英語教師のひとりごつ

英語教育について考える。時々ラーメンについて語ることもある。

滝川 月光軒のみそラーメン

2014-09-27 17:32:00 | グルメ
滝川の有名店、月光軒というお店に行きました。とりあえずみそラーメンだろう、ということでみそを注文。
熱々でしょうがが効いていて、もやしがしゃきしゃきで、これぞ札幌のみそ!という感じです。こんなおいしいラーメンが食べれるなんて・・・滝川のラーメンは侮れません。

人の授業を見て我が授業直せ!

2014-09-26 21:58:00 | 日記
今日は英語の研修で他の学校の授業を見に行く機会をいただきました。4月に新しい高校に配属されてから初めて研修に行く機会を得たので、お気楽な気持ちもありながらも、久しぶりに刺激を受けて何かを学びとろうという気持ちもかなりありました。3人の先生の授業が見れたので、実際かなり刺激になりました。以下、他の先生の授業どうのこうのというよりも自分の授業がどうあるべきかをメインに考えたいと思います。

まず、以前も述べたように、「いい授業」と「わかりやすい授業」は違う、ということを再確認しました。「いい授業」とは生徒に考えさせたり活動させて、生徒が能動的に参加する、あるいは生徒が中心になる授業だと思います。そういった意味では今回見た授業はすべていい授業だったと思います。

次に、(うんざりするくらい)話題になっている「All English」の如何について。この話題に触れるのも最後にしたいと思いますが一応。「All English」は教えるための手段であって目的ではありません。オールイングリッシュで教えることが正しいとか、間違っているとか、議論は様々ですが、目的はあくまでも生徒の英語に向けられるべきでしょう。そのためによい活動を行っていれば、教師は生徒の理解度に応じて英語でも日本語でもベルベル語でも、選べばいいと思います。例えば日本語でも理解するのが難しいインフォメーションギャップのタスクについて英語で説明して混乱を招いても、本題の生徒の英語を伸ばすことには繋がらないわけです。教師が英語を使う割合は少しずつ増やしていけばいいと思いますが、その割合は生徒の理解度に左右されるものです。理解しずらい(と思われる)ことは初めは日本語で説明しても構わないと思いますし、慣れてくれば英語でやってみてもよいでしょう。どちらを選ぶ?みたいな話に答えを出すのは現時点では材料が足りないし、厄介なのはどちらも至極真っ当なことを言っているように思われることです(たとえば大修館『英語教育』の6月号と9月号を読むとよいでしょう)。

さて次に、生徒に活動(あるいは狭い意味でのタスク)を課す時の留意点について。タスクについては、もし特定の文法項目を用いることが目的であっても、初めはそれを強要する必要はない、というのが私の考えです。あるいはとりあえず何も言わずにやらせてみる勇気も必要だと思うのです。これで完全に授業は崩壊しますが、それはそれでよいのです。かなり短時間でよいので、まずタスクをやらせてみる。できる生徒はもしかすると目的の文法項目を用いるかもしれませんし、別の手段で成功するかもしれませんが、ほとんどの生徒はカオス状態になります。短い時間でよいので、このカオス状態をわざとこの時間を作ってよい、と思うのです。多くの生徒は表現できなくて、すぐ飽きます。そこで1度、タスクを中断します。「実はこういう表現を使えば簡単に伝えられるんだよ」と例を提示します。表現したかったことなので、生徒はいつもより必死に聞きます。そこで、もう1度タスクに戻ります。おそらく多くの生徒がタスクを達成することができるでしょう。毎回この技が効果的かは別にして、私はこのくらいの余裕を持ってタスクに臨むことが大事だと思います。「表現したいことが表現できない」という葛藤が「知りたい」という気持ちを掻き立てて、より理解を深めてくれるのではないでしょうか。そういった授業は、一見見栄えは悪いかもしれません(カオス状態を作るので、研究授業なんかでやるとドン引きされるかもしれません)が、それはそれでアリ、という余裕がほしいなぁ、と。

最後に、「生徒の気持ちになって活動を考える」ということです。例えば「本を読むのが好き」という相手に対して「なぜ?」と聞く会話に日本語でも全く生産性がないのに英語でやるべきではないと思います。日本語でも、その「なぜ?」に答えられないのに、英語で答えられるでしょうか。答えられない場合、その理由を英語力がないからだ、と結論づけるよりも、そもそも日本語でやって成立するのかを考えるべきでしょう。どんな活動をさせるのか、そのためにどんなステップを組むとよいのか、準備段階で生徒の立場になって想像してみると意外と見逃していたことが見えてくるのではないかと思いました。

ぐだぐだと述べてきましたが、とにかく人の授業を見るのが一番勉強になります。我が授業でやるべきことが見えてきた今日この頃でした。

neverはどこに置けばいい?

2014-09-20 19:57:00 | 日記
neverは通例、次のような位置に置かれます。

(1)I have never been to Hawaii.
(2)I will never go to Hawaii.

つまりnotと同じ位置に置くと考えればわかりやすいですね。しかし次のような場合、はたしてどれが正解でしょうか?

(3)I would have never visited Canada if I had worked.

(4)I would never have visited Canada if I had worked.

(5)I never would have visited Canada if I had worked.

答えの前に、そもそもなぜこんなことを投げかけるのかというと、さして深く考えずに仮定法過去完了の並び替え問題でこのような文を出題したときに、生徒の答えの中に上に挙げたような答えが並んでいるのを見て、私自身「おや?これはすべて間違いといえないのでは?」と思ったことが始まりです。一応、教科書では(3)の語順で示されていたので、それが模範解答だったのですが。

ネイティブに尋ねてみたところ、すべて正解とのことでした。複数のネイティブに確認はしていないので、容認度に違いがあるのかはわかりません。こういった問題を出題したのは正直失敗でしたし、もちろんすべて正解にしました。ちなみにwould haveだけでなく、might haveやshould haveなど他の助動詞でもneverは同じように3ヶ所で用いるようです。ただし、これらの3つに意味の違いや語用論的な違いがあるのかはわかりません。

ヨーロッパ旅行―イタリアカプリ島編(9日目)―

2014-09-15 22:29:42 | 旅行
まだまだあります。ヨーロッパ旅行。次はクルーズでイタリアへ向かいました。まずはナポリへ。でもナポリ自体はほとんど見ていません。船を降りた我々はさらに小さい船に乗ってカプリ島という小さな島へ行きました。カプリ島は「青の洞窟」という洞窟で有名らしく、多くの観光客が訪れています。


私は個人的にはナポリから割と近くになるポンペイの遺跡を見に行きたかったのですが、ツアーの行程にカプリ島観光が組まれていたのでカプリ島へ。というかカプリ島自体知らなかったので、あまり期待していませんでした。しかしカプリ島は意外と見どころが多く、楽しめる場所でした。

まずは最大の名所、「青の洞窟」です。小さい洞窟に手こぎ船で無理やりな感じで入っていくと、中の海が太陽の光に反射して青く光ってみえます。

確かにきれいだし、中に入る時がスリルがあってディズニーランドのアトラクション感覚で楽しめます。ただし、ひたすらボートやら手こぎ船に揺られるので、酔い止めを飲んでおいたほうがよさそうです。私は平気でしたがみなさんかなりやられていました。次の写真は洞窟の周りに群がる手こぎ船です。


さて、次に時間があまったので、カプリ島を見下ろせる山の頂上までいわゆる日本にもあるスキー場のリフト的なもので登りました。片道15分近くかかるので、それが楽しいです。頂上からの景色もきれいでした。

カプリ島はレモンが有名なので、レモンのジェラートも食べましたが、とてもおいしかったです。それにしても、本場イタリアのジェラートは日本のジェラートよりもかなりおいしく、どこで食べても間違いなくおいしかったです。カプリ島ではぜひレモンのジェラートをお試しください。

カプリ島では、「カプリウォッチ」という時計を最近は目玉にしているようです。このカプリウォッチは日本ではあまり手に入らないらしいので、時計好きの私はついつい店に入ってみました。

デザインもかなり斬新で、値段もわりとリーズナブル。というわけで迷わず購入。日本円で3万円くらいでしょうか。デザインといい、重量感といい、とても気に入っています。もしかしたら一番の旅の記念かも。

てなわけであまり期待していなかったカプリ島で時計も買えたし、おいしいジェラートも食べれたし、で結果的に大満足でした。でも次回はポンペイに行ってみたいなぁ。新しいカプリウォッチもいつか買いに来たいと思います。

丁寧さの問題をもう少しだけ丁寧に考える

2014-09-08 22:04:00 | 日記
以前取り上げた「I was wondering~.」のような丁寧さに関わる話は、言語学の世界ではかなり活発に議論されているところ(それでも足りない、というか知りたいところに手が届かないのは私の勉強不足もあるでしょうが)ですが、それがあまり教育の現場に還元されていないのは大きな問題だと思います。今回は人に何かを依頼するときの表現としてふさわしい表現を考えます。

この丁寧さについて議論するときには、「誰に」「何を」などの、いわゆる場面について設定することが大事だと思います。このような設定があいまいなままで「丁寧な依頼の表現ってのはさ、斯く斯くしかじかなんだよ(ドヤ)」と語ったところで、生徒が使えるようにはならないでしょう。ここで丁寧な依頼の代表例である、次の表現はどのような場面で使われるのが適切なのか、少しだけ丁寧に考えてみます。

(1)Could you ~?
(2)Can you ~?
(3)Would you ~?
(4)Will you ~?
(5)I wonder~.

ここで押さえておきたいのは、この中で最も丁寧なのは、明らかに(5)である、ということです。また、当たり前といえば当たり前のことですが、頼む相手によってどの程度の強制力をもった表現を使うかは異なりますし、頼みやすいことであればより強制力の強い表現を使い、頼みにくいことであればより間接的な表現を使う(鶴田など(1988;90-1)を参照)わけです。しかし、鶴田などが述べている最も重要な要素は「この場面で相手はそれをする義務があるかどうか」(p.91)です。

では、(1)~(4)の中で強い強制力をもった表現はどれでしょうか?答えは(4)そして(3)です。(3)は(4)よりは丁寧ですが、依然として強制力をもった表現です。相手の意志を問うwillやwouldを使う場合には「相手にそれをさせる立場や状況にいる」ことが必要です。例えば上司が部下にたいして一般的な仕事の依頼(指示)をする際に用いるのであれば、これらの表現が最適です。次の例は上司が部下にたいして依頼(指示)している場面で使われます。

(6)Will you type this letter, please?(この手紙打っといてくれる?)(鶴田など(1988;92)より)

さらに、ホテルなどで客にたいして記入してもらうときにも、客には少なからずそれを書くべき義務があるのでwouldを用いた表現が使われることがあります。

(7)Would you fill in this form, please?(この用紙を記入していただけますか?)(同上;95)


ここまでの話をまとめると、willやwouldを用いる際には、少なからず指示する立場にあることが求められます。これにたいして、canやcouldを用いると、依頼になります。何か簡単なことを依頼する際にはcanが好んで使われます。例えば家族で食事をしていて、塩をとってほしい場合(自分で席を立ってとるのは欧米ではよいマナーとはいえないのです)、次の表現を用いるでしょう。

(8)Can you pass me the salt?(塩とってくれない?)

依頼する相手が目上の人であるなら、さらに丁寧なcouldを用いるとよいでしょう。

(9)Could you pass me the salt?

また、親しい間柄で簡単なことを依頼する場合、あるいは教師が生徒に依頼する場合などには、次のように依頼することができる。

(10)It's hot, isn't it? Can you open the window?

では見知らぬ人に(10)のようなことを頼むときはどうするでしょうか。しかしよく考えてみると、見知らぬ人に窓を開けるように頼むことは考えにくいと思います。もしなんらかの事情で自分は窓を開けることができずにいる状況で、どうしても窓を開けたいのであれば、自分自身で窓を開けられない事情を説明した後で、次のようにかなり丁寧に依頼する必要があるでしょう。

(11)Could you possibly open the window, please?
(12)I was wondering if you could open the window?

また、見知らぬ人に何かを尋ねるのでれば次のように表現するでしょう。

(13)Could you tell me the way to the station?(駅への行き方を教えていただけませんか?)

たとえ仲の良い間柄でも、couldを用いる場合があります。それは少し頼みにくいことを依頼する場合です。例えばちょっとした小銭ではなく、少し高いお金を借りたい時なんかはcouldを用いることでためらいがちに表現するとよいでしょう。あるいはI wonderを用いるとより丁寧です。

(14)Could you possibly lend me 10 bucks?(もしかして10ドル貸してくれないかなぁ。)
(15)I was wondering if you could lend me 10 bucks.(10ドル貸してくれないかなぁって思ってたんだけど。)

(14)の例のようにpossiblyを入れると丁寧さはぐっと増すので、親しい人でも頼みにくいことであれば入れるとよいと思います。ただし、とくに頼みにくくないことにpossiblyを入れると、逆にわざとらしく無礼に聞こえるので注意が必要です。当たり前ですが、仲のよい人には食事中このように言うのはおかしいですよね。

(16)Could you possibly pass me the salt?

このように、英語の丁寧さも知れば知るほど奥が深いのですが、まずは鶴田など(1988)やLeech(1980)、ミントン(2012)あたりを参考にするとよいでしょう。特に鶴田などやLeechも述べているように、「聞き手への負担・利益」や「間接性」の尺度の問題をもっと深めていけば、教育で還元できる内容が構成できると思います。もう少し考える時間ができたら、この問題をもう一度もっと教育に還元できる形で考察したいと思います。しばらくは無理でしょうけど。。。

【参考文献】
Leech, G.(1983). Principle of Pragmatics. Longman.
鶴田 庸子・ポール ロシター・ティム クルトン.(1988).『英語のソーシャルスキル』.大修館書店.
ミントン, T.D.(2012).『日本人の英語表現』.研究社.