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二面性や前提への意識

2005-11-28 18:50:03 | 抽象的話題
悪があるから善がある、狂気があるから正気がある。そういった二面性に対しての意識はどれほどあるだろうか?また例えば「隣人愛」という概念が、人との埋めようの無い断絶という認識・絶望を前提として生まれてきたということはどれほど認識されているだろうか?

人は関係のない人間を往々にして助けない。だからボランティア活動は尊いのである。人はしばしば欲望に忠実に生きる。だから禁欲という行動が神聖視される。他人と感覚をともにすることはできない。だから他人を理解しようとする姿勢が必要とされるのである。絶望があるから希望が、悲しみがあるから喜びが、不自由があるから自由が、義務があるから権利が…こういった二面性や前提を理解することなしに、ただひたすら「正義」や「隣人愛」といったものを神聖視したり、「聖人君子」や「英雄」という偶像を作り出して疑わないなら、それはいびつな精神構造しか生み出さないであろう。物事の一面性[善いとされる面]ばかりが強調される現状をみるにつけ、そう思わずにはいられない。

こういった観念がしっかりしていれば、「英雄」などと言われる存在を(批判ではなく)貶めて楽しむというゆがんだ行為からも脱却することができるのではないか。ある人の業績は、当人の私生活や性格をも模範的であることを意味しないのは、少し考えれば自明の理のことだ。そちらの面も模範的というのなら、それはもちろん非常にすばらしいことではあるが。
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