目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

東横フラワー緑道・中華街コース 約6.6Km

2018-07-03 09:27:18 | ウォーキング
前日までめぐろウォーキング塾の地区ウォークをしていたクラブもあるのですが、すこやか歩こう会ではこの日から通常モードに戻りました。予想最高気温が33度だったので通常ならば中止とするところですが、会食の予定があり自由参加となりました。いつもは歩行誘導員の方にお世話いただいているのですが、担当歩行誘導員を含めてご自身の体調を考えてご参加くださいという意味の「自由参加」となりました。



東横フラワー緑道
2004年にみなとみらい線開通に伴い、東横線横浜駅は地下へ移り相互接続が始まりました。東白楽・反町間で東横線が地下にもぐることになり、線路の跡地に整備されたのが東横フラワー緑道です。中目黒GTに集合し、中目黒から急行に乗り菊名で乗り換えて東白楽駅を目指します。この時期は午前中に歩くので、スタートは通常10時なのですが、横浜方面へ向かう際は9時45分になります。週末10:03の急行が武蔵小杉止まりになってしまうので、10:00以降最速で横浜に到着する列車が10:13の特急までなく待ち時間が長くなってしまうことに加え、この特急が混むので9時45分スタートにして無駄な待ち時間をなくしています。
東横線の優等列車は急行と特急が交互に来るのですが、特急の5分後に急行が来て、そのあと特急が来るまでは10分の間隔があるので急行の方が座りやすいというメリットがあります。中目黒・横浜の所要時間は急行が27分、特急が23分ですが急行が特急に抜かれることはありません。
渋谷・横浜間を結ぶ東横線は横浜が渋谷の南西にあるので渋谷寄りが東で横浜寄りが西という印象があります。しかし横浜に向かい白楽駅の次の駅が東白楽になり「どうして?」という疑問が湧く(そんなことを考えているのは私だけ?)ので、調べてみると白楽・東白楽間はほぼ南下しており、東白楽の方がわずかながら東にあるそうです。その差経度にして5.3秒です。白楽駅の名前の由来をWikipediaから引用します。
駅周辺は神奈川宿の伯楽(ばくろう。馬喰、博労とも書く。馬を治療したり仲買したりする人)が多く住んでいたため、伯楽が転じて白楽(はくらく)となったもの。馬喰に因む地名は日本各地に存在する。白楽天とは無関係。


ストレッチにお借りした二ツ谷公園
風があり、時々雲がかかるものの、梅雨明けしたこの日は太陽が容赦なく照り付けて、日陰のないこの公園のわずかな日陰に隠れながらストレッチをしました。


ムクゲ

アジサイも終わり


アバカンサス

サンドアート
この時期アバカンサスがいつもきれいに咲いています。記録的な速さの梅雨明けでアジサイも「ちょっと待てよ!」と言いたいところでしょう。


東横フラワー緑道

ミッキーマウスの木

キバナコスモス

線路の装飾

反町駅
線路の跡地ということで広さもあり、アップダウンが少なくとても歩きやすい道です。オブジェと言っていいのか線路のようなものがありますが、東横線の狭軌より広く、標準軌くらいありそうです。反町駅は歩道橋で東海道を越えた高い位置にありました。



高島山トンネル

トンネルを抜けると下り坂
渋谷・桜木町間を走っていたころの東横線にはトンネルが二つあり、この高島山トンネルと、現在も残る代官山トンネルです。高島山トンネルの路面にも、線路がデザインされているのですね。


横浜駅近くの工事現場
ここはずっと工事が行われていますが何になるのでしょう?東横フラワー緑道はこの先線路跡を桜木町まで行けるようになりますが、この先の開通はずっと先になるとのことです。


新田間川

きた東口通路

横浜ポルタ
きた通路を通り西口から東口へ移動します。中央通路はものすごくたくさんの人が歩いていますが、こちらのきた通路は歩きやすくてより利用させてもらいます。横浜ポルタの開業は1980年だそうです。大学に入った頃ポルタにある写真屋さんでフィルム販売のアルバイトをしたことがありますが、出来立てだったのですね。


そごう横浜店 鐘の塔

はまみらいウォーク


帷子川
「鐘の塔」について動画の投稿はあるものの、これそのものの説明は見当たりませんでした。そごうの隣のスカイビルにある銀座ライオンには先日行きました。西口より混んでいないのでいいのですが、ジョイナスのライオンの雰囲気もいいんですよね。帷子川(かたびらがわ)ではいつもヨットの模型船を浮かべている人がいます。


日産グローバル本社
SUPER GTというカテゴリに参戦するニスモチーム23号車「MOTUL AUTECH GT-R」だそうです。


みなとみらい地区の歩道橋

風力、太陽光発電


横浜美術館

ランドマークタワー
みなとみらい地区にはまだまだ広大な空き地があり開発が進んでゆくことでしょう。美術館前の噴水で子供の水遊びがうらやましいです。炎天下で大人でも水を浴びたくなるような気温で、数人のお母さんは子供と一緒に水遊びをしています。


ドック・ヤード・ガーデン

ハード・ロック・カフェ

日本丸シーカヤック教室


練習帆船日本丸

インターコンチネンタルとコスモクロック

汽車道
横浜博覧会は1989年だったそうです。メイン会場となっていたこのあたりが「ザ・ヨコハマ」という感じがします。汽車道の線路のデザインも東横フラワー緑道と同じ幅ですね。横浜博覧会の頃にはまだ貨物の線路があり、ここを歩けるようになったのは博覧会の十年後だそうです。汽車道についてWikipediaから引用します。
汽車道は元々、ウィンナープロムナードと呼ばれていたが、1996年(平成8年)に行われた名称公募により改称となった。1911年(明治44年)開通の旧横浜駅と新港埠頭を結ぶ臨港線(通称税関線とも)の廃線跡を利用し、その一部にあたる約500mの区間をレールも残した上で緑地として整備したものである。
この臨港線は当初貨物輸送目的で作られたもので、新港埠頭内の横浜港荷扱所(後に横浜港駅へ昇格)を経由して岸壁や倉庫の前、さらに横浜税関構内の荷扱所まで結んでいた。一方、1920年(大正9年)からはサンフランシスコ航路の出航日に限り、旅客列車(ポートトレイン)の運行が行われるようになった。戦後は米軍により一時接収されたが、1952年(昭和27年)に返還され、以降1961年(昭和35年)の氷川丸の最終航海時まで旅客運送が行われていた。
その後、貨物支線としては1986年(昭和61年)に廃止となったが、1989年(平成元年)の横浜博覧会開催時にはこの路線を利用して会場ゲートがあった桜木町駅近辺(日本丸駅を設置)から山下公園の氷川丸付近(山下公園駅を設置)まで旅客列車(気動車)の運行を行い、博覧会終了と共にこの区間も廃線となった後、1997年(平成9年)に汽車道として整備されるに至った。
汽車道は日本丸側と新港地区を2つの人工島並びに3本の橋梁で結ぶ構造となっている。また、開通当時に架設されたアメリカ製とイギリス製のトラス橋を改修・保存しており、新港地区からの列車が頻繁に行き来していた頃の、かつての面影を残している。



高岡丸のイカリ


赤レンガ倉庫
いつもイベントをやっていて全貌が見えない赤レンガ倉庫ですが、この日は全貌が見えました。


象の鼻パークの転車台
開港当時の横浜港です。


大桟橋ターミナル

山下公園から大桟橋

山下公園からベイブリッジ

氷川丸
象の鼻パークの転車台は関東大震災で埋もれていた遺構が公園の整備時に見つかったものですが、山下公園もまた震災と大きくかかわっています。Wikipediaから引用します。
関東大震災の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが瓦礫などを使って海を埋め立て造成して、1930年(昭和5年)3月15日に開園した。面積は 74,121m2 。なお、横浜市は「日本最初の臨海公園」としているが、海に面する公園が当時既に存在しており、定義が明確ではない。
開園後40年に渡り、公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、これは実現せず、後に東の隣接地に山下埠頭が造成された。現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されている。


山下公園でストレッチをした後、中華街での会食となりました。暑い中歩いた分だけビールがおいしいと思ったのですが、紹興酒もおいしかった。歩いた後の楽しくお食事が、すこやか歩こう会のモットーです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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