愉しいASMR:声・音・バイオポリティクス

2020-06-14 11:27:09 | 生活

さぁてそれじゃあシュンペーターの事を書く・・・と思っていたのか!今日は天然ASMR、つまりクリムゾン姐さんのvoiceについてお話しようじゃあないか。

なんて涼やかな声っっ・・・悔しい、でも聞き入っちゃう(ビクンビクン)次にお前は、「この女(ひと)になら操られてもいい!(≧▽≦)」と言う・・・この女(ひと)になら操られてもいい!(≧▽≦)・・・ハッ!!

というわけで(何がだ)、声の吸引力がハンパなすぎて、高貴さ・尊さ・妖艶さのジェットストリームアタック(古い)の前に立ち尽くすしかないわけだが、そもそも何回かに分けて紹介している新反動主義が反近代・反理性という要素を強く持っていて、それゆえ身体性や機械といったものを強く志向することを考えれば、「声」もまた、音の一領域として我々を生―権力的にコントロールするツールの一つとして機能しうることは言うまでもない。

『ニック・ランドと新加速主義』ではダブステップやヴェイパーウェイブが取り上げられているが、その系譜ではなくても例えばSPKというバンドはノイズミュージックという形で死や狂気を探求した音楽を多数発表し、後世に大きな影響を与えた(まあガラスを引っ掻く音の根源的な不快感とかがわかりやすいかなw)。このような方向性は啓蒙や理性を言祝いだ近代と相反するもの(端的に言えばタナトス)だと容易に理解されるところかと思うが、そうすると新反動主義にも連なるエートスを持っていると言えるだろう。要するに、音楽というものを通じて理性に飼いならされることからの解放を目指す、というベクトルは新反動主義よりも前から存在していたわけだ。

実はこれを逆の方向に活用することも可能で、戦意高揚歌などはその典型だが、そういう見地より古来からの音楽や歌を振り返ってみた時に、それらは人間を(友愛であれ殺戮であれ)変性意識へと誘うツールとして機能してきたのであって、BGMという形で世の中へ余りに音楽が浸透しすぎたゆえに、その由来が忘却されがちであるに過ぎない。

こうしてみると、認知科学やAIの発達、そしてそれを元にしたASMRの研究は、いかに強制力を伴わずに、即ち自発的に人をコントロールする生―権力的支配の方法として有効であろうと思う次第である(前にも書いたが、『1984』的に権力者が強制的に何かをさせるのではなく、身近な存在がそれとわからぬ形で私たちをコントロールするようになっていく。こういう方法は、マックの椅子に限らずどんどん増えていくであろう。それが、「自由意思でAIの『奴隷』となる」ということだ。かかる状況において、自由意思への信仰はナイーブを通り越して害悪にすらなりうる)。

・・・とか何とか。いや~怖いねえ、怖いから、俺寝る(˘ω˘)てことでムズカシー話はこの辺にして、もう一回ASMRを聞きなおすかにゃ(・∀・)


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