涼しい日が続き、ウォーキングの予定も順調にこなせています。この日の最高気温は30度くらいだったようですが、久しぶりの直射日光は結構暑くて、ゴールの代々木公園に到着する頃は汗だくでした。コース名に“2”がついていますが、以前のコースは宇田川だけを歩いていましたが、その支流の河骨川まで足を延ばし、春の小川を感じるコースに変更になっています。
写真:目黒区みどりの散歩道
駒場コースは駒場東大前駅を出発し、駒場公園、駒場野公園、上目黒氷川神社を巡って、池尻大橋駅に至るコースです。我々は反対の方角、北へ向かってゆきます。
目黒区は、23区のなかで鉄道駅の数が最も少なく、その中でも駒場東大前駅は目黒区民には最もなじみの薄い駅です。井の頭線が目黒北部をかすっている場所で、目黒区で玉川通りより北側は区民でも訪れたことが無い方が多いと思います。。
江戸時代は幕府の鷹場で耕作が許されず、明治維新後はまとまった土地を生かし帝国陸軍の駐屯地になったりしていますが、明治11年に駒場農学校がこの地に移設されたことが「文化の香り高い街」となった最大の理由でしょう。
写真:東大教養学部
正門の写真に写っている時計台のある建物が、旧制一高の本館です。そのほかにもおしゃれなデザインの古い建物がたくさん残されています。新しく建てられた建物はそれなりのおしゃれですが、機能を優先に作られているのでしょう。ちょっと味気なくもあります。暑い中でも陸上部が練習をしています。
写真:三田用水遺構
東大と山手通りの境にこの遺構があるのですが、山手通りの改修や、東大の建設工事の度に遺構が小さくなってゆきます。看板も何もなく、もう少し大切にされてもいいように思うのですが。
写真:山﨑カレッジ
「動物愛護」を建学の精神とする学校で、八王子市南大沢に広いキャンパスがあるようです。
写真:松濤のサルスベリ
写真:鍋島松濤公園
写真:松濤中学校
写真:元能楽堂
松濤の地名は意外と新しく、明治時代にあった茶園「松濤園」に由来しています。江戸時代は紀州徳川家の下屋敷で、明治時代に肥前鍋島家に譲渡され、士族救済のため狭山茶を移植して松濤園を開きました。東海道線の延伸で静岡からの茶葉が東京に輸送されるようになるとこの地での茶業は振るわず、関東大震災を機会に高級住宅地となりました。物流がそのように産業構造を変化させてゆくことは、興味深いですね。
鍋島松濤公園は鍋島侯爵邸の庭を公園にしたものです。松濤の地にあった観世能楽堂は、建物はそのまま残っているものの、能舞台は銀座シックスに移設され、今は駐車場として利用されています。
写真:神山町
この家ではありませんが、神山町は安倍首相の自宅がある場所。近くには麻生副総理もお住まいです。
写真:何の行列やら
この先坂を下りまっすぐ行くとNHK放送センターとアムウェイを挟む上り坂に出るのですが、ウォーキングコースは谷を下り切った、暗渠となっている宇田川遊歩道を進みます。
写真:宇田川遊歩道
写真:センシュアス
宇田川は渋谷川の支流で渋谷西武のA館B館の間を流れて、渋谷川に合流していました。というより、今渋谷川と呼ばれてる川はかつて穏田川と呼ばれており、宇田川と合流してその下流が渋谷川と呼ばれていたのだと思います。天現寺橋で笄川と渋谷川が合流し、その下流は古川と名前を変えます。
1964年の東京オリンピックで水洗トイレの普及に伴う下水道確保のため、渋谷川同様に暗渠になってしまいました。センシュアスは水槽レイアウトの会社で、NHKでの仕事が忙しくなり近所に引っ越してきたと聞いています。
写真:小田急線
宇田川を遡り、井の頭通りを越えて100mくらいのところに河骨川との合流点があります。河骨川の暗渠を遡ってゆくと小田急線にぶつかり、小田急線が河骨川が作った谷を走っていることがわかります。参宮橋という駅があり、その近くに参宮橋という跨線橋がかかっていますが、この名前はかつて河骨川にかけられた明治神宮西参道の橋の名前であったと思われます。
写真:春の小川の碑
諸説あるようですが、春の小川という唱歌の舞台となっているとされているひとつがここ河骨川です。石碑にある歌詞が我々の知っているものと少し違うので、Wikipediaで調べてみると、三種類の歌詞があるようです。一番だけ比べてみましょう。
1912年オリジナル
春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、
匂いめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。
1942年
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲いているねと、ささやきながら。
1947年
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやきながら。
写真:代々木公園
参宮橋門から入り、園内を半周して原宿門近くでゴールです。木陰でストレッチをし解散しました。湿度が高かったせいか、いつにも増して汗だくのゴールとなりました。
三々五々解散となりましたが、有志は渋谷方面へ歩き食事処を探します。宇田川交番近くの香港食市場はビールも安く、まとまった席が空いているのでひいきにしていたのですが、今回も閉店中。再開されることはないのかなぁ。センター街の天狗がランチ営業をしていたので、こちらに入り女性はランチ、男性はビール。ビールはいつでも美味しいのですが、汗だくの後はいつにも増しておいしかったです。
センター街の天狗は、渋谷での一号店だと思うのですが、学生時代はよく利用していました。今回は30年ぶりかなぁ?
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
写真:目黒区みどりの散歩道
駒場コースは駒場東大前駅を出発し、駒場公園、駒場野公園、上目黒氷川神社を巡って、池尻大橋駅に至るコースです。我々は反対の方角、北へ向かってゆきます。
目黒区は、23区のなかで鉄道駅の数が最も少なく、その中でも駒場東大前駅は目黒区民には最もなじみの薄い駅です。井の頭線が目黒北部をかすっている場所で、目黒区で玉川通りより北側は区民でも訪れたことが無い方が多いと思います。。
江戸時代は幕府の鷹場で耕作が許されず、明治維新後はまとまった土地を生かし帝国陸軍の駐屯地になったりしていますが、明治11年に駒場農学校がこの地に移設されたことが「文化の香り高い街」となった最大の理由でしょう。
写真:東大教養学部
正門の写真に写っている時計台のある建物が、旧制一高の本館です。そのほかにもおしゃれなデザインの古い建物がたくさん残されています。新しく建てられた建物はそれなりのおしゃれですが、機能を優先に作られているのでしょう。ちょっと味気なくもあります。暑い中でも陸上部が練習をしています。
写真:三田用水遺構
東大と山手通りの境にこの遺構があるのですが、山手通りの改修や、東大の建設工事の度に遺構が小さくなってゆきます。看板も何もなく、もう少し大切にされてもいいように思うのですが。
写真:山﨑カレッジ
「動物愛護」を建学の精神とする学校で、八王子市南大沢に広いキャンパスがあるようです。
写真:松濤のサルスベリ
写真:鍋島松濤公園
写真:松濤中学校
写真:元能楽堂
松濤の地名は意外と新しく、明治時代にあった茶園「松濤園」に由来しています。江戸時代は紀州徳川家の下屋敷で、明治時代に肥前鍋島家に譲渡され、士族救済のため狭山茶を移植して松濤園を開きました。東海道線の延伸で静岡からの茶葉が東京に輸送されるようになるとこの地での茶業は振るわず、関東大震災を機会に高級住宅地となりました。物流がそのように産業構造を変化させてゆくことは、興味深いですね。
鍋島松濤公園は鍋島侯爵邸の庭を公園にしたものです。松濤の地にあった観世能楽堂は、建物はそのまま残っているものの、能舞台は銀座シックスに移設され、今は駐車場として利用されています。
写真:神山町
この家ではありませんが、神山町は安倍首相の自宅がある場所。近くには麻生副総理もお住まいです。
写真:何の行列やら
この先坂を下りまっすぐ行くとNHK放送センターとアムウェイを挟む上り坂に出るのですが、ウォーキングコースは谷を下り切った、暗渠となっている宇田川遊歩道を進みます。
写真:宇田川遊歩道
写真:センシュアス
宇田川は渋谷川の支流で渋谷西武のA館B館の間を流れて、渋谷川に合流していました。というより、今渋谷川と呼ばれてる川はかつて穏田川と呼ばれており、宇田川と合流してその下流が渋谷川と呼ばれていたのだと思います。天現寺橋で笄川と渋谷川が合流し、その下流は古川と名前を変えます。
1964年の東京オリンピックで水洗トイレの普及に伴う下水道確保のため、渋谷川同様に暗渠になってしまいました。センシュアスは水槽レイアウトの会社で、NHKでの仕事が忙しくなり近所に引っ越してきたと聞いています。
写真:小田急線
宇田川を遡り、井の頭通りを越えて100mくらいのところに河骨川との合流点があります。河骨川の暗渠を遡ってゆくと小田急線にぶつかり、小田急線が河骨川が作った谷を走っていることがわかります。参宮橋という駅があり、その近くに参宮橋という跨線橋がかかっていますが、この名前はかつて河骨川にかけられた明治神宮西参道の橋の名前であったと思われます。
写真:春の小川の碑
諸説あるようですが、春の小川という唱歌の舞台となっているとされているひとつがここ河骨川です。石碑にある歌詞が我々の知っているものと少し違うので、Wikipediaで調べてみると、三種類の歌詞があるようです。一番だけ比べてみましょう。
1912年オリジナル
春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、
匂いめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。
1942年
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲いているねと、ささやきながら。
1947年
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやきながら。
写真:代々木公園
参宮橋門から入り、園内を半周して原宿門近くでゴールです。木陰でストレッチをし解散しました。湿度が高かったせいか、いつにも増して汗だくのゴールとなりました。
三々五々解散となりましたが、有志は渋谷方面へ歩き食事処を探します。宇田川交番近くの香港食市場はビールも安く、まとまった席が空いているのでひいきにしていたのですが、今回も閉店中。再開されることはないのかなぁ。センター街の天狗がランチ営業をしていたので、こちらに入り女性はランチ、男性はビール。ビールはいつでも美味しいのですが、汗だくの後はいつにも増しておいしかったです。
センター街の天狗は、渋谷での一号店だと思うのですが、学生時代はよく利用していました。今回は30年ぶりかなぁ?
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
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