負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

夾竹桃は原爆と一緒に記憶される「夏の花」である

2004年09月01日 | 詞花日暦
私は街に出て花を買うと、
妻の墓を訪れようと思った
――原民喜(作家)

 八月が終わっても、まだ夾竹桃の花が咲き乱れている。塩害や排気ガスに強いため、海岸沿いの防風林や街路樹によく見かける。挿し木でも繁殖する生命力の強さが、暑い夏を生き延びていく。昔、新聞の投稿欄にあった記事が忘れられない。夏になってこの花を見ると、焼け爛れた被爆者の肌が思い出され、目をそむけると書かれていた。
 最近、知り合いのメールにこんなことが書かれていた。原爆放射能の二次被曝で「死に損なった」父親の話。彼は原爆の話をいっさい口にしなかったが、「木も生えぬといわれた焼け跡に最初に芽吹いたというスギナや夾竹桃に八つ当たりし、イヤがっておりました」という。
 夏の終わりになると、花が衰えてますます被爆者の肌に似る。そのさまを厭うだけでなく、旺盛な生命力に対する嫌悪感もあったことを改めて思い知らされた。被爆体験者の実感は時とともに風化する。せめて原爆作家といわれた原民喜の「夏の花」にならって、夾竹桃にその記憶をとどめておこう。