整理の副産物:過去の記録は改竄済み

2019-10-10 12:56:49 | 日記

前にも書いたが、データ整理をしていると、色々な画像が出てきてつい遊びたくなる(注:片付け停滞フラグ)。というわけで、今回はcomicaで加工したものをいくつか紹介したい。なお、時系列はバラバラである。 

 

 

こちらはトルコのブルサ。2005年の二回目のトルコ旅行終盤の写真(それまではエルズルム→ドゥバヤズイット→アダナ→アンタクヤ→スィワス→ディブリ→マルマラという具合に移動していた)。西アジア独特のハーラ(街区)構造に見られる迷路のような路地裏は異国情緒に溢れていて、眩暈を引き起こすのに十分である。

 

 

 

 

こちらは王子駅前。王子住まいのケンシロウ宅に遊びに行っていたのはもう15年ほど前だが、王子駅の先に行ったことはないのに気付き、歩いて北上した時の写真(ちなみにその時は、舎人ライナーの終点付近まで歩いた)。

 

 

こちらはブハラのバハウッディンモスク。ナクシュバンディー教団の総本山として、多くの巡礼者が訪れる場所である。ここに来た際に、昔自分の興味が突厥→西ウイグル→カラ=ハン朝→オスマン朝と西進したことを想起した(ちなみに、この分野で史料上の制約から前述のように研究分野が変化するのはよくある話)。私の興味はトルコ系民族のイスラーム化であり、たとえばハナフィー派との関係であった(具体的には、同派は酒飲んでもOKとか法解釈が四法学派の中で一番ゆるめなので、既存の慣習を維持したい[しかしジハードの名目で攻撃されるのは避けたい?]人々にとって好都合だったのではないか?という具合。ちなみにオスマン朝時代のダマスクスについて書かれた『クダートアルディマシュク』のカーディーたちも、高位の者はハナフィー派で占められていたと記憶している)。

まあこの機会にその辺をちょいちょい勉強してみるのもありかな、と思ってみたり。

 

 

 

これは新宿都庁付近の景色。復活した「あるでん亭」で飯を食った後、腹ごなしで歩いてる時に撮影したものだったはず。

 

 

これはタシュケントのバラクハン=メドレセ・・・のはず(適当)。北西部に旧市街に位置し、付近にはクルアーンの博物館やチョルスバザールが存在する。タシュケントはこれらの地域と新市街のギャップ、また二つの空港付近の町並みとのギャップがおもしろかった。

 

 

これ、どこだっけ・・・忘れたw

 

 

最後はサマルカンドのティラカリ=メドレセ。 レギスタン広場の正面にあり、内装の美麗さではウズベキスタンで見た中で一二を争う。惜しむらくは広場がコンサート仕様じゃなかったらなあ・・・まああるのかわからんがタジキスタンとかに行く機会に恵まれたら、サマルカンドはリベンジしたいものだ(ブハラは三日いたので完全に飽きたw)。

 

 

というわけで今回はこの辺で。


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