目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

ウォーキング塾地区活動(北部) 菅刈、東山、上目黒コース 約5.4km

2016-05-30 09:17:16 | ウォーキング
5月27日よりウォーキング塾が始まり、今年のウォーキング塾は金曜日開催ということで、翌日の地区活動はちょっと辛いです。ウォーキング塾後の反省会参加者も少なく、その割に地区活動参加者も少ないんじゃない?


写真:この旗を持って歩きます
ウォーキング塾には北部地区から8名の参加者があり、そのうち三名が地区ウォークに参加してくれました。塾初回の翌日ということを考えれば、三人の参加は上出来でしょう。

集合は中目黒GT。目黒川舟入場へ移動してストレッチをして、共済病院側へ渡ってから上流へ向かいます。駒沢通りを歩道橋で渡り、目黒川にかかる「皀樹橋」を読めますかと塾生に質問。解答は「さいかちばし」です。難しい漢字ですね。
美味しいプリンのマハカラの角を右に曲がり、キンケロシアターの前を通り菅刈住区の前の信号を渡り菅刈公園へ向かいます。菅刈という字名は平安時代の荘園「菅刈荘」からきており、歴史のある字名なのです。


写真:菅刈公園の梅の実

写真:菅刈公園のカキツバタと日本庭園
菅刈公園はもともと西郷従道邸があったこと。その後国鉄の官舎となり、国鉄スワローズの宿舎があり金田正一さんなどが過ごしたことなどを説明し、少し多めの10分くらい休憩を取りました。
装身具のミキモトさんのバラの花を眺め、山手通りを渡って目黒川沿いを歩きます。首都高大橋ジャンクションを説明し、東山貝塚公園へ。塾から参加している方は大橋ジャンクション近くのマンションに住んでおられる方などがいらっしゃるのですが、貝塚公園は初めての様でした。
池尻と東山を分ける区界の道を通り、加藤家の墓地で豪族加藤氏の話などをします。Wikipediaで上目黒氷川神社の由緒には「当神社は天正年間(1573年~1592年)に当地の旧家加藤氏が甲斐国・上野原の産土神をこの地にむかえたものであるといわれている。その後、明治11年(1878年)に上目黒1-8にあった浅間神社を当神社に遷座、明治45年(1912年)に北野神社を合祀したものといわれている。」とありました。
池尻の旧陸軍馬糧庫で現在クロネコヤマトなどが使っている倉庫を説明し、国土地理院跡地へ。この辺りまで来ると「地域のことを何も知りませんでした」との声が塾生から聞かれます。


写真:寿福寺
東山いちょう通りを抜けて、寿福寺へ。この辺りの古い字名は「宿山」で、江戸時代の道標に宿山と書いてあるものがあり、現在は町会の名前に使われています。代官山交番と旧朝倉邸の前の目切坂を下り、小川坂を経由し野沢通りから蛇崩へ向かう道が昔の鎌倉街道で、宿山を目指してくる途中の目黒川に架かる橋が宿山橋という名称です。ちなみに東山は、宿山の東という意味です。
寿福寺は江戸時代初期に建立された古いお寺で、我が町の鎮守である烏森神社もかつては寿福寺の境内にありました。

目黒テニスクラブ前の急坂を下り、花で彩られた蛇崩川緑道を下ります。上目黒二丁目公園をお借りしてウォーキング後のストレッチをして、解散となりました。
この日は皆で食事に行こうということになり、鳥元でランチをしながら少しだけビールを飲んで、普段はあまり話さない女性陣ともゆっくりお話ができました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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