目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

谷津干潟コース 約5.8Km

2019-09-25 14:51:22 | ウォーキング
昨年のこの時期はキリンビール生麦工場をゴールとしたコースだったのですが、今年はサッポロビール千葉工場を目指すコースを復活させました。日陰がない部分が苦行ともいえるコースなのですが、ゴールで味わうビールがおいしくて。。。


津田沼駅前千葉工業大学
集合は中目黒GTで中目黒→日比谷線→茅場町→東西線快速→西船橋→総武線各駅停車→津田沼とやってきました。私の母校で学生時代もこのルートで通学していました。文化会の合宿で「津田沼の『津』は『谷津』の津」と聞いたことは印象に残っていたのですが、他の二文字の由来は忘れています。Wikipediaから引用します。
1889年4月1日 - 町村制施行にともなう明治の大合併により、千葉郡北西部の谷津村・久々田村・鷺沼村・藤崎村・大久保新田が合併して千葉郡津田沼村が発足(谷「津」・菊「田」あるいは久々「田」・鷺「沼」の合成地名)。旧村の区域により、谷津・久々田・鷺沼・藤崎・大久保の各大字を編成する。


谷津駅へ向かう道

京成本線

京葉道路
谷津駅へ向かう道、以前は狭かったので拡張されたようです。東側にあった友人の家がそのままの位置にあるようなので、西側に拡張されたのでしょう。あいまいな記憶ですが畑が広がっていたような気がします。今はマンションが数多く立ち並んでいます。
京成線の踏切あたりは以前の道幅でした。千葉街道を横断するとそのバイパスである京葉道路が見えてきます。


谷津公園

谷津バラ園




巨人軍発祥の地
谷津公園はバラ園や、谷津干潟北側の遊歩道まで含めたエリアのようです。ここに巨人軍発祥の碑があります。その由来を千葉県公式観光物産サイトから引用します。
読売巨人軍発祥の地記念碑は、昭和9年(1934年)、アメリカ大リーグのオールスターチームと名選手、ベーブルースが来日しました。当時まだプロ野球団がなかった日本は、6大学から選手を選抜して全日本軍を編成しました。両チームの練習場となったのが旧谷津遊園内にあった谷津球場です。この選抜のメンバーが巨人軍の創設メンバーとなり日本プロ野球誕生への歴史的な第一歩となりました。バラ園の入口の脇に記念碑が建立されています。

手形に懐かしい名前が並んでいますが、西本投手の上に江川投手があるのが興味をひきました。江川さん、徹底的に悪役だったからなぁ!CM中とはいえ小林繁投手と和解できてよかったと思います。




谷津干潟

伊藤新田(塩田)跡・谷津遊園跡
 明治時代の中頃から大正時代はじめの間、この地には塩を作るための塩田がありました。
 津田沼村の初代村長だった伊藤彌一氏が中心となって開発されたものです。
 この塩田は入浜式塩田という種類です。堤防を築いて外部の海と区切り、堤防内に海水を取り入れて砂浜に散布し、天日によって水分を蒸発させて濃縮し、さらに釜に入れて煮詰めるという製塩方法で塩を作っていました。
 入浜式塩田は当時、行徳から谷津にかけての海岸で盛んに行われていました。
 しかし明治44年の暴風雨によって生産不能となり、さらに大正6年、大暴風雨と高潮に襲われ、復興不可能な状況となり閉鎖されました。
 大正14年、京成電気軌道株式会社(現京成電鉄株式会社)がこの地を買収し、谷津海岸遊園(のち谷津遊園)を開設しました。
 この遊園地は昭和57年12月に閉園されるまで、東京近郊でも有数の遊園地として多くの人々に親しまれました。
 また、この地には一時期、無声映画時代の阪妻撮影所や、プロ野球の読売巨人軍の最初のグラウンドがあり、アメリカ大リーグとの最初の日米親善野球の行われた場所としても知られています。

平成19年3月
習志野市教育委員会




谷津干潟

船橋競馬場

京葉線沿いの草地

高瀬川
谷津干潟は高瀬川で東京湾とつながっています。通った時間は引き潮だったようで海に向かって勢いよく水が流れていました。


川沿いの歩道

松ぼっくり

サッポロビール千葉工場
台風の後だったので歩道には松葉と松ぼっくりが大量に落ちていました。ビール工場は高瀬町という埋め立て地の工業団地にあり、看板が見えてからもけっこう遠いんです。ゴールが遠いこの時間帯が苦行です。


ジンギスカンのレストラン

南極観測船しらせ
ようやくゴールで工場前でストレッチをしてレストランへ向かいました。ジンギスカンもうまいけど、ビールが一味違う気がします。『しらせ』がこの場所に係留されている経緯をWikipediaからちょっと長めに引用します。
除籍後
2008年10月24日、政府の南極地域観測統合推進本部は南極観測船「しらせ」の展示保存を断念し解体すると発表した。「しらせ」は南極観測船はもとより自衛隊を見渡しても過去になかった規模の大型艦の退役であり、当然ながらそのため維持展示にも従前の観測船以上の費用が掛かる事が見込まれる事から引き取り手の折り合いが付かず、また自衛艦のため海上保安庁への移管や海外輸出も難しい事から、スクラップとして処分される事となっていた。
ただし、政府の推進本部はスクリュープロペラ・いかり・艦名看板など少なくとも17点の部品を保存し、2009年秋から海上自衛隊佐世保史料館で一般展示をする準備を進めていた。また、船内で使われたソファーや椅子の一部が名古屋港で展示されている「ふじ」に転用されている。
昭和期の南極観測隊の訓練などで縁のある北海道稚内市が保存に名乗りを上げており、ホームページなどを通じて誘致キャンペーンを行っていたが財政難のため2007年夏の展示保存を希望する自治体の募集には正式に応募せず、これも立ち消えとなった。
2008年12月以降解体に着手する予定だったが鉄屑価格下落の影響から解体は先送りとなり、2009年6月19日に政府の南極地域観測統合推進本部は保存活用に向けて買い手を再度公募することを決定した。その時点では海上自衛隊横須賀基地内で係留されていた。

SHIRASEプロジェクト
2009年11月9日、南極地域観測統合推進本部は「しらせ」を同年1月に「スクラップになるのはもったいない」・「気象や環境問題の情報発信や議論の場として活用したい」と、「しらせ」の購入を文部科学省に提案していた、民間の気象情報会社「ウェザーニューズ」に売却すると発表。環境情報発信基地として、「第二の人生」を送ることになった。「しらせ」は2010年2月10日に海上自衛隊からウェザーニューズ社に引き渡され、海上自衛隊横須賀基地を出港。一旦、神奈川県横浜市中区の三菱重工業横浜製作所本牧工場のドックに曳航され、検査や用途変更船修繕工事を実施するとともに、船名をローマ字表記の「SHIRASE」に変更した。同年3月31日に当面の間の係留地である千葉県船橋市の船橋港(港則法上は千葉港葛南区)に曳航され、係留された。
「しらせ」の艦番号「5002」にちなんで2010年5月2日から南極観測および気象観測の象徴として一般公開。また、それに先立ち、一般公開前日の5月1日にはSHIRASEが係留されている船橋市の近隣住民・市職員・教育関係者向けに先行公開された。5月2日に開催されたSHIRASEのグランドオープニングセレモニーには、同社社員や同社のウェザーリポーター約320人、国会議員、冒険家でSHIRASEの副KANCHO(艦長)に任命されている三浦雄一郎など約500人が参加。同セレモニーでは、SHIRASE KANCHOの宮部二朗同社代表取締役副社長がシャンパンの瓶の形をした氷を割って、「第2の船出」を宣言した。
ウェザーニューズでは船内の南極観測機器を居抜きで入手。2010年10月から同社グローバルアイスセンターを船内に移設して世界の氷のモニタリング業務を開始する。さらに、小型気象観測レーダー『WITHレーダー』を設置し、首都圏のゲリラ雷雨や突風などをリアルタイムに観測する他、2010年頃に打ち上げ予定で東京大学・千葉大学・アクセルスペース共同開発の小型人工衛星『WNI衛星(仮称)』から送られてくるデータを利用して、世界各地の海氷の動きなどを観測する「WNI衛星管制センター」や東京湾・世界各地で発生した地震を観測・検証する「地象センター」を開始する予定となっている。また、テレビスタジオや教育・会議施設などを開設・設置し、みんなで気候変動を考え、コンテンツを発信する場にしたいとしている。
2010年8月15日には同社の第24期株主総会(幕張メッセで開催)終了後に株主向けにSHIRASE体験乗船(株主以外に3名まで乗船可)を実施。また、同年8月22日には「夏休みに環境問題を考えるきっかけに」とSHIRASEの親子乗船会を開催した。
なお、「しらせ」の購入代金約4千万円の他に改修に10億円、年間維持費に1 - 2億円かかるとされている。
また、このプロジェクトの中心となったウェザーニューズ創業者で代表取締役会長・石橋博良が死去した際はお別れの会が「船出の会」という名称で2010年7月13日に本船船上にて行われた。
2011年7月に、東日本大震災の被災地の人を元気づけようと、福島県いわき市小名浜港でイベント開催。
2013年9月2日に本船の所有権がウェザーニューズから同社関連団体であるWNI気象文化創造センターに移管された。
2015年11月18日修繕のため4年ぶりに船橋港を出港し、三菱重工業横浜製作所のドックに入った。12月14日修繕を終え船橋港に帰着した。

見学
SHIRASEの見学・乗船は無料だが、事前の申し込みが必要になる。SHIRASEが係留されている船橋港では、コンビナート岸壁周辺敷地への立ち入りが禁止されている為、関係者以外はSHIRASEに接近する事が出来ない。さらに船橋港周辺は、駐車禁止区域となっており、駐車場・駐輪場共にない。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響を受け、係留している船橋港周辺の液状化により乗船にあたっての安全性が見込めないことから、震災当日以降の見学を一時的に中止した。また、この年10月の台風により対岸(習志野市茜浜)に係留していた船のロープが切れSHIRASEまで流れ着き、左舷にぶつかり損傷するという事態も起きた。その後、船橋港の液状化の舗装とSHIRASE左舷損傷の修繕を経て、2012年1月28日より再開する運びとなった。
一般見学再開にあたり、今までのJR京葉線新習志野駅駅前の千葉県国際総合水泳場付近に集合し、貸切バスで船橋港に向かうという形式であったが、見学再開にあたりウェザーニューズという会社を知ってもらうことも見学コースに含めることになった。そのため現在はJR京葉線海浜幕張駅駅前に、ウェザーニューズが入居している幕張テクノガーデンD棟2階Cポート0号店前に集合し、受付・身分証明書による本人確認をした上で、ウェザーニューズの会社見学を行ってから、社有車で船橋港に向かう形式に変更された。
見学の日時は、おおむね隔週土曜日12:30の1回で10人程度で行われるようになった。ウェザーニューズでは2010年4月26日から専用ホームページ(外部リンク参照)にて、同年5月5日以降の一般見学・乗船の事前申し込みを受け付けている。なお、右舷の外観を眺めるだけであれば、近傍の飲食施設の窓際から望むことが可能。
なお、前述のように2013年9月2日に本船の所有権がウェザーニューズから同社関連団体であるWNI気象文化創造センターに移管されているが、より公益性の高い取組みを進めていくための企画を検討し推進するため従来から行ってきた一般乗船見学は当面見合わせるとしている。
2013年より「チャレンジングSHIRASE」として年5回の一般公開イベントを行っているほか、週に2日、近隣にあるサッポロビール千葉工場とのコラボレーションでのツアーに参加してで乗船することもできる。



津田沼駅まで送迎バス
ジンギスカンとビールでおなかいっぱいになった後は無料送迎バスで津田沼駅まで送っていただきました。酔っ払いにはありがたいサービス。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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