負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

現代感覚ではわからない風の神秘を詠んだ古歌がある

2004年09月13日 | 詞花日暦
茂吉の「万葉秀歌」の解釈は、
写生にこだわった誤解である
――安東次男(詩人・俳人・仏文学者)

 フランス文学者としての安東次男は、前衛的な詩作品に関する評論を発表し、鋭い視点から海外文学への蒙を啓いた。人生の後半、日本の詩歌に目を向けた著作を排出し、ここでも比類のない鑑賞力によって、短歌や俳句といった日本古典への理解を塗り変えていった。
 一例は『万葉集』にある額田王の「近江天皇を思びて作れる」の歌。「君まつとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」。一般には天智八年の作と考えられている。安東によると、天皇は天智十年の初秋に病に伏し、十二月に崩じているから、歌はその年の作ではないかという。
 くわえて、古代中国の樂曲にある「風、窓簾ヲ吹イテ動カセバ、歓シキヒトノ来ルカト思フ」を和様にしたとも。「風を恋人の訪れの吉兆とした歌作りは、現代の感覚では捉えきれない神秘なものを含んでいる」。写生はもっとあとの奈良時代に入ってから。安東は、風が持つ神秘と人の心の神秘な祈りの領域を読み取っている。

サイボーグは科学の夢より人間喪失への警告である

2004年09月12日 | 詞花日暦
合衆国の法律には、機械を相手どって
訴訟が起こせる規定があるんですか
――スタニスワフ・レム(SF作家)

 ポーランドの作家スタニスワフ・レムは、それほど一般になじみがない。最近、リメイクされた映画『ソラリス』の原作者である。むろんタルコフスキーの映画『惑星ソラリス』も同じで、この頃から日本にもやや広く知られた。ただし世界的には、前衛SF作家として高名である。
 最初期の作品にサイボーグをテーマにした喜劇がある。舞台はアメリカ、さまざまな人体改造を受けたプロのカーレーサーが人体機器製造会社に訴えられた。裁判は冒頭から被告の認定尋問でもめる。召喚状が送付されたのは、「機械にか、それともこのおれ?」。訴えられているのは、れっきとした人間か「単なる物品」か。法廷は混乱の内に延期される。
 サイボーグは『ターミネータ』『ロボコップ』のアメリカだけではない。人造人間『フランケンシュタイン』『ゴーレム』の古い歴史がヨーロッパにもある。人間が未来に託す科学の夢というより、むしろ人間喪失のほうが大きなテーマ。社会機構も人間も機械化された時代への警告と見るべきだろう。

閑話休題ーー再びサンマ

2004年09月11日 | 詞花日暦
サンマは目黒に限るなんて…
目黒でサンマ、食べますか?

ご存知のように、JR山手線の目黒駅は品川区になります(品川駅は港区)。その目黒駅近くでこの12日(日曜日)、サンマ祭が。三陸から来たサンマを、どこやらから来た酢橘で食べさせてくれる行事で、目黒通りの路上(品川区)で行われます。若手落語家の口演も。たぶん3~4年前くらいからの行事ですが、無料のせいか行列ができ、1時間くらい待ってやっとサンマにありつけます。もうひとつは、正真正銘の目黒区(区民センター辺り)で9月19日にサンマの無料配布が行われます。
落語で「サンマは目黒に限る」なんていった世間知らずの殿様のセリフが、そのまま目黒のサンマは美味いということに結び付き、こんな行事を商店街だか区だかが行っているようです。この殿様のセリフは、落語のオチとして、観客の嘲笑を買うことばであって、ことば通りストレートに理解していいものではありません。目黒のサンマが美味しいという殿様が笑われているのです。人々の間に伝わる伝承は、こんな具合に曖昧に変化していくものなんですね。その落語も目黒も関係なく、いよいよサンマの季節。うれしい季節です。

佐藤春夫が食べた紀州のさんまは脂のないやせた魚だった

2004年09月10日 | 詞花日暦
青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食うはその男がふる里のならひ
――佐藤春夫(作家)

 佐藤春夫は明治二十五年に和歌山県新宮に生まれた。少年時代より文学者を志し、中学卒業後に上京、慶應義塾大学に入学した。かたわら堀口大学と交遊を深め、与謝野鉄幹・晶子夫妻のもとに出入りする。大正八年には、谷崎潤一郎に出会う。夫に疎まれていた谷崎の妻千代に同情し、谷崎と春夫は絶交する。
 妻に逃げられた春夫がこの頃に詠んだのが、「さんまの歌」である。「あはれ、人に捨てられんとする人妻と/妻に背かれたる男と食卓にむかへば」とあり、父ならぬ自分と同席する女の児が傍らであやしげに箸を操っている。どこかさびしさが漂う。
 春夫が育った新宮辺りのさんまには、他の場所とちがう特徴がある。寒流に乗って南下したさんまはそのまま余勢をかって、紀州半島近くにたどり着く。長旅のはてに濃厚な脂を使い果たし、やせ細ってしまう。この地にさんまの刺身がおおいのは、脂身のない淡白さのせいである。さんまに対する春夫の印象も、故郷のやせたさんまを想い、どこかさびしいイメージがあったにちがいない。

三島由紀夫の肉体と太陽志向はコンプレックスの裏返しだった

2004年09月09日 | 詞花日暦
言葉による創造は、必然的に、夜の熱い
闇の中で営まれるのではないだろうか
――三島由紀夫(作家)

 三島由紀夫は、日本人が肉体の概念を二次的にしか持たないと書いた。日本人は容貌や衣装の領域に視点を結び、けっして肉体そのものを一次的に見なかったという。肉体を美と考えたギリシャ人と対比している。この考えは、三島自身の肉体が貧弱で、美とは程遠かったことから生まれた。
 一方、三島は夜型人間として太陽には縁遠かった。海外旅行の船上で浴びた陽の光、灼かれた肌に憧憬を感じたあと、皮膚の領域、肉体の形に注意を向ける。三島が「肉体的訓練」とは無縁の人間だったからである。
 初めに、肉体や太陽への憧憬がコンプレックスを裏返した観念として形成された。ついで、フェイスビルド(整形)に似たボディビルに向かう。結果、造られた擬似的な肉体の美しさ、太陽の華麗さそっくりのことばと観念で作品を構成した。それはくしくも、三島が対峙しようとした「生活感情の情緒的な装飾」という日本美の偽装になっていた。結局、彼は自らの肉体を抹消し、太陽の対極・死に就くほかなかった。

中西悟堂は太陽も大気も金で買うようになると予言した

2004年09月08日 | 詞花日暦
今は大地にも水にも値段がある。
値段も恣意によって釣り上げられる
――中西悟堂(日本野鳥の会創始者)

 少年の頃から山中の荒行に慣れ、野鳥を追って歩き回った身体に、中西悟堂は絶大な自信を持っていた。五十代の半ば、脳血栓を病み、次々に思いがけない病気に見舞われた。彼が決意したのは、「医者や薬に頼るよりも、生活を一変して仏教に言う『四大』に頼ろう」ということ。
 四大はいうまでもなく地、水、火、風である。ギリシャ以来の考えで、仏教の経典にも古くから語られているという。四大に頼るとは、彼にとって状況が許すかぎり裸で過ごし、四大に身体をさらすこと。四大に育てられた穀物と菜食の食養に徹すること。
 だが、中西は大地にも水にも値段があるのに気付く。「文明人は恐らく将来、地や水ばかりでなく、太陽も大気も金で買わねばならぬ不幸な生物となり終わり、地水火風は益々人工化する」とも書いた。文明はいま自然を荒廃させる裏側で、人工の自然をつくって人々に高い値段を払わせている。末世を回避するには、一度、消費者が裸になり、愚かな商品の衣装を剥いで裸にすることが必要である。

森林に降った雨の地下水は一日に一メートルの速度で流れる

2004年09月07日 | 詞花日暦
降水が……再び地表へ湧き出てくる周期は、
三百年、五百年と見られている
――山田和子(評論家)

 山村を中心にした約九百余の市町村が、森林環境水源税として国税を要請する動きがつづいてきた。一般国民や企業が使う水の量に応じて一定額の国税を課し、森林の育成に当てようというもの。二十年ほどまえも林野庁や建設省による提案があったが、経済界の反発で断念された。
 山田和子によると、東京オリンピックの年の東京大渇水時、干上がった小河内ダム周辺の森林から毎日三十万トンの水が供給された。昭和五十三年、福岡市の渇水でも周りの森が十五万トンを供給した。山森が降水を貯え、農作物や植物を育て、人々に水資源を供給し、海や湖の漁業を育んでいるのは、いまでは誰も否定しない。
 地下水の流れは「浅い地下水でも一日一メートル、深い地下水ともなれば年に一メートルの速度」。山奥の森林は貯水と浄化の役割を果たし、水なくして生きられない人々に不可欠である。森林環境水源税に異を唱える人はいないだろうが、こんな貴重な税金さえ食いものにし、むだに使う政治家や官僚が出ないのを願いたい。

志ん生は酔っ払って上った高座でそのまま眠ってしまった

2004年09月06日 | 詞花日暦
後悔を先に立たせて後から見れば、
杖をついたり、ころんだり
――五代目古今亭志ん生(落語家)

 地方に育ったせいで、古今亭志ん生の高座に直に接する機会がなかった。ただ子供の頃に流れたラジオ放送やのちの録音でほとんどの口演を飽きるほど聴いてきた。そうなると、今度は平凡な駄洒落の反復や首をかしげる事実誤認が耳ざわりになる。
 生前、並び称された三遊亭円生とちがい、志ん生が落語に雑駁に取り組んだせいではないか。というより、円生の緻密さと異なる奔放な即興性こそ、彼の落語の真髄ではなかったか。「噺は入っていく順があるが、自分は(高座に)上がったとこ勝負でしゃべっていく」と語っている。これこそ志ん生の大らかさの魅力である。
 そういえば、聴く側の心が和むときがある。たとえ偏屈な登場人物でも、その口調に偏屈さは微塵もない。心底、素直な響きで、志ん生の人柄がそのまま溢れ出る。小細工なし、後悔なし、ありのままの自分に従った。『四谷怪談』の下駄の音「カラーン、コローン」も、他の噺家とまったくちがっているのをご存知だろうか。

妻と子を捨てた画家・青木繁をおおくの人は非難する

2004年09月05日 | 詞花日暦
僕がこの絵を作るのに
実は三年の日子を費やして居る
――青木繁(画家)

 房総半島の南端、布良の海に過ごした夏は青木繁に三つの成果をもたらした。一つは有名な『海の幸』、二つは同行した福田たねの間に生まれた幸彦(のちの福田蘭童)、三つは三年後の大作『わだつみのいろこの宮』。海底の光景に魅せられ、失った釣り針を探す海幸彦の神話を題材に描き上げた。
 栃木県の水田地帯水橋村(現芳賀町)、五行川のほとりに福田たねの実家跡がある。青木親子はこの地に滞在し、明治四十年、豪農・黒崎家(現存)の一間を借りて『わだつみ』を完成した。しかし、同三月、東京府勧業博覧会の評価が三等賞牌に終わったことは、青木の自負と自信を砕いた。「大家が後進を恐るる事甚だし……」と恨みと失望をのちに書いている。
 同八月、父の死で福岡県久留米に帰る。五行川の木橋を渡って、水田の一本道を行く青木を母子は見送った。以降、三人が会うことは一度もない。四十四年三月、二十九歳の死まで、青木繁は長崎、佐賀、天草、三角、小城とさ迷う。死の三か月前の手紙に「志成らず現業はれずして茲に定命尽くる事、如何ばかりか悔しく」と。芸術の魔は恐ろしい。

閑話休題

2004年09月04日 | 詞花日暦
日本には山間の僻地というのはなさそうです
税金の無駄使いが僻村を救ってきたのでしょう

 四国のさる村に所用があって出かける機会が今年になって三回も。足が痛いので極力避けてきたけど、一昨日から重い足を引きずって出かける羽目に。村は徳島空港から約150キロ、高知の竜馬空港から約110キロ、車で三時間はかかります。高知からは山峡の行き詰まり「四足峠」を越えて。徳島からはこれも山間の深い谷底の川沿いにひたすら走ってどん詰まりへ。今回は台風で道が壊れ、徳島から。
 道をたどると、この村の先祖たちはどうしてこんな山奥にたどり着いたのか。徒歩の山道では何日もかかった苦行のはず。難所の道も人の心境もはるかに現代人の理解を超えています。水田というのはほとんどなく、迫った斜面にわずかの畑地、ほとんどが林業に頼っていました。今でも杉が見上げる山峡のどこにも植わっていますが、洋材の輸入ですでに用なし状態。
 村には一軒の粗末な商店と食堂があり、逆に立派な役場や文化会館があります。道もきちんと整備されています。経済効率だけで計り知れない税金の無駄遣いが村人の生活を時代遅れから救い出している印象があります。徳島から土佐へ抜ける国道ができたとき、村人たちは欣喜雀躍したとのこと。村人の気持ちを考えると、都市に住んで国税の無用の投資を非難するだけでいいのかなあとも思ったりします。
 むろん無駄遣いは利権に絡む政治家、役人、業者のピンはね。甘い蜜を求める経済行為からしか国土開発も福祉も先へ進まない人の心の卑しさを思うと、また暗澹としてきますが。

大逆事件の「祟り」が事件後に語られることがあった

2004年09月03日 | 詞花日暦
われは常にかれを尊敬せりき、
しかして今も猶尊敬する
――石川啄木(歌人・詩人)

 地方都市に旅するときは必ず書店に寄り、地元で刊行されたその土地に関する本を眺める。大都市中心の書籍流通に乗らない、貴重なものに出会えることがおおい。小松芳郎著『松本平からみた大逆事件』もささいな一例。
 引用文のように、啄木が尊敬すると書いたのは、大逆事件の実質的な推進者の一人、宮本太吉。長野県松本の明科で官営製材所の技師として働き、暗殺計画用の爆弾を試作した。爆裂弾の実験は明治四十二年十一月三日、暗殺の対象である明治天皇誕生日の天長節である。松本の記念花火大会で爆発音を消す意図があった。
 明科役場には、製材所の操業が「明治四十二年~大正二年」とある。数年の短い期間がふしぎだった。原因は、地元の新聞記事に残る大正二年五月二十四日の製材所火災。宮下が検挙された三年後のわずか一日ちがいの日付だった。小松は地元の人を訪ね、その祖父が聞き書きしたノートを知る。当時、大逆事件の「祟り」だといわれたという。人々の噂には、啄木と同じように、事件に対する大衆の思いがあるのを知った気がする。

『マトリックス』のCGはカナダの国家プロジェクトだった

2004年09月02日 | 詞花日暦
ハリウッドに無縁な七人のカナダ技術者を
映画と結び付けて想像するのはむずかしい
――ホフスタッター(LAタイムズ記者)

 映画『マトリックス』の第二部『マトリックス・リローディッド』が、公開後一か月で興行収入の記録を塗り替えた。人々はこれまで目にしなかった映像表現に圧倒され、CG効果のすごさを口にした。作品が伝える内容については、第三部公開まで語りにくいせいもあった。
 CG技術を支えたのは、二○○一年に設立されたカナダの小さなXYZ-RGB社。XYZは三次元の三方軸、RGBは光の三原色。三次元立体をレーザー光でスキャニングし、コンピュータで再現する技術「アリウス3D」を開発した。ロスの「シーグラフ」に出展したのが映画との結び付き。七人の技術者は想像もしなかったことだった。
 それだけなら単なる成功談。もうひとつの背景は、カナダ連邦政府が資金援助する国家研究会議(NRC)。八十年の歴史を持つ国家プログラムによって、彼らの技術は育てられた。日本にも経済産業省や文化科学省などにプロジェクトがある。世界を驚かすような成功談は素人の耳には聞こえてこない。

夾竹桃は原爆と一緒に記憶される「夏の花」である

2004年09月01日 | 詞花日暦
私は街に出て花を買うと、
妻の墓を訪れようと思った
――原民喜(作家)

 八月が終わっても、まだ夾竹桃の花が咲き乱れている。塩害や排気ガスに強いため、海岸沿いの防風林や街路樹によく見かける。挿し木でも繁殖する生命力の強さが、暑い夏を生き延びていく。昔、新聞の投稿欄にあった記事が忘れられない。夏になってこの花を見ると、焼け爛れた被爆者の肌が思い出され、目をそむけると書かれていた。
 最近、知り合いのメールにこんなことが書かれていた。原爆放射能の二次被曝で「死に損なった」父親の話。彼は原爆の話をいっさい口にしなかったが、「木も生えぬといわれた焼け跡に最初に芽吹いたというスギナや夾竹桃に八つ当たりし、イヤがっておりました」という。
 夏の終わりになると、花が衰えてますます被爆者の肌に似る。そのさまを厭うだけでなく、旺盛な生命力に対する嫌悪感もあったことを改めて思い知らされた。被爆体験者の実感は時とともに風化する。せめて原爆作家といわれた原民喜の「夏の花」にならって、夾竹桃にその記憶をとどめておこう。