目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

善福寺川公園コース 約6.6km

2018-01-22 13:28:26 | ウォーキング
この時期の定番になっているコースです。以前は環八から先、善福寺公園の遅野井(おそのい)の滝まで歩いていたのですが、この日のコースと比べると道が悪いというか楽しみが少ないので、最近は大宮八幡から環八までのコースだけを歩いています。


写真:西永福商店街



写真:理性寺
西永福駅に集合し、商店街の中ほどにある理性寺の門前をお借りしてストレッチをします。法華宗のお寺のようで、杉並区教育委員会が設置した案内を引用します。
当寺は、法華宗法真山理性寺といい、本尊は十界諸尊の曼荼羅です。
「御府内備考続編」によれば、当寺は承応3年(1654)、大久保越中守忠辰、忠陰兄弟が両親の忠当夫妻を開基として、その菩提のために創立したものです。
寺名は、夫妻の法名、法真院殿・理性院殿に因んで法真山理性寺としました。
創立にあたっては、内藤新宿四谷大木戸(現新宿区新宿1丁目付近)に、大久保家下屋敷の名義をもって草創し、後に老中久世大和守広之の許可により、境内地として使用することになったと伝えられています。
現在地に移転したのは大正3年です。
境内の左手には大黒殿があり、中には「火伏せの大黒天」と呼ばれる高さ役12cmの木彫りの小さな大黒天が安置されています。
この大黒天は、高祖日蓮の作と伝えられ、お経の「経」の字を形取っており、寛政6年(1794)御殿医木村検校によって奉納されたものといわれています。
「火伏せ」の由来については、当寺が新宿に在ったころ、近隣火災の折、大黒天が大団扇をもって現れ、類焼から守ったことによると言われております。
以後、火伏せの守り神として今も、甲子の日に「大黒天甲子祭」が行われています。
墓地には、戯作者伊庭可笑・幕府医官林恒斎・初代杵屋三五郎の墓等があります。(杉並区教育委員会掲示より)

空気が乾燥した日が続くので、火伏の神様はありがたいですね。


写真:方南通り

写真:夏みかん

写真:ちょっと変わった灯篭
商店街を出ると井の頭通りで、少し先で方南通りとの三差路になります。この夏ミカンはきれいで写真に撮りやすい高さにあるので、毎年撮っているように思います。動物が支えているような格好になっている灯篭はクロネコヤマトの配送センターの前にあるのですが、元は中華料理屋だった雰囲気です。



写真:南参道鳥居
灯篭の十六弁の菊の御紋が天皇家の菊花紋章と違って見えるのは、真ん中の丸が大きいせいかな?御由緒を神社のホームページから引用します。
大宮八幡宮の由緒と歴史
第70代・後冷泉天皇の天喜年中(1053~57)に、奥州に乱(前九年の役)が起き、この乱を鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍・源頼義公の軍がこの大宮の地にさしかかると、大空には白雲が八条にたなびいて、あたかも源氏の白旗がひるがえるような光景となりました。源頼義公は、「これは八幡大神の御守護のしるしである」と喜ばれ、乱を鎮めた暁には必ずこの地に神社を構えることを誓って、武運を祈り出陣されました。そして奥州を平定して凱旋のおり、誓いの通り康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てました。これが当宮の創建の縁起であります。
また、その子八幡太郎義家公も後三年の役のあと、父にならい当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられています。
かつては武蔵国三大宮の一つ「多摩の大宮」あるいは「武蔵国八幡一之宮」と称され、昭和44年に境内の北端につづく旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡や族長の住居跡が発掘され、この地は太古からの聖域であったことが判明致しております。
今や大東京の重心「東京のへそ」として、神々の記憶と数々の日本の歴史へと誘う胎内回帰の出来る神秘的な場所とされております。

大宮八幡宮の信仰
八幡さまは応神天皇が主祭神です。
悠久の昔のこと。応神天皇は父君の仲哀天皇の御遺志をついで、母君の神功皇后とともに国づくりを進められました。兵乱を鎮め、また大陸文化を取り入れることに力をつくされました。その御威光の輝かしいことから、人々に力を授けたまう神として仰がれています。
また、大空に八条の白雲がたなびいて軍を勝利に導いたという縁起から、当宮には厄除開運の信仰があって、当宮の破魔矢を家庭や職場におまつりしますと、「禍(まが)つもの」を祓って繁栄をもたらすといわれています。
また、応神天皇は御母の胎内に有る時から御神威を発揮され、胎中天皇とたたえられましたが、こうした親子三神の固い絆から縁結び・安産・子育ての信仰があります。又、神功皇后が御子を宿されて出陣のとき、御腰の御帯に鎮懐石(ちんかいいし)を結び陣痛をおさえて大陸に渡られ、目的を果たされ、北九州に帰還。無事御子をお産みになったところが宇美(うみ)といわれている。
その故事から当宮では戌の日には安産祈願に詣でる人が多くなっております。
また、御鎮座950年には「子守神功皇后の図」扁額も奉され、皇后は赤ちゃんの応神天皇をお抱きになっている慈悲深い母子図であり、傍らには黒雲(厄)を振り払い、お二人をお守りする武内宿禰の姿も描かれています。
母子二神の深い情愛と絆が見事に表され、子育て厄除け八幡に相応しい扁額であります。当宮ではこの故事に因み、安産祈願をした腹帯(岩田帯)を「大宮八幡息長帯(おきながおび)」と名付け、お生まれになるお子様とお母様に延命長寿と幸運が授かるように祈念して調製しております。
さらに、神功皇后が大陸にわたられるときに御神助をいただいたという縁故から、交通安全の信仰もあります。



写真:大宮幼稚園

写真:車御祓所
幼稚園の壁画の雄鶏や、看板脇の白い鳩も何かいわれがあるのでしょうね。鶏は朝を告げる神の使いなので明治になるまで鶏肉も鶏卵も食さなかったという話を聞いたことがあるので、神の使いと平和の象徴という意味かもしれません。車御祓所の意味は御縁起にありましたね。


写真:左の大絵馬

写真:神門

写真:右の大絵馬
この大絵馬を撮った時点では、戌年の絵馬だと思っていました。左は子育て、右は厄除けです。



写真:安産祈願


写真:初宮参り

写真:子育て厄除け

写真:学業成就

写真:武蔵国八幡一之宮

写真:アンパンマン
安産祈願の方は見た目ではわかりませんが、初宮参りの方々は多く見かけました。学業成就となると、「天神さまもあったのだっけ?」と少し疑問もわいてきますが、商売熱心だからこそ多くの参拝客が訪れるのでしょうから、いいことです。アンパンマンまで用意して、子供を飽きさせない演出ですね。「武蔵国八幡一之宮」は風祭竜二さんの切り絵作品だそうです。武蔵一之宮は大國魂神社で、武蔵八幡一之宮は大宮八幡ということですね。
「東京のへそ」と言われて今まで何となく納得していましたが、国分寺には東京の重心という場所があり、東京都の形を切り出してその重心になるとのこと。大宮八幡宮が意味する「へそ」は人口重心で、二十三区に住む人が多いので重心が東にずれるということのようです。
大絵馬の犬は戌年だからなのか、もしくは安産の神様としていつも犬が飾られているのかどちらも考えられます。来年確認してみましょう、覚えていたら。


写真:十月桜

写真:参道の手すり

写真:表参道大鳥居
明治神宮は拝殿が南向きで南参道が表参道となりますが、大宮八幡宮は東向き。東参道が表参道で、堀ノ内から八幡通りがあり、一直線に大宮八幡宮拝殿へ向かっています。場所がないので仕方がないのですが、表参道を来宮者向けの駐車場にしてしまっているところがちょっと残念です。
波型の手すりは日本ではすでにおなじみですが、考えた人はすごいなぁと感心しています。先日外国人ゲストに説明しようとして、うまい英語が出てこなかったので、次回までに練習しておきます。


写真:善福寺川

写真:和田堀調節池
善福寺川はこの先杉並区和田で神田川と合流します。我々のウォーキングは反対の上流へ向かいます。善福寺川の歴史も神田川同様洪水との戦いで、野球場クラスの調節池がいくつも作られ、それでも足りなくて環状七号線の地下に巨大な調節池を作り集中豪雨に備えています。



写真:和田堀池のかいぼり
カワセミが飛来することで有名なこの池もかいぼり中でした。しかし「和田堀池」とは「堀」なのか「池」なのか?
かつて「和田堀之内」という大字があり堀之内の堀のようです。妙法寺の寺町として堀で囲まれていた場所が堀之内なのかなぁ?


写真:桜の欄干

写真:板がついたような枝

写真:梅林
このあたり、川の周囲は公園になっており、自転車の通行が多いものの気持ちの良いウォーキングコースです。


写真:尾崎橋
杉並区成田西と成田東にかかる尾崎橋です。
上流に向って左側の台地が尾崎と呼ばれています。「おさき」とは、突き出した台地の先端(小崎)を指す古い地名で、発掘された石器や土器また住居址からみて、この台地には約8,000年前から人が住んでいたことが知られます。またこの地名に付会して「源頼義が奥州征伐のため当地を通過した際、源氏の白幡のような瑞雲があらわれ、これが因縁で大宮八幡宮を勧請することになったが、その白幡の見えたあたりを白幡(この付近)、尾のあたりを尾崎と名付けた」(大宮八幡宮縁起)との伝説があります。
このあたりの風景は、五日市街道を通って小金井の桜見物に出かけた江戸の文人たちの随筆にも書かれており、辻知篤の享和3年(1803)の文には次の様に記されています。
「馬橋村のなかばより左におれて、山畑のかたへのほそき道をゆく。」「つづらおりめいたる坂をくだりて田面の畦をゆく。田の中に小河ありて橋をわたる。これを尾崎橋という。」
 平成9年3月
 杉並区教育委員会



写真:善福寺川桜並木
桜の季節はきれいでしょうね。


写真:サザンカ

写真:善福寺川
地図で見るとよくわかるのですが、いい具合に蛇行しながら流れています。




写真:調節地工事
ここでも新たな調節地の工事が行われ、もう四年間もここを通ることが出来ません。平成30年3月終了予定ということで、次回はこの柵もなくなっていることでしょう。調節地は地下に作られるようなので、来年工事をしていたことも気づかずに通り過ぎてしまうかもしれませんね。


写真:スイセン

写真:庭の大根畑


写真:大谷戸橋付近
善福寺川公園から出てしまうと遊歩道が狭くなり、民家のお庭が公園とは違った景色を見せてくれます。大谷戸橋付近で南へ向かう暗渠を見つけました。「大谷戸」という橋の名前と合わせて「川が合流する低湿地だったのだろう」と想像して調べてみると、写真に撮った暗渠は水路だったもので支流ではないそうです。西側から松庵川が合流しているのですが、この川は大正時代に人工的に作られたものでした。松庵川についてWikipediaから引用してみましょう。
松庵川(しょうあんがわ)とは、東京都を流れる河川であり、荒川水系善福寺川の支流の通称である。大部分が東京都杉並区内であり、暗渠化されている。
荒川水系?意味が分からなかったのですが、善福寺川は中野富士見町の地下鉄車庫の脇で神田川に合流し、両国橋で隅田川に注ぎこみます。隅田川は荒川の元本流(江戸時代の河川工事により荒川本流となり、大正時代の河川工事により荒川放水路が出来てそちらが荒川と呼ばれるようになった)なので「荒川水系」と納得しました。


写真:カモ

写真:コサギ

写真:カワセミ

写真:夏みかん

写真:歩道を遮る大木
上流に行き堤外地がなくなり川幅が広くなると、流れが穏やかになり水草が増え多くの野鳥を見ることが出来ます。カワセミを見つけるときはだいたい飛んでいる羽の青色に気づくことが多いのですが、この日は色ではなくスピードと大きさでカワセミだと確信しました。とまったあたりをよく観察し対岸に見つけたのですが、コンデジズームの最高倍率で撮ったものの、目を凝らさないとカワセミと識別できませんね。


写真:忍川上橋から環八方面


写真:与謝野晶子と鉄幹
本日のウォーキングはこちらで終了です。荻窪川南共栄会商店街の与謝野晶子・鉄幹が見守る小さな公園をお借りしてストレッチをして解散となりました。

有志九名は荻窪駅から新宿に出てライオン会館二階のアイリッシュパブ・ダブリナーズで反省会。三角くじを引くことが出来るエビスビールを飲んで、ドリンク券19枚ゲットの荒稼ぎでした。大宮八幡様のご利益でしょうか?


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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