英語教師のひとりごつ

英語教育について考える。時々ラーメンについて語ることもある。

音読の効果

2014-02-25 18:03:30 | 日記
「音読は重要だ」といわれれば、私も当然そうだろうな、と考えています。しかし、SLAの世界ではあまり音読について触れているものはありません。それはある意味では当然のことで、第2言語として言語を学ぶ時、多くの場合周りにはその言語の話者がおり、日常の生活である程度接する機会をもっていること(つまりアウトプットまで強いられること)が前提となることが想定され、あえて音読を授業で課すよりも、タスク中心やフォーカス・オン・フォームなどの指導法が適切である場合が多いでしょう。

しかし、われわれが英語を学ぶときには、実際に音声に接する機会はかなり限られているので、リスニングだけでなく、音読によってもインテイクの機会を設ける必要があるといえます(定義にもよりますが、単純な音読活動をアウトプットとはよびません。一応。この辺の議論については以前取り上げましたのでそちらも参照されたい)。よって日本では音読の効果について、多くの文献(たとえば門田(2007)、門田(2012)、鈴木・門田(2012))が手に入ります。音読の有用性についてはこれらの文献を読めばよいでしょう。

しかし、教師の中には音読について懐疑的な人もいるようです。ある人がこのようなことを言っていました。「読む流暢さと英文の内容理解度には相関関係がない、というデータがある。だから音読をしたからといって英語の理解が進むわけではない。」まず第一に、私はその研究の出所を知らないのであまり断定的にはいえません。しかし、これは音読の効果にたいする反論にはならないと思います。なぜなら、音読活動はそもそも内容理解を促すための活動ではないからです。音読活動はむしろ、内容理解がある程度できた段階で課す作業であると思います。もちろん音読することでさらに内容理解が深まることは事実ですが、最初から内容理解をさせるために音読をするわけではないことは知っておくべきだと思います。よって内容を全く理解していない文を読むことに意味はないと思います。それはたとえば、内容はまったくわからない子に、何度も繰り返し音読させて流暢に発音できるようにさせて「読めるようになったから内容もわかるでしょ。」と言っているようなものです。

つまり音読は、意味を意識させる工夫をしなければ、ただ単に音を表出するだけに終わってしまう恐れがあるともいえます。そこで生徒に音読をさせるときには、いくつか気をつけておかなければならないことがあると思います。この点について詳しくは鈴木・門田(2012;p.22)が参考になります。その中でも、私が特に重要だと思うのは以下の点です。

①音読は(程度の差こそあれ)内容理解後に行うこと。
②意味(や場面、状況)を意識しながら行うこと。
③多様な方法で繰り返し行うこと。
④まずは全体で発音を確認してから、ペアなどで行うこと。

③については、②を意識しながら行うことが求められます。音読の方法としては次のようなものがあります。

1.リッスンアンドリピート:教師やCDの後にリピートする
2.パラレルリーディング:教師やCDの音声を聴くと同時に、スクリプトを見ながらリピートする
3.シャドーイング:2をスクリプトなしで行う
4.リードアンドルックアップ:生徒に黙読する時間を与え、その後スクリプトから目を離しておぼえた文を言う
5.穴埋め音読:(主にペアで)穴埋め式のワークシートを用いて音読する
6.通訳音読:(主にペアで)パートナーに日本語を読んでもらい、英語に直す

これ以外にもさまざまな方法があり、枚挙にいとまがありません。詳しくは鈴木・門田(2012)が参考になると思います。また、主にシャドーイングを中心にして、その効果を詳しく検証している門田(2012)も参考になります。特に音読とシャドーイングの違いについては興味深いですね。


また、音読といえば初級や中級の学習者だけに必要だと思われがちですが、上級学習者でも日常で使う機会がない人にとっては、音読はかなり有効な学習方法だと思います。私はいつもネイティブと話していて「これは使えるな」と思った表現は、そのまま頂戴して頭のなかで、あるいは家に帰ってからひとりごとのように何度も呟いて覚えて使うようにしています(決してあやしい者ではありません)。かなり英語を使う機会には恵まれていますが、それでも何度も口ならししておかないと新しい表現はパッとは出てきません。先日はこんな表現を頂戴しました。

(1)She was this close to winning a gold medal.(彼女あとほんの少しで金メダルとれたのにね。)

これは使える表現です。応用してI was this close to~でもよく使われ、「もう少しで~だったのに!」のような感じで使われます。使える表現はパクってそのまま使ってしまいましょう。


【参考文献】
門田修平.(2007).『シャドーイングと音読の科学』.コスモピア.
門田修平.(2012).『シャドーイング・音読と英語習得の科学』.コスモピア.
鈴木寿一・門田修平.(2012).『英語音読指導ハンドブック』.大修館書店.

北見 創介のあさり正油ラーメン

2014-02-22 18:18:55 | グルメ
3年生の担任である私は、卒業式の準備と、在校生のための学年末考査作成にひたすら追われています。息抜きのラーメンを食べてきました。

北見にある創介のあさり正油ラーメンです。写真は大盛りでチャーシュートッピングです。


あっさりですが、コクがあります。創介は他のラーメンも魚介系の出汁がきいておいしいです!

さぁ卒業までラストスパート!吹雪の影響で2日間家にとじ込もって雪かきに追われていたので仕事がたまって…ラーメン食べている場合じゃないのかも。。。

吹雪が~を襲った。を英語で言いたい

2014-02-17 16:27:07 | 日記
今日は大雪で休校になりました。朝から車を出すために雪かきしていましたが、10時ごろになってやっと車が出せたので、一応休みはとっていたのですが、謎の正義感に駆られて(実際には仕事がたまっていて仕方なく)学校へ向かいました。学校までの道のりは普段なら3分。しかし10分以上かかりました。それもそのはず、一寸先も見えないのです。そして学校にたどりついたはいいが、学校が雪だるまになっていました。どうしようか悩んでいると、車が身動きとれなくなり、学校のショベルカーでけん引してもらい、なんとか命からがら脱出に成功。急いで学校に行きましたが、帰れなくなる恐れがあったので、帰宅。しようと思ったら、また車が雪で動かなくなりました。もうここで万事休す、と思ったら、向かいの郵便局の人たちが助けに来てくれて、みんなで車を押してなんとか脱出。人々の温かさを感じながら、そしてその後も車は何度も雪にはまりそうになりながらなんとか家に着きました。こんな日は無理してもしょうがないので、家にいるのが一番ですね。いい勉強になりました。


天災に襲われたときの英語表現は、たとえば今回のように吹雪や地震、津波など日本で暮らす我々は知っておかなければなりません。多くの生徒は次のように表現してきます。

(1)There was a heavy snowstorm in Abashiri.(網走で激しい吹雪があった。)
(2)There was a big earthquake in Japan.(日本で大きな地震があった。)

もちろんこれでもかまいませんが、簡単な語彙でシンプルに表現するなら「hit」を使うとよいでしょう。このhitは「~を襲う」くらいの意味です。

(3)A heavy snowstorm hit Abashiri.(激しい吹雪が網走を襲った。)
(4)A big earthquake hit Japan.(大きな地震が日本を襲った。)

あるいは受動態を用いて、次のように表現します。

(5)Japan was hit by a tsunami.(日本が津波に襲われた。)

ちなみにこのhitは自動詞としても使われます。文脈によってはこちらのほうが使えそうです。たとえば友人と地震の話をしている場面では次のように使われます。

(6)Maybe another big one will hit soon.(すぐに別の大きなやつが来るかもよ。)

あまりよい話ではありませんが。自動詞も場面によってよく使われますので知っておいて損はないでしょう。ちなみに吹雪は「snowstorm」ですが、ひどくなると「blizzard」といいます。「猛吹雪」という意味です。今回のはまさにblizzardでした・・・。


そして学校は休校になりました。英語にしておきましょう。

(7)School was canceled today.(今日は休校になった。)

最後に、雪かきは北海道民の冬の運動にかかせないものです。ぜひ雪かきで健康になりたいものです。

(8)I shaveled snow all day today.(今日は一日中雪かきをした。)

簡単な語彙で多くのことが表現できます。身近なことを表現するのに難しい語彙は必要ありませんが、どのように表現するのかを知らなければ話したり書いたりすることはできません。このような語彙の使い方を積極的に指導することが大事だと思います。すると生徒の表現力はどんどん高まっていきます。明日は晴れるといいなぁ。

似ている表現が気になってしまう

2014-02-16 10:50:45 | 日記
前回、このような表現をとりあげました。

(1)I'm worried about her.(僕は彼女のことが心配だ。)

しかし、「心配している」ことを伝えるには次のような自動詞として使われた文も可能です。

(2)I worry about her.

(1)と(2)はだいたい同じ意味を表しますが、正確には少し違います。

be worried about: ある出来事についてや比較的短い期間の中で心配する

worry about: 長い期間に渡って心配する

worry aboutを進行相を使って次のように表現すると、一時的だと解釈されるので(1)とほぼ同じ意味だといえます。

(3)I'm worrying about her.(≒(1))

しかし文脈によってはこれに従わない例も見られるので、一応の目安程度に考えておけばよいでしょう。また、このような微妙な使い分けを生徒に強いる必要もなく、気になる生徒には説明する、というスタンスでよいと思います。今回のように非常に似ている表現の使い分けは、文脈の中で位置づけられれば理解を大きく妨げることはまずないので、実際に理解を妨げるような語彙(例えば前回取り上げたcareのような例)を重点的に指導すればよいと思います。

ちなみにアメリカやカナダのネイティブによると、(1)が最もよく使われるようです。使用頻度の高い表現は確実に覚えていきたいですね。

生徒の目を殺す教師 ~ゲレンデでの一幕~

2014-02-14 22:31:40 | 日記
私の学校には全校生徒と教員全員でスキーに行く行事があります。それが今日あった、という話なのですが。久しぶり(2年ぶり!)のスキーだったのでくたくたになりました。

生徒たちは生き生きとしていて、学校とは違う一面が見られて、私としてはかなりいい行事だと思います。まぁスキーが滑れない生徒にとっては地獄かもしれませんが。

そんなスキー場での一幕。スキー場にはいくつかの学校から小学生もたくさん来ており、なかなかの賑わいでした。そこに現れた鹿の群れ。リフトに乗るために並んでいた小学生の列がほんの少し乱れ、小学生たちははしゃいでいたようです。私は別になんてことはなく、その様子を見て微笑ましくなりました。

しかし、そこで小学校の先生の怒鳴り声。

「おい!何遊んでるんだ!遊びじゃないんだぞ!何年生だ?」

振り返ってみると、40代後半くらいの男の先生。しかも違う小学校の。それを聞いたその小学校の先生が慌てて、

「ほら。お前たち。しっかり並びなさい。」

と一応言っていました。その怒鳴った小学校教師は悠然と戻っていきました。生き生きしていた生徒の目は、一瞬で死んでしまいました。そのあと、彼らが再びスキーを楽しんだのか、私の知るところではありません。悠然と戻って行った小学校教師の小学校の生徒たちはしっかりと列を作って並んでいましたが、びくびくして少なくともスキー学習を楽しんでいるとは到底言い難い様子でした。


私も高校の、しかも全く進学校ではない学校ということもあり、生徒たちを叱ることも少なくはありません。しかし、基本的な姿勢はその倍の比重で褒めることにあります。まして他の学校の別の教育方針を掲げた学校の生徒に口を挟むことはめったにありません(まぁ一度もないわけでは…)。

しかし私の思う問題はそこではなく、無邪気にはしゃいでいる小学生を、自分の体格的優位性と教師という職業的優位性、そして自分の価値基準に当てはめてしか考えられない価値観(指導観?)を存分に生かし、さも正義の鉄拳であるかのように振る舞い、その小学校の先生の面子を潰したばかりか、生徒の目を殺したその行動にあると思います。

厳しい先生はいい先生。間違った行動はしっかり指導すること。別に否定はしませんが、そもそも何が間違った行動なのか、小学生は怒られたことで理解できるでしょうか。びくびくしてその先生の前では飼い慣らされた猫のようにおとなしくなる人間を育てることが目的ならまぁ目的にかなった方法だとは思いますが。

私の知らないところで何かとんでもないことを小学生がやっていた可能性は否定できないので、断定的にいうことはできない、としても言い方が小学生に対して適切なのか、どんな教育的効果を意図していたのか、ぜひご教授願いたいものです。「俺は正しいことをした」と一見思えることがこの出来事の危うさでもあると思います。実際にゲレンデにはそういう雰囲気が流れたことも事実です。もちろん私は全く思いませんでしたが。

とにもかくにも今日のスキー学習は、うちの高校の生徒にはいい思い出となった子が多いと思うので、うれしいかぎりです。特に悪さをせず、むしろ他校の生徒に気を使いすぎて食事も隅っこで取っていました。人がよいのか、内弁慶なのか、よくわかりません。