この中身については、機を改めて書くことにしよう。
と前置きが長くなったが、今ここで古手梨花の「予言」について長々と述べることはしない。量が膨大に過ぎて、めんどくさい(笑)からである。まあ興味がある人はこのページに掲載された「予言」考察記事を参照してもらいたい(ちなみに元版の掲載時期は目明し編発売から一ヵ月後くらいだったと記憶している)。諦めと希望という古手梨花の複雑な内面をも読み解いたこともあって、今でもこの記事は(多少)自画自賛している。
まあそれは冗談としても、ひぐらしが(深読みでは無しに)ここまで読み込めるレベルの作品であることは少なくとも再認識してもらいたい。
※こういったひぐらしプレイヤーの様々な思考様式が見れるという点で、ひぐらし公式HPは文字通り壮大な思考実験場でもあった。この中身については、機を改めて書くことにしよう。
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