負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

夏目漱石は猫たちの墓標を書いて墓に俳句を添えた

2004年09月15日 | 詞花日暦
「猫の墓」と誌してから、
「この下に稲妻起きる宵あらん」
――夏目伸六(漱石次男・随筆家)

 残暑もきびしい九月半ば、いまでも国民的文学と聞く『我輩は猫である』のモデルになった猫が死んだ。日本を代表する知識人がむずかしい意見を語るこの小説が、それほどに国民的人気を博しつづけているとしたら、文学の衰退が語られる現在、慶賀にたえない。しかし、人気の理由は「猫」の一字によるのではないか。
 夏目伸六の記憶によると、漱石も妻の鏡子も子供たちも、猫に対しては「非人情」に徹していた。誰もなまえなど付けようとさえしない。ただ「我輩」のモデルが死んだとき、漱石は夫人にいわれて墓標を書き、引用のような一句をしたため、庭の桜の下に埋めた。
 二匹目の黒猫は家中を汚す病気持ち。三匹目は夫人に踏み潰されて死んだ。やはり漱石は「秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ」の句をつくった。小説の「我輩」の猫には、ビールを飲ませて甕の水の中で死なせている。「死んでこの太平を知る。……ありがたい、ありがたい」。心情吐露を無粋とした江戸っ子漱石の表に出ない人柄が、『猫』の行間に垣間見える。