嘲笑の淵源:ダイナマイト in 熊本

2016-10-16 12:40:07 | 抽象的話題

前回の「私を縛る『私』という名の檻」という記事で、私は自分を「驕慢」と評価した。これについて、読者の中には訝しく思ったり、あるいは自省できていると見せかけるための誤魔化しだと疑う向きもあるだろう。それは当然の推測だ。というのも、他人を「情報」とか「デバイス」などと呼んでいる人間の自己評価ならば、それが相手をコントロールするためのレトリックではないかと疑ってかかるのは自然なことだからだ(もっとも、これについて私は「コンビニの店員が如きもの」という記事も書いており、顔も知らない読者たちをコントロールしたところで私の利益は皆無であるがゆえに興味はないのだが)。

 

しかし、こう評価するのには正当な理由がある。前回の記事では、「本当の自分」というのが(ここが「経験的に」でない点が、あらゆる人間に当てはまりうるという意味で重要な部分なのだが)論理的に虚構であることを自覚し、その結果として妙な縛りがなくなってある意味「底が抜けた」人間になったと書いた。言い換えれば、それは解放の話なのだが、自己の「可能性」という点においてはもっと別の側面もある。今回はその話をしたい。

 

前回の記事では、周囲に合わせないことが「本当の自分」などということは全くないということに気づき、積極的に様々なコンテンツや思考を取り入れる素地ができたという趣旨の表現をした。しかし、そのことに気づくまでどんどん精神を病んでいく時期があった(まあ気づいてからも大なり小なりそういう傾向が無くなったわけではないのだが)。それを最も端的に示すのは、人が自分が嗤っている幻聴が聞こえていたことである(これはさすがに錯覚だと認識していたが、錯覚でありかつ自分が病んでいることを認識しつつなお症状が改善しないのには「病」がそれほど大したことがないということなのか、冷静に病んでいるのか、はたまた客観視しているからまだ大丈夫という発想自体が根本的に間違っているのかと疑問に思ったものだ)。

 

ところで、このような状態へ至るのに日常的な物理的暴力であるとか、明白な精神的嫌がらせがあったのなら、まあわからんでもないと思う。しかし(集合体として表記すること自体ある種の錯覚だとは思うが)クラスの人間たちは、私を扱いにくそうにしながらも明確な敵意をもって接してくることはなかったと記憶している(というか当時の私はそう認識していた)。また、私が彼らに合わせる義理がないのと同じように彼らが私に合わせる義理もない・・・と頭ではわかっている。しかしそれでも、自分が狂っていっていることもまた手に取るようにわかる。自分の脆弱さに驚愕し自己嫌悪に苛まれると同時に、この苦しみは、不全感は誰のせいか?という考えが頭の中を堂々巡りする。しかし、特定の「犯人」がいるわけではない。強いて言うなら、この環境そのものが「悪」であるか、あるいはその環境になじまない私が「悪」である。後者を突き詰めるとドロップアウトや自死という選択になるわけだが、それはそれで納得がいかない(これについては、「自分は悪くない」という認識よりもむしろ、進路などの計算の問題だ。学校を移ることも頭をよぎったが、三年間の期間限定であったからこれをどうやり過ごすかという思考が支配的だった)。では前者ならどうなのか?先に述べた理由で、特定の誰かを傷つけるのは論理的におかしいし、むしろ個々人を見れば「いい人」が多いので感情的にも全く気が進まない。では一体どんな「筋の通し方」があると言うのか?

 

今述べたようなことがグルグル頭を巡って巡って巡って行きついた答えが、「授業中にクラスを自分ごと爆破」である。読者諸兄はいきなり飛躍があると感じるだろうしそれはまともな反応だと思うので、説明するとこういうことだ。特定の人間(たち)を攻撃対象にするのは全く正当性がない。しかしこのまま精神が病んでいくと、たとえそのように論理的思考ができる頭が残っていたとしても、いつか自分が堂々巡りの思考からコースアウトして目の前の人間を殺傷してしまうことがありえる。であるならば、攻撃対象をクラスレベルとし、さらにその方法を爆破という手段にするなら実現可能性は極めて低く(当時は1996~1998年辺りで、そういうのに「使える」知識へ簡単にはアクセスできなかったので)、少なくともそれを実現しようとする程度に「病」が進行するまでには卒業することになるだろう、と。このようにして、自分が凶行に到ることを回避する目的で考え出した荒唐無稽な「計画」ではあるが、今思えばそこには「特定の誰かを対象としてはならない」・「このクラス=隔離病棟にはほとほと嫌気が差している」・「そう思う手前勝手な自分にも憎悪すら感じる」という三つの思考が如実に反映されてもいたのであった。

 

結局、「本当の自分」という観念的縛りからの脱却、それによる周囲との多少の融和、受験という目標の設定、予備校という学校外空間の確保などなどもあって、私はそのような凶行に到ることはなかった(まあやっていたらこうしてものを書いているわけはないが)。とはいえ、今述べたような手前勝手な思考の道筋を「論理的に」辿ったがゆえに、通り魔がよく言う「誰でもよかった」という発言が、実のところ「特定の誰かではなからなかった」であることがよく理解できる(念のため言っておくが、それは彼・彼女らの行為が正当であるという意味では全くない)。しかし、少なくとも私の見てきた限り、このような読み替えは秋葉原通り魔事件に関する『アキハバラ発』ぐらいでしか指摘されていないから、一般的な人にとっては埒外にある思考なのかもしれない(もっとも、「不全感とテロール」といった捉え方をするならば、ISとそれへのリクルートなど含めていくらでも対象を広げて考えることができる)。

 

ともあれ、このような経験を経て、私は自分がどれほど脆弱で、どれほど手前勝手かということを嫌というほど思い知らされた。これは単に自己嫌悪などという感情的な問題でもなければ、到底許されないことを考えていたなどという道徳的・倫理的な問題でもない。前に「嘲笑の淵源」で書いたように、私は中学の頃自分の極限状況に思いを致せない人間は愚かだと確信していた(というか今でも確信しているが)。しかし、他人にそのような思考態度を要求しながら、自分が全くそれをできていなかったことが暴露された結果、己の論理的思考能力のなさと自己欺瞞は隠しようもない事実として私に突き付けられたのだ。こうして、他人に対する嘲笑は、己に対してをも向けられることになった(そしてそのような自己への冷笑的態度ゆえに、「ダイナマイト in 熊本」という馬鹿げた題名をつけることにしたのである。これほど事態を端的に表しながら、同時に喜劇的で戯画的な内実を説明するのに適切な表題はないだろう)。

 

さて、今述べたようなことを踏まえてもなお、私は他人に気づかされたとは思わず(自分で気づいたと考え)、他人(の多く)をある意味対等な存在として敬意を払っていない。これこそ、私が自らを「驕慢」と評する理由に他ならない。ただ、驕慢と自覚するがゆえにまた、ある種の自己破壊欲求(この「破壊」は必ずしも否定的な意味ではない)が止まることもないのである・・・このように書くといかにもネガティブに聞こえるかもしれないが、自らの脆弱さを経験するということは、今の自分が別の状況になると極めて非合理的で独りよがりな判断をしうるとの戒めにもつながる(これはたとえば、「下流老人」「失職女子」に対する反応への違和感につながっている。とはいえこれには、私のような経験の有無よりもむしろ、想像力を蝕む「作為の契機の不在」[=今あるものが続くのが自然であるという発想]と、刻印された強迫的な平等信仰[=なぜ俺ができるのにあなたはできないのかという思考を悪気なくしてしまい、できないのではなくサボっているだけだとみなしてしまう]といった背景も考えないと意味はないと思うが)。そしてこれが、「イミテーションゲーム5」において、私がその加害者について交換可能だと考える理由の一つである(※)。

 

※追記

「もう一つあるが、それは別の機会に述べる」と元々書いていたが、少し別の話を付け足して終わりにしたい。今述べたような思考を経験した私としては、たとえば「葛城事件」などはとても身につまされる話だ。これはとうとう自分の不全感が通り魔という形で噴出してしまった話だが、この犯人は言動の端々から、早く死刑にしてほしい(早く自分を罰してほしい)という願望がうかがえる。このような人物、というか行動様式に対して厳罰化は全くの無駄であることは言うまでもない。むしろ罰してほしいと思っているからだ。

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