涼宮ハルヒを再読してわかった(正確には思い出した)ことは、
傍若無人なキャラにはムカつく
という自分の性質だ。いや、この言い方ではまだ不正確。この反応が男キャラに対して出ることは稀だから、
傍若無人な女キャラにムカつく
というのがより正確だろう(なお、この反応の源泉は不明)。ただ、いつもそうだと言うわけではなく、調子がいい時は冷笑程度で済むのだけど、たいていはそういうキャラを見ているとイライラする。そして涼宮ハルヒは、よりによってその王道を行くキャラなのだ(※)。これが、俺がハルヒを楽しめない大きな理由の一つになっているのは間違いない。
さて、問題はここからだ。というのも、そのハルヒの傍若無人さは無くすべきかと言えば、間違いなく必要なのである。そもそも「涼宮ハルヒ」の物語はハルヒの傍若無人さによって成立しているのだし、もっと言えばハルヒの傍若無人さを軸に話が展開し、そこに「常識人」のキョンが巻き込まれたり突っ込んだりするという二重構造がハルヒの根幹にはある。そのため、そこから傍若無人さを取ったらせいぜい「キョンの微妙に面白いモノローグ」程度になるのが関の山なのだ。
それゆえハルヒから傍若無人という要素を削ったら、演出的に失敗どころか話が成立しなくなるとさえ言ってよい。そこまではわかる。しかし……しかしだ。それを理解してなおムカつきが止まらないのだ(※2)。もうこういうレベルになると、単純に出来がいいとか悪いとかではなくて「合わない」と言った方がいいのだろう。だから、涼宮ハルヒの評価で公正を期すなら、「感覚的に合わない部分があるため、評価がいつもより辛口になっている」と述べておく必要があるだろう。
ちなみに。この問題をはっきりと自覚したことで前よりは苛立たずに読めるようになった。「問題というものはその在り処を明らかにした時点でその半分が解決しったも同じだ」とはよく言ったものである。
※
他に例を挙げておくと、『あずまんが大王』のトモや一部で傑作と名高いパソゲーRumbleなどが、イライラさせられた傍若無人な女キャラである(Rumbleはやっててかなりストレスが溜まったので1時間くらいで止めた)。その傍若無人さがおもしろいのだとわかっていても、この生理的な反応はいかんともしがたいものがある。
※2
ちなみに、キョンの突っ込みや反発にそういったムカつきを代弁するための装置という側面を持たせているのは上手い。例えば『涼宮ハルヒの溜息』においては映画撮影でその傍若無人さにイライラするわけだが、ある程度まで行くとキョンが噴火する(そしてさらにハルヒが落ち込む)ことで読者の苛立ちを巧みにガス抜きしている。本来その傍若無人さが話の展開にも笑いにも重要なのだが、それが読者の中に苛立ちも醸成していることを熟知した演出だと言える。
傍若無人なキャラにはムカつく
という自分の性質だ。いや、この言い方ではまだ不正確。この反応が男キャラに対して出ることは稀だから、
傍若無人な女キャラにムカつく
というのがより正確だろう(なお、この反応の源泉は不明)。ただ、いつもそうだと言うわけではなく、調子がいい時は冷笑程度で済むのだけど、たいていはそういうキャラを見ているとイライラする。そして涼宮ハルヒは、よりによってその王道を行くキャラなのだ(※)。これが、俺がハルヒを楽しめない大きな理由の一つになっているのは間違いない。
さて、問題はここからだ。というのも、そのハルヒの傍若無人さは無くすべきかと言えば、間違いなく必要なのである。そもそも「涼宮ハルヒ」の物語はハルヒの傍若無人さによって成立しているのだし、もっと言えばハルヒの傍若無人さを軸に話が展開し、そこに「常識人」のキョンが巻き込まれたり突っ込んだりするという二重構造がハルヒの根幹にはある。そのため、そこから傍若無人さを取ったらせいぜい「キョンの微妙に面白いモノローグ」程度になるのが関の山なのだ。
それゆえハルヒから傍若無人という要素を削ったら、演出的に失敗どころか話が成立しなくなるとさえ言ってよい。そこまではわかる。しかし……しかしだ。それを理解してなおムカつきが止まらないのだ(※2)。もうこういうレベルになると、単純に出来がいいとか悪いとかではなくて「合わない」と言った方がいいのだろう。だから、涼宮ハルヒの評価で公正を期すなら、「感覚的に合わない部分があるため、評価がいつもより辛口になっている」と述べておく必要があるだろう。
ちなみに。この問題をはっきりと自覚したことで前よりは苛立たずに読めるようになった。「問題というものはその在り処を明らかにした時点でその半分が解決しったも同じだ」とはよく言ったものである。
※
他に例を挙げておくと、『あずまんが大王』のトモや一部で傑作と名高いパソゲーRumbleなどが、イライラさせられた傍若無人な女キャラである(Rumbleはやっててかなりストレスが溜まったので1時間くらいで止めた)。その傍若無人さがおもしろいのだとわかっていても、この生理的な反応はいかんともしがたいものがある。
※2
ちなみに、キョンの突っ込みや反発にそういったムカつきを代弁するための装置という側面を持たせているのは上手い。例えば『涼宮ハルヒの溜息』においては映画撮影でその傍若無人さにイライラするわけだが、ある程度まで行くとキョンが噴火する(そしてさらにハルヒが落ち込む)ことで読者の苛立ちを巧みにガス抜きしている。本来その傍若無人さが話の展開にも笑いにも重要なのだが、それが読者の中に苛立ちも醸成していることを熟知した演出だと言える。
あんな元気な女の子に振り回される高校生活だったら、楽しいんじゃないかなと思いました。ただ、私は男子校だったので女子高生の実際は知らないんですが・・・w
でも、「消失」とかいうのはこれと違って、お気楽な話ではなさそうですね。そのあたりの深さをギーガさんは評価なさっておられるようですね。
まとまりがありませんが、これにて失礼します。
ちなみに、私が評価しているのは『消失』よりもむしろ『溜息』なのですが、それについてはまた書くと思いますのでそちらをご参照ください。
ということで機会があったら観て下さい。いや、聞いてくださいかなwCDもでてますし。