負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

紅葉に燃え立つ華やぎへ向けて藪や森は死につく準備に入る

2004年09月30日 | 詞花日暦
原始のままの森は、自らの尊厳に酔って、
けものの棲むことを拒んでいる
――串田孫一(随筆家)

 山登りなどを題材にした串田のエッセイは、一般の山岳随筆にくらべて奇妙な味わいを滲ませている。奇妙なというのは、彼の感性を通して、一種独特な風景が現れるからである。いわば誰も見ない自然の姿に読者は驚かされることがおおい。
 たとえば夏の万緑や秋の紅葉を愛でる人はおおいが、夏が終わり、秋に移る端境期の森を語る人はすくない。串田は、「藪はそれほど黄ばんではいなかったが、生命の疲れ、老いの息、しめっぽい匂いがあった」と書く。つい数日まえまで、緑の生命に溢れてものが、気付かないうちに衰えを見せ始める光景である。
 原始の森や藪では、まだ若やいだ緑の生命は残っている。だが「踊るような漂いではなく、それは這いまわる死の匂いと入り交っていた。生と死の葛藤はなく、むしろ殆ど解け合った状態だった」。錦秋に燃え立つ最後の華やぎへ向け、藪や森はすでに死に至る準備に入っている。串田が書いた森の尊厳は、ふしぎな自然の姿と人の一生を重ねて見せる。