負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

妻と子を捨てた画家・青木繁をおおくの人は非難する

2004年09月05日 | 詞花日暦
僕がこの絵を作るのに
実は三年の日子を費やして居る
――青木繁(画家)

 房総半島の南端、布良の海に過ごした夏は青木繁に三つの成果をもたらした。一つは有名な『海の幸』、二つは同行した福田たねの間に生まれた幸彦(のちの福田蘭童)、三つは三年後の大作『わだつみのいろこの宮』。海底の光景に魅せられ、失った釣り針を探す海幸彦の神話を題材に描き上げた。
 栃木県の水田地帯水橋村(現芳賀町)、五行川のほとりに福田たねの実家跡がある。青木親子はこの地に滞在し、明治四十年、豪農・黒崎家(現存)の一間を借りて『わだつみ』を完成した。しかし、同三月、東京府勧業博覧会の評価が三等賞牌に終わったことは、青木の自負と自信を砕いた。「大家が後進を恐るる事甚だし……」と恨みと失望をのちに書いている。
 同八月、父の死で福岡県久留米に帰る。五行川の木橋を渡って、水田の一本道を行く青木を母子は見送った。以降、三人が会うことは一度もない。四十四年三月、二十九歳の死まで、青木繁は長崎、佐賀、天草、三角、小城とさ迷う。死の三か月前の手紙に「志成らず現業はれずして茲に定命尽くる事、如何ばかりか悔しく」と。芸術の魔は恐ろしい。