英語教師のひとりごつ

英語教育について考える。時々ラーメンについて語ることもある。

authenticな教材は何がすごい?

2014-12-31 12:25:00 | 日記
最近やたらと見かける「authenticな教材」という言葉。日本語の文献でも見られるようになりましたが、海外の文献ではけっこう前からわりと目にしていました。この「authenticな教材」とは何を指すのかを私の知るかぎりにおいて表現するならば「言語教育のために作られたものでない、本物のニュースやテレビ番組、映画、新聞や本やインターネットなどから得られた、ネイティブスピーカーによるネイティブスピーカーのための素材」のこと。らしい。いや、正確にはこの言葉が指すものは研究者によって若干異なるような気がします。しかし、ある程度的を射た定義ではあるでしょう。さて、このauthenticな教材を使って指導することがなぜ重要なのか、そんな疑問を持った今日この頃。たまたま眺めていた文献で若干説明がされていましたので引用しておきます。

「そのコンテンツが内容的にも言語的にも文化的にも非常に豊かであるため、教師も生徒も英語と知識と思考をフル稼働させてテクストに取り組むことになり、高い次元の学習効果と達成感が得られ」、「現実社会で生産され消費される『本物』の迫力が知的興味を刺激し、学習意欲をかき立てるという情緒的側面」もあるから(以上渡部など(2011;21)より)

これを読んで「なるほど、その通り!」と思えない私はauthenticな教員ではないのかもしれません。ただ、なんとなくすぐには納得できるものではありません。authenticな教材とauthenticでない教材はそれぞれの長所と短所を踏まえて有機的に取り入れていくものではないのか、と思います。authenticな教材の長所はいうまでもなく、本物の場面に位置づけられた、本物の表現が学べることでしょう。そして、それ故に特に初級や中級レベルの生徒に合ったとっつきやすいものを選ぶのはかなりの困難があるのが短所でしょう。それにたいして、authenticでない教材の長所は、学習させたい項目に重点を当てることが容易であることが挙げられるでしょう(そのために内容構成されている場合が多いわけです)。一方短所は、学習者のレベルに合わせるために自然な言語使用でなかったり、不自然な表現を使わなければならないことが多々あることでしょう(ピーターセン(2014)による指摘は参考になります)。ではどちらが優れているのか、といわれるとケース・バイ・ケースだと思います。両方の長所を生かして、短所を補うのがベターだと思います。

そもそもauthenticな教材を推奨する立場に対しては「じゃあauthenticじゃない教材は生徒の知的興味を刺激しないの?内容的に優れたものはないってこと?」という疑問が拭えません。

ただし、こういった狭い意味でのauthenticに対して、もっと広い意味でこの語を説明している文献もあった(はずなのにどの文献だったか覚えていない...)ので、もう少し調べてみたいと思います。


【参考文献】
マーク・ピーターセン.(2014).『日本人の英語はなぜ間違うのか?』.集英社インターナショナル.
渡部良典・池田真・和泉伸一.(2011).『CLIL 内容言語統合型学習 上智大学外国語教育の新たなる挑戦 第1巻 原理と方法』.上智大学出版.

『ジーニアス英和辞典 (第5版)』を読む

2014-12-28 17:23:00 | 日記
英和辞典や英英辞典を読むのが好きです。この楽しみを知ったのは高校生の時。当時はまだ電子辞書など誰も持っていなかったので、紙の辞書を机に上げて授業を受けていました(ちなみに今や紙の辞書を机に上げている生徒はほとんどいません!)。当時は学校推薦の辞書というのがあり、私もそれを使っていたのですが、いまいち使いにくかったので、もう1冊、本屋で自分の納得のいく辞書を何日も通った末に買いました。その辞書は今でも大切に持っています。

さて、その時に気づいたのが、同じ語を調べても、辞書によって記述が様々であることです。それが面白くて、辞書を見比べるのが好きになりました。また、辞書によって語法などの情報が豊富で、別の語を調べていたのにたまたま目についた語法を読んで知識を膨らませたものです。その癖が今も抜けず、いろいろな辞書を比べながら、どれがよりわかりやすいか、正確にその語の本質を捉えているか、などを考えています。

最近発売された中でかなりお気に入りにしているのは、時々本ブログでも引用させていただいている『オーレックス英和辞典(第2版)』です。他の辞書にはない、「プラネットボード」というコラムは参考になります。

そして先日、いよいよ『ジーニアス英和辞典』の第5版が発売されました。私は実は、第3版までのジーニアスはあまり好きではありませんでした。「嫌いだった」といっても言い過ぎではないくらい。正直あまり正確とは思えない語法や例文が気になっていたのです。第4版でかなり力を入れて改善したようですが、残念ながら第4版も私のお気に入りの辞書にはなりませんでした。ただ、かなりよくなったな、と生意気にも上から目線で眺めてはいましたし、いろいろな辞書で調べる時に「ジーニアス第4版ではどう書いてあるかな?」と気にする存在にはなりました。

さてタイトルにもなっている『ジーニアス英和辞典(第5版)』についてやっと述べる時がきました。私はこの辞書を今までのジーニアスとは別物だと思っています。それくらい記述がよい意味で替わっています。まるで別の新しい辞書のように進化しています。

どこが優れているのか考える前に、私が辞書を選ぶ際のポイントを挙げておきます。

①記述の正確性
②語法解説の質

①については、辞書にも厳密に検討すると、記述が(現代の語法から見て)事実と解離していることがある、というのを意識する必要があると思います。そもそも、歴史的に見て正しいのか、現代の語法から見て正しいのか、どちらに重きを置くのかが問題なのですが、学習者のための辞書という視点に立つならば、現代の語法から見て明らかに容認されないものは排除されるべきではあるでしょう。また正確性に関しては「どこの国(や地域)の英語なら容認可能なの?」という疑問にも答えたいところです。例えば「want 動名詞」を容認可能とするのは、現代では限られた地域の人たちだという事実があります。最近はコーパスが発達してきたので、この辺のことはかなり正確に記述されるようになってきたようです。

次に②の語法解説について。ここで問題になるのは「誰に対する語法解説か」という視点によって、解説の内容は全く違ったものになる可能性がある、ということです。例えば、『英語教育』(2015年1月号)の柏野(2015)を見ると、その辺の苦労が垣間見れます。詳しくは原典を読んでいただきたいのですが、同じ語法を伝えるのでも「誰に向けられた記述か」や「限られたスペースでどの程度まで書くか」、そして「規範寄りの記述主義」の基本路線の中で容認性の揺れのある語法のとりあえずの「結論」は何なのか(この結論は読者が英語学習者である、という事実を踏まえての「結論」であることにも留意されたい)という難しさ、とでも要約できるでしょうか。この辺のバランスは各辞書によって特色があり、それが辞書を読むことのおもしろさでもあります。

つまるところ、私は教員として(あくまでも教員として、です)、その辞書が有益かどうかを判断は、上記の点(記述の正確性と語法解説の質)が生徒と教員の双方にとって有益であることだと思います。理想としてはこの2つが一致していることが望ましいのですが、実際には異なることが多いと思います。生徒、特に高校生にとっては知らない語句を調べて、簡単な解説や現代英語で用いられている暗記すべき例文、できればコロケーションの情報があればよいと思います。一方教員にとっては、もう少し踏み込んだところまで知りたい(から辞書をひく)わけです(例えば、日本語では同じ語句のニュアンスの違いはあるのか?みたいなこと)。ジーニアスは第3版までは、正直無駄に多い語法解説と怪しい例文の数々に若干生徒も教員もうんざりしたものですが、第4版からの改革は第5版でさらに大きな進化を遂げたといえるのではないでしょうか。

関係代名詞のthatは人にも使えるのか

2014-12-22 22:05:00 | 日記
関係代名詞のthatは「先行詞が人にも物にも使える」と教えられています。果たして本当に「人にも使える」のでしょうか。

なんていうと、私の結論は「人にはthatは避けた方がよい」などと結論づけられそうになるのですが、私の結論は従来どおりの「thatは人にも使える」というものです。

ではなぜこんな当たり前の話題を改めて持ち出したのかというと、最近の文法について書かれた本の中に「先行詞が人の時のthatはネイティブスピーカーは嫌がるので、thatの『人にも使える』という記述は改めた方がよい。『物や動物には使える』という記述に改めるべきだ」という旨の記述を見つけたからです。こういうセンセーショナルな内容は確かにまったく裏付けがないわけではないだけに、余計たちが悪いのですが、結論のあり方がいささか早計だと思うのです。先ほども述べたように私の結論はthatでも、人の先行詞を受けることができます。特に会話ではthatは人でもかなり積極的に用いられます。ただし、フォーマルな場面ではwhoを使う方がよいでしょう。もう少し詳しく見ていきます。

どんな場面でどの関係代名詞が用いられているのか、詳しく考察しているのはBiber(1999;pp.608-630)でしょう。Biberによれば、会話でもっとも使われる関係代名詞はthatです(ただしこの数には物を先行詞にとるものも含まれています)。そこで会話の中で、先行詞に人をとる場合にthatが使われている割合を見てみると、30~40%です。ちなみにwhoが使われている割合は40~50%なので、whoの方が会話でも若干用いられることがわかります。しかし、その差は大きくはありません。ただし、ニュースや学術的な文献では、thatは5%以下にまで激減します。また、関係代名詞が目的格で使われた場合は、ゼロ関係詞(あるいは関係詞の省略)が80~90%と圧倒的で、thatは5~10%程度です。

人が先行詞の時のthatは、物が先行詞のthatよりは頻繁に使われないことは確かですが、会話ではかなり積極的に用いられます。よって特に人が先行詞の場合にthatは使えない、と結論づけるまでには至らないでしょう。


【参考文献】
Biber Douglas et al.(1999). Longman grammer of spoken and written English. Longman.

ヨーロッパ旅行 ーモナコ・エズ村~パルマ・デ・マヨルカ編(12~14日目最終日)ー

2014-12-21 19:43:00 | 旅行
年末なので、最終日まで終わらせて新たな気持ちで新年に臨みます!

まず12日目、モナコグランプリで有名なモナコへ。モナコはフランスの中にある国です。カジノなどで栄える、お金持ちのバカンスの場所だけあって、高級車がバンバン走っていました。そして景色もきれいです。


次の写真は実際にレースで使われている公道です。公道をレース、という感覚がすごいですが。


また、モナコの近くにはエズ村という山の中にひっそりとたたずむ村があります。そこにもお邪魔しました。「ひっそり」とはいっても観光客がけっこう押し寄せていましたが。迷路みたいな作りの家の並び方は、おそらく外敵からの防衛的な役割を果たしていたのでしょう。ちなみにエズ村はフランスにあります。



そして翌日、13日目です。船はスペインの島である、パルマ・デ・マヨルカへ。サッカー好きな人はチームもおなじみですね。


このマヨルカ島はショパンが一時期病気の療養をしていた場所でも有名です。ショパンが療養していたのは山の奥のこんな場所でした。おそらく棚田だと思われます。


それにしても、スペイン料理があまり食べられなかったのが心残りです。船は最後に出港地であるバルセロナに戻り、私の旅は終わりました。ちなみに船ではいろいろと楽しいイベントや施設が毎日あったのですが、アイスバーという、すべて氷で覆われた恐ろしく寒いバーが船内にありました。


ほかにもブルーマンショーという大人気のショーも見れたし、ブルーマンが素顔で出てきて、いろいろな裏話が聞けるイベントもあり、まったく飽きることはありませんでした。いつかまた行きたいなぁ、と思いつつ、しばらくは無理でしょう。以上、ヨーロッパ旅行の完結編でした。


ヨーロッパ旅行 ーイタリア ピサ・フィレンツェ編(11日目)ー

2014-12-21 08:08:00 | 旅行
もう気がつけば年末。学校は冬休みに入り、講習が始まろうとしております。そんな中、夏休みの思い出をまだ語り続けております。

ヨーロッパ旅行11日目。わりと終わりが見えてきた今日この頃。この日はピサからフィレンツェへ向かう、これまたみどころ満載の1日でした。

まず、ピサといえば何と言っても斜塔。確かに傾いていました。当たり前ですが。

ピサは斜塔以外にもすばらしい建造物が並んでいるのですが、どれも傾いているようです。ただ、塔が一番わかりやすいというわけで、この塔が有名なわけです。

そしてピサを後にして、フィレンツェへ。フィレンツェはなんといっても街並みが昔ながらの雰囲気を残しているのにきれいです。


次の写真はフィレンツェの「ドゥオモ」です。


これまたローマとは全然異なる趣で、中世のヨーロッパの街並みそのまま、といった感じでした。

さて、いよいよ次回は再度フランスへ上陸し、さらにスペインへ、というスケジュールです。