熊野本宮大社やら大斎原のような聖域のことを書いていると、学生時代に先輩と行った沖ノ島を思い出す(たまたま吉村作治がいておもしろかったw)。
さて、沖ノ島は女人禁制だが、女人禁制、女人禁制と言えば・・・バ美肉だよな(脳死的導入)。
ここで登場したるはバ美肉のパイオニア魔王マグロナであるが、今回のコラボを見て、もうひとりの代表的バ美肉である兎鞠まりとの大きな違いに気づくとともに、魔王マグロナの破戒力(誤字にあらず)の淵源を見出したように思える。
魔王マグロナの発言でゲームで失敗したときにリスナーが「かわいい」と評していることを「みんなバカにしている」とちょっと拗ねつつ言うシーンがある。しかし、コラボ相手たちが「それは本当にかわいいと思っている」と言っているように、実際その「ポン」的要素をかわいいと感じているリスナーは少なくないのではないか。
もう少し一般的な話をすると、だいぶ前にカラスヤサトシの『萌道』を参照しつつ書いたが、男は女のダメさに「萌え」、女は男の完璧さに「萌え」るのではないか、ということである(もちろん傾向の話であって、0-100で語れる話ではないが。他にも中国の例で言うと、纏足が導入された理由を連想するのも有益だろう)。
まあこれをさらに広げて「日本のアイドルはアマチュアリズムを尊ばれる傾向があって韓国のそれと異なる」といった話につなげられるかもしれないが、それは収拾がつかなくなりそうなので置いといて、とりあえず魔王マグロナの破戒力に話を戻すと、おそらくそれは無自覚さと未完成さにあるのではないか、と今回のコラボを見て感じた次第だ。
つまり、無自覚に「ポン」的行動を「かわいい」と言われることが理解できず、恥ずかしがったり怒ったりし、またあるいは緑仙が指摘したように、(性癖をこじらせさせて「すまん」など)相手がうっひょーとなってしまう(笑)発言を無自覚にしてしまうあたりが、魔王マグロナがリスナーに境界を越えさせてしまう=破戒王となる主要因ではないか、ということだ。
これは兎鞠まりと比較するとわかりやすい。いずれ別稿で書くつもりなので詳細は省くが、端的に言えば「初期」、「メスガ期」、「円熟期」とも呼べる三段階に大別することができるこのライバーは、実は初期が最も「ガチ恋」になる危険を孕んでいる(いた)と実見していて感じる。むしろ今は、立ち居振る舞いから言動までエンターテイメントとして完成されており、その状態が本人もいうように「今はガチ恋というよりお友達感覚の人が多くなった」という変化につながっているのではないだろうか(もちろん、認知度が上がったり積極的なコラボで目にする機会が増えた結果、ライトな視聴者も割合として増えたという要素もあるだろうけど)。
ともあれ、魔王マグロナ・兎鞠まりの各々に魅力があるのであって、どちらも分量・用法を守って摂取することが吉であると述べつつ、この稿を終えることとしたい。
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