負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

青いバラの育種と青い花への想いはまったく別ものである

2004年09月23日 | 詞花日暦
青いバラができたとして、さて、
それが本当に美しいと思いますか
――鈴木省三(バラ育種家)

 青いバラをテーマにした本の取材で、最相葉月が会った鈴木省三は、のっけに引用のようなことばを口にしたという。鈴木は高名なバラの育種家として、巨大な足跡を残した老人だった。彼のことばには、花を愛しつづけた人の万感の思いがこめられているように思える。それに青いバラづくりで騒ぐ人々に対するさりげない揶揄も仄見える。
 長い間、青いバラは「不可能」という意味の比喩として君臨した。一方、すでにDNA操作などによって、ありえなかった青いバラの類似品が誕生している。最相の労作『青いバラ』はその両面を丁寧に跡づけて見せた。ただし、青いバラの育種と人々が青い花にこめた思いは、区別しておかねばならない。
 育種の目的の大部分はビジネスの利益追求という要素を持つ。ノヴァーリスなどの詩人たちが語る「青い花」は、あくまで心の問題だった。もし「人間とは実現不可能な一場の夢」(マラルメ)だとすれば、人は常に不可能な花を想い描き、追い求める。美しいのは、心の領域に咲く「イデー」(観念)としての青い花でしかないことを知るべきだろう。