今回話題にしたいのはいわゆる「仮定法過去完了」とよばれているものです。構造が複雑で非常に使いにくい、というのは生徒だけでなく誰しも思っていると思いますが、ネイティブもかなりアバウトに使っている感じがします。私はこの「仮定法過去完了」の「正しさ」についていわゆる規範的文法に照らし合わせて正確に考える必要はない、と考えています。「正しさ」は時代とともに変化するからです。ただし、規範的な文法もまた重要なので、そこを少なくとも最初のとっかかりとして学ぶことが重要だと思います。
「仮定法過去完了」は次のような公式が当てはまる文のことをいいます。
(1)If S1 had 過去分詞, S2 would have 過去分詞.
よって次のような例が当てはまります。
(2)If I had had enough money, I would have bought a new car.(もし十分なお金があったら、新しい車を買っていただろうになぁ。)
学校文法書には過去の実現できなかったことについて、「こうしていれば」と語るときに用いられる、と書いています。
今回は形式の面について実際にどのように使われるのか、おもに柏野(2010,2012)や内木場(2004)、Quirk et al.(1985)を参考に考察してみたいと思います。
基本は(1)ですが、実際に使われる用法をじっくり見てみると、そう簡単ではないことがわかります。
(3)If I had known, I would have told you.(知っていたら、君に話してたよ。)
(4)If I'd known, I would have told you.
(3)と(4)はもちろん同じ意味です。つまり(4)のI'dはI hadの省略ということになります。ここまではそれほど問題はないと思います。しかし次の例を見てみましょう。
(5)If I'd have known, I would have told you.
(6)?If I would have known, I would have told you.
これらはアメリカを中心に、口語ではかなり一般的になってきており、(3)や(4)と同じ意味を表します。この用法について触れている文献は少ないですが、例えば柏野(2010;p.287‐8)は参考になります。注目すべきは(5)の方が(6)よりも容認度がかなり高いことです。柏野(2010)は'dがネイティブによってはwouldではなくhadの省略だと捉えられていることを指摘しています。事実、口語では'dと常に省略して話すので、hadと誤認(?)しているネイティブが多く、しかしそれが(5)の容認度を上げている要因にもなっているようです。(6)のようにif節に省略されずにwouldが用いられた場合、容認度は落ちますが、柏野が指摘しているとおり意志の意味を表すと解釈される次のような例は問題なく容認されます。
(7)If George would have come, we wouldn't have had to call Jim.(ジョージが来ようとしていたら、ジムを呼ぶ必要はなかったのに。)
もうひとつ、特筆すべきはCowen(2008)が指摘しているとおり、次のようにhaveがif節の中で動詞として用いられる場合(つまりhad hadの形になる)場合(9)の方が容認度が高い(ばかりでなく(9)のほうが(8)よりも正しいと解釈される場合がある)という事実です。
(8)If I had had more time, I would have visited that old church.(もしもっと時間があったら、あの古い教会を訪れていただろうけどね。)
(9)If I would have had more time, I would have visited that old church.(Cowen(2008;p.8)より)
この事実をもってもこのような用法を非標準と見なすかとなれば、非常に悩ましい問題です。私は実際にかなり用いられていることからも、積極的に指導してよいと思います。ちなみにCowenは教師向けの文法書ですが、Cowen自身もこのような事実を指導すべきと判断しています(p.8)。指導するかどうかの問題はとりあえず棚上げしたとしても、このような混乱がネイティブにみられ、仮に生徒にもこのような混乱がみられたなら間違いだと判断しない態度はもっておきたいところです。
ちなみにこのようにhad hadになってしまう場合のもっとも一般的な表現はif節に過去形式を使う次のような文でしょう。
(10)If I had more time, I would have visited that old church.
ということで、今度はこのようないわゆる混合型仮定法とよばれる次の例を見てみましょう。(10)のようなhadの例以外にも非常に多く使われる用法です。
(11)If I knew, I would have told you.
この用法も、学校文法では間違いだと解釈されていますが、実は(3)~(6)と同じ意味で用いられており、特に口語ではかなり一般的です。概して過去完了は特に口語では避けられる傾向があり、過去形式で代用してしまうことも多いようです。ただし、柏野(2012)によればこのような過去形式の使用は、正確には少し違った解釈を含む場合があります。それが次のような例です。
(12)My grandfather passed away ten years ago. If I were a doctor, I might have saved his life.(私の祖父は10年前に亡くなった。もしあのとき私が医者だったら、命を救えていたかもしれない。)(柏野(2012;p.121)より)
「if I were a doctor」は「過去のあの時、医者だったら」という解釈ですが、もっと正確には現在の仮想的状況を述べることで「過去の包含」をしているにすぎない、という解釈です。過去完了を使った以下の例と比べてみると、違いが少し見えてきます。
(13)If I had been a doctor ten years ago, I might have saved his life. I might save his life now because I am a doctor.(もし10年前私が医者だったら祖父の命を救えていたかもしれない。今は医者だから、今だったら祖父の命は救えるかもしれない。)
(14)*If I were a doctor, I might have saved his life. I might save his life now because I am a doctor.(柏野(2012;p.121)より)
かなり簡略化して説明したので全体像が見えにくいと思いますが、くわしくは柏野(2012)による混合型仮定法の分類や、内木場(2004)の考察が参考になります。特に柏野による意味論的整合性のあり、なしによる分類は指導の参考になるでしょう。
if節に過去形式を使った混合型仮定法の文が、必ずしも容認されるわけではないこともこの問題を複雑にしているのだと思います。とにかく、「正しさ」が変わりつつあり、規範的な文法に忠実に「正しさ」を判断するのはそれこそ間違いだということは理解しておくとよいと思います。とくに過去完了については、あまり絶対的な正しさを求めても、実際の使用と乖離している可能性があるので注意したいところです。長々述べてきましたが、私の結論としては先に述べたうちの、次の文は指導すべきだと思います。
(3)If I had known, I would have told you.(知っていたら、君に話してたよ。)
(4)If I'd known, I would have told you.
(5)If I'd have known, I would have told you.
(11)If I knew, I would have told you.
(3)や(4)は当然ですが、(5)や(11)のような形式もかなり一般的になっており、指導するべきだと思います。しかし(6)についてはもう少し様子を見たほうがよいと思います。ただし、生徒が(6)のような文をアウトプットしてきた場合には、訂正しながらも必ずしも間違いとはいえない、ということを伝えることも大事だと思います。
そして、少しだけ仮定法過去完了の意味の面について。詳しくは立ち入りませんが、この用法が「反事実」を表すと指導するのは少し行き過ぎだと思います。実際には文脈によって真・偽が不明の場合、仮想的状況を述べるのにも使われる、ということは知っておきたいところです。これはもちろんいわゆる仮定法過去にも当てはまるのですが、それは
以前書いたとおりです。
疲れたのでここで終わりにしますが、にわかに忙しくなってきた今日この頃です。年度終了までラストスパート。やるしかないですね。
【参考文献】
Cowen, R.(2008). The Teacher's Grammar of English with Answers: A Course Book and Reference Guide. Cambridge.
James Francis.(1986). Semantics of the English Subjunctive. UBC Press.
Kartunnen, L.(1971). "Counterfactual conditionals". Linguistic Inquiry2,566-569.
Quirk, R., S. Greenbaum, G. Leech&J. Svartvik.(1985). A Comprehensive Grammar of the English Language. Longman.
内木場努.(2004).『「こだわり」の英語語法研究』.開拓社.
柏野健次.(2010).『英語語法レファレンス』.三省堂.
柏野健次.(2012).『英語語法詳解 英語語法学の確立に向けて』.三省堂.