英語教師のひとりごつ

英語教育について考える。時々ラーメンについて語ることもある。

阿寒湖温泉 鄙の座(ひなのざ)

2014-03-28 16:52:42 | 旅行
留萌管内の高校に転勤になりました。ひたすら慌ただしい毎日を過ごしていますが、今日は休みを取って、阿寒湖温泉にある鄙の座という旅館に来ました。最後の道東かもしれないので。

一言でいえば「すごすぎる!」です。サービスも部屋も、超一流です。部屋にはマッサージチェアがあり、全室露天風呂付きです。


全部で25部屋しかないので、1組1組にしっかり接客してくれます。しかしさらにすごいのは、何気ない会話から、私が誕生日であることを聞き出し、夕食のデザートにメッセージをつけてくれたり、プレゼントまでいただきました。


すべてが飛び抜けているので、値段は安いくらいだと思います。ぜひ一度行ってみてください。後悔させない自信があります。

フォーカス・オン・フォームとは何か

2014-03-21 11:37:22 | 日記
最近日本でも知られるようになった「フォーカス・オン・フォーム(Focus on Form)」という言葉、最近ではいろいろな学者がいろいろなことを言って、言葉の定義をどんどん広げているのですが、なんでもかんでも「フォーカス・オン・フォームだ」と考えてしまってはいけないと思います。「4技能統合型の授業がフォーカス・オン・フォームだ」なんていうのはもってのほかですが、実際には教師はいまいちはっきりしないまま使っていることも多いようです。そもそもこの言葉を理解するためには、日本教育に当てはめてみてもいまいちしっくりこないので、海外でどのように英語教育(やSLA)が発展してきたかを見ていく必要があると思います。そうすることで「何がフォーカス・オン・フォームらしくて、何がフォーカス・オン・フォームらしくないか」がわかる、というのがこの論の結論なのですが果たして。

そもそも歴史的に見れば、現在の日本でも行われているような「文法訳読法」とよばれるような指導法が海外でも一般的であったわけです。つまり形式を教師主導で明示的に指導することに重きを置くものは、文法訳読法も含めてすべて「Focus on Forms(sがついていることに注意。以降これをFonFsと表記します)」とよびます。この形式(多くはいわゆる文法の指導)中心の指導法であるFonFsの中には、文法訳読法と相まって、PPPモデルとよばれる指導の流れが日本でも取り入れられました。このPPPモデルは、「Presentation-Practice-Production」の意味ですが、日本でもよく行われるように、まず文法事項についての説明をし(Presentation)、その文法事項を音読したり書いたり問題を解いて練習し(Practice)、最後にその文法事項を使って文を作る練習をする(Production)、というような流れを指します。日本でかなり一般的な指導法なので理解しやすいと思います(ただし後にこのPPPモデルは後に述べるタスクを取り入れるなど、少し変化を見せます)。また、特にPracticeのときに口頭でドリル形式で何度も練習する(たとえば否定文を作ったり疑問文を作ったり、主語を変えたりする)ことで習得することを促すのがオーディオリンガル・メソッドとよばれており、日本でもよく行われています。日本では、これらのいずれか1つを選択する、というよりも指導の中に適宜組み込んでいくことが一般的です。これらの用語の関係性は以下のように表せるでしょう。

(1)Focus on Forms:基本的に教師主導であり、形式を学ぶことが中心
・文法訳読法
・オーディオリンガル・メソッド
・PPPモデル(ただし、PPPモデルは基本的に授業の進行の仕方を示したものであり、上の2つとは少し性質が異なることに注意)
・コミュニカティブ教授法の弱いバージョン→タスク支援型教授法(これについては後述)

このFonFsは日本では現在でも続いていますが、欧米では1960年代から別の指導法が徐々に脚光を浴びました。それがコミュニカティブ教授法です。これは、今までの形式中心ではなく、コミュニケーション能力を育てることを中心に据える、という名のもとに様々な広がりを見せました。インプット仮説で有名なKrashenの考え方をもとに生まれたナチュラル・アプローチもこれに含めます。バリエーションが多いので、どれがコミュニカティブ教授法だ、と一概にいえるものではありませんが、一応弱いバージョンと強いバージョンの教授法に分けて考えるとわかりやすいでしょう。弱いバージョンのコミュニカティブ教授法は、かぎりなくPPPモデルとオーディオリンガル・メソッドの組み合わせに近いのですが、productionの段階でタスクを用いてコミュニケーション活動を行うもの、と考えておけばよいでしょう(オーディオリンガル・メソッドでは結局形式的な言語活動に終始する、という欠点を克服したものとでもいいましょうか)。これをタスク支援型教授法ともいいます。ただし、このタスク支援型教授法は意味中心ではないので、FonFsに含んだほうがよいでしょう。また、強いバージョンのコミュニカティブ教授法は、内容中心教授法とよばれる、教科などの内容を指導することが中心となる教授法(いわゆるイマージョン教育やCLILを含む)や、タスク中心教授法とよばれる指導法があります。ここでタスクとは何かを見ておくと、松村(2012)によれば、与えられた言語使用の場面をもとに、学習者が主体的に関与し、目標言語を使用して設定されたゴールを達成する活動であり、言語の形式を無視してでもコミュニケーションによってゴールを達成するという成果に重きを置く活動のことです(p.8-9)。つまり活動ではどんなに間違った言葉を発していようと大きな問題ではなく、むしろ関心は意味内容がしっかり伝わっていて設定されたゴールが達成できたかが大事なのです。こういった意味で、かなり言語活動を狭く捉えたものだといえるでしょう。タスクについては松村(2012)を参照されたい。これらのコミュニカティブ教授法は意味に焦点を当てている指導法なので「Focus on Meaning(あるいはMeaning-focused Instructionともいいます。以降これをFonMと表記します)」。FonMについてまとめておきます。

(2)Focus on Meaning:基本的に学習者主導であり、意味を伝えることが中心
・コミュニカティブ教授法の強いバージョン→ナチュラル・アプローチ、内容中心教授法、タスク中心教授法etc
 
ちなみに弱いバージョンのコミュニカティブ教授法、つまりタスク支援型教授法は日本でも最近はかなり取り入れられていますが、これは実際には従来のFonFsと変わらないと考えるのが普通です。ただし、純粋なFonFsともいいがたいので、FonFsとFonMの間のブリッジ的存在という考え方もできるでしょう。さらに考え方によってはこれを発展させたものがフォーカス・オン・フォームだ、と日本では考える人もいます。


強いバージョンのコミュニカティブ教授法は日本ではほとんど受け入れられませんでした。しかし欧米では60年代から80年代にかけてかなり取り入れられ、そして問題が発生しました。意味内容が中心となりすぎると、形式がおろそかになり、いつまでも改善されない(なぜならある程度でたらめに話してもコミュニケーションには支障がないため)という事態に陥りました。そこで形式もやっぱり大事だね、と見直され、「じゃあ形式も意味もどちらも教えちゃえばいいじゃん!」という発想から生まれたのが、「フォーカス・オン・フォーム(以降FonFと表記)」です。FonFは簡単にいえば「意味中心のタスクをさせながら、生徒が上手に表現できなかった形式面をタスク中、あるいはタスク後に取り上げてしっかりマスターさせよう」というのが本来的な考え方です。これが1990年代から現在まで形を変えながら主流になってきています。


一応基本となるFonFの考え方は主に2つに分かれていて、本来的には即応的FonFとよばれる、タスクの中で、「おや、生徒がつまずいてるぞ。これをどうやって表現するのか、確認した方がいいな」とか「生徒の発言の中に文法的な誤りがあったぞ。これは訂正しておこう」と思ってその文法構造に修正フィードバックを与えてやる、つまり生徒のつまずきをその場で判断して取り扱うものを指しましたが、次第にあらかじめ教師がどの形式を指導するか、見通しをたてた上で行うものも事前計画的FonFと名付けてFonFと見なすようになりました。また、この即応的FonFと事前計画的FonFは、さらに事前に形式に関する指導をするバージョンと、タスク中やタスク後に行うバージョンにそれぞれ下位分類されました。

話が複雑になりますが、FonMに属しているはずの内容中心教授法やタスク中心教授法は時にFonFに分類されます。なぜなら内容中心やタスク中心の指導の中に形式の指導を加えるだけでFonFが完成するからです。このような意味でいえば、内容中心教授法やタスク中心教授法をFonMとFonFのどちらに属するか、などと考えるのは野暮なことでしょう。

また、このFonFはさらに日本型ともいうべき変化を遂げて用いられています。先ほどのFonMの弱いバージョンのコミュニカティブ教授法であるタスク支援型教授法も場合によってFonFとみなしたり、あるいは高島(2011)のように文法指導ありきの中に組み込んでいるもの、村野井(2006)はさらに拡張して「自律的フォーカス・オン・フォーム」という言葉を使って、自分で学習するときにFonFの考え方を導入しています(p.101-3)。

日本では意味と形式の両面(つまり意味を伝える活動であるタスクと、文法のような形式を明示的にせよ暗示的にせよ指導すること)を取り入れていれば、FonFだと考えている人が多いようです。実際、どんどんFonFの範囲は拡張されているので、専門家であっても「これはFonFだ!」と太鼓判を押すことは難しくなってきています。結局、日本では「これはよりFonFらしい。これはあまりFonFらしくないな。」程度のスケールで考えるのがよいのかもしれません。個人的には意味と形式の両面を取り入れていても、基本は授業のメインが意味中心でなければ(つまり文法などの形式の指導はあくまでも補助でなければ)フォーカス・オン・フォームとはよべないと思います。一応私の結論としては以下の通りです。

(3)Focus on Form:FonM+FonFs(ただしFonMに重点が置かれることが多い)

先ほども述べたようにFonM的な指導法は日本では普及しなかったので、突然降ってわいたようにFonFが登場したように感じてしまいます。また、多くの日本人は形式重視の教育を受けているので「タスクだけじゃなくて形式も指導するって、そんなのあたりまえじゃん!そんなの僕も/私もやってるし!」と思ってしまうのでしょう。しかし本当の意味でのタスクを授業で取り入れている人はごく一握りでしょう。

日本でフォーカス・オン・フォームやタスクを取り入れた教育を実践したいのなら、とっかかりとしては松村(2012)が必読文献でしょう。特にタスクとは何かをしっかり理解できると思います。


【参考文献】
Doughty,C&Williams,J.(eds). (1998). Focus on Form in classroom language acquisition. Cambridge: Cambridge University Press.
Fotos,S.&Nassaji,H. Teaching Grammar in Second Language Classrooms: Integrating Form-Focused Instruction in Communicative Context. ESL&Applied Linguistics Professional Series. Routledge.
Long, M. H. (1991). Focus on form: A design feature in language teaching methodology. In de Bot, K., Ginsberg, R. B., & Kramsch, C. (eds.), Foreign language research in cross-cultural perspective (pp. 39-52). Amsterdam: John Benjamins.
和泉伸一(編).(2009).『「フォーカス・オン・フォーム」を取り入れた新しい英語教育』.大修館書店.
高島英幸(編著).(2011).『英文法導入のための「フォーカス・オン・フォーム」アプローチ』.大修館書店.
松村昌紀.(2012).『タスクを活用した英語授業のデザイン』.大修館書店.
村野井仁.(2006).『第二言語習得研究から見た効果的な英語学習法・指導法』.大修館書店.

学校英文法の再検討4 ~本当の「正しさ」をめぐって~

2014-03-18 06:01:34 | 日記
今回話題にしたいのはいわゆる「仮定法過去完了」とよばれているものです。構造が複雑で非常に使いにくい、というのは生徒だけでなく誰しも思っていると思いますが、ネイティブもかなりアバウトに使っている感じがします。私はこの「仮定法過去完了」の「正しさ」についていわゆる規範的文法に照らし合わせて正確に考える必要はない、と考えています。「正しさ」は時代とともに変化するからです。ただし、規範的な文法もまた重要なので、そこを少なくとも最初のとっかかりとして学ぶことが重要だと思います。


「仮定法過去完了」は次のような公式が当てはまる文のことをいいます。

(1)If S1 had 過去分詞, S2 would have 過去分詞.

よって次のような例が当てはまります。

(2)If I had had enough money, I would have bought a new car.(もし十分なお金があったら、新しい車を買っていただろうになぁ。)

学校文法書には過去の実現できなかったことについて、「こうしていれば」と語るときに用いられる、と書いています。

今回は形式の面について実際にどのように使われるのか、おもに柏野(2010,2012)や内木場(2004)、Quirk et al.(1985)を参考に考察してみたいと思います。

基本は(1)ですが、実際に使われる用法をじっくり見てみると、そう簡単ではないことがわかります。

(3)If I had known, I would have told you.(知っていたら、君に話してたよ。)
(4)If I'd known, I would have told you.

(3)と(4)はもちろん同じ意味です。つまり(4)のI'dはI hadの省略ということになります。ここまではそれほど問題はないと思います。しかし次の例を見てみましょう。

(5)If I'd have known, I would have told you.
(6)?If I would have known, I would have told you.

これらはアメリカを中心に、口語ではかなり一般的になってきており、(3)や(4)と同じ意味を表します。この用法について触れている文献は少ないですが、例えば柏野(2010;p.287‐8)は参考になります。注目すべきは(5)の方が(6)よりも容認度がかなり高いことです。柏野(2010)は'dがネイティブによってはwouldではなくhadの省略だと捉えられていることを指摘しています。事実、口語では'dと常に省略して話すので、hadと誤認(?)しているネイティブが多く、しかしそれが(5)の容認度を上げている要因にもなっているようです。(6)のようにif節に省略されずにwouldが用いられた場合、容認度は落ちますが、柏野が指摘しているとおり意志の意味を表すと解釈される次のような例は問題なく容認されます。

(7)If George would have come, we wouldn't have had to call Jim.(ジョージが来ようとしていたら、ジムを呼ぶ必要はなかったのに。)

もうひとつ、特筆すべきはCowen(2008)が指摘しているとおり、次のようにhaveがif節の中で動詞として用いられる場合(つまりhad hadの形になる)場合(9)の方が容認度が高い(ばかりでなく(9)のほうが(8)よりも正しいと解釈される場合がある)という事実です。

(8)If I had had more time, I would have visited that old church.(もしもっと時間があったら、あの古い教会を訪れていただろうけどね。)
(9)If I would have had more time, I would have visited that old church.(Cowen(2008;p.8)より)

この事実をもってもこのような用法を非標準と見なすかとなれば、非常に悩ましい問題です。私は実際にかなり用いられていることからも、積極的に指導してよいと思います。ちなみにCowenは教師向けの文法書ですが、Cowen自身もこのような事実を指導すべきと判断しています(p.8)。指導するかどうかの問題はとりあえず棚上げしたとしても、このような混乱がネイティブにみられ、仮に生徒にもこのような混乱がみられたなら間違いだと判断しない態度はもっておきたいところです。

ちなみにこのようにhad hadになってしまう場合のもっとも一般的な表現はif節に過去形式を使う次のような文でしょう。

(10)If I had more time, I would have visited that old church.

ということで、今度はこのようないわゆる混合型仮定法とよばれる次の例を見てみましょう。(10)のようなhadの例以外にも非常に多く使われる用法です。

(11)If I knew, I would have told you.

この用法も、学校文法では間違いだと解釈されていますが、実は(3)~(6)と同じ意味で用いられており、特に口語ではかなり一般的です。概して過去完了は特に口語では避けられる傾向があり、過去形式で代用してしまうことも多いようです。ただし、柏野(2012)によればこのような過去形式の使用は、正確には少し違った解釈を含む場合があります。それが次のような例です。

(12)My grandfather passed away ten years ago. If I were a doctor, I might have saved his life.(私の祖父は10年前に亡くなった。もしあのとき私が医者だったら、命を救えていたかもしれない。)(柏野(2012;p.121)より)

「if I were a doctor」は「過去のあの時、医者だったら」という解釈ですが、もっと正確には現在の仮想的状況を述べることで「過去の包含」をしているにすぎない、という解釈です。過去完了を使った以下の例と比べてみると、違いが少し見えてきます。

(13)If I had been a doctor ten years ago, I might have saved his life. I might save his life now because I am a doctor.(もし10年前私が医者だったら祖父の命を救えていたかもしれない。今は医者だから、今だったら祖父の命は救えるかもしれない。)
(14)*If I were a doctor, I might have saved his life. I might save his life now because I am a doctor.(柏野(2012;p.121)より)

かなり簡略化して説明したので全体像が見えにくいと思いますが、くわしくは柏野(2012)による混合型仮定法の分類や、内木場(2004)の考察が参考になります。特に柏野による意味論的整合性のあり、なしによる分類は指導の参考になるでしょう。

if節に過去形式を使った混合型仮定法の文が、必ずしも容認されるわけではないこともこの問題を複雑にしているのだと思います。とにかく、「正しさ」が変わりつつあり、規範的な文法に忠実に「正しさ」を判断するのはそれこそ間違いだということは理解しておくとよいと思います。とくに過去完了については、あまり絶対的な正しさを求めても、実際の使用と乖離している可能性があるので注意したいところです。長々述べてきましたが、私の結論としては先に述べたうちの、次の文は指導すべきだと思います。

(3)If I had known, I would have told you.(知っていたら、君に話してたよ。)
(4)If I'd known, I would have told you.
(5)If I'd have known, I would have told you.
(11)If I knew, I would have told you.

(3)や(4)は当然ですが、(5)や(11)のような形式もかなり一般的になっており、指導するべきだと思います。しかし(6)についてはもう少し様子を見たほうがよいと思います。ただし、生徒が(6)のような文をアウトプットしてきた場合には、訂正しながらも必ずしも間違いとはいえない、ということを伝えることも大事だと思います。


そして、少しだけ仮定法過去完了の意味の面について。詳しくは立ち入りませんが、この用法が「反事実」を表すと指導するのは少し行き過ぎだと思います。実際には文脈によって真・偽が不明の場合、仮想的状況を述べるのにも使われる、ということは知っておきたいところです。これはもちろんいわゆる仮定法過去にも当てはまるのですが、それは以前書いたとおりです。


疲れたのでここで終わりにしますが、にわかに忙しくなってきた今日この頃です。年度終了までラストスパート。やるしかないですね。


【参考文献】
Cowen, R.(2008). The Teacher's Grammar of English with Answers: A Course Book and Reference Guide. Cambridge.
James Francis.(1986). Semantics of the English Subjunctive. UBC Press.
Kartunnen, L.(1971). "Counterfactual conditionals". Linguistic Inquiry2,566-569.
Quirk, R., S. Greenbaum, G. Leech&J. Svartvik.(1985). A Comprehensive Grammar of the English Language. Longman.
内木場努.(2004).『「こだわり」の英語語法研究』.開拓社.
柏野健次.(2010).『英語語法レファレンス』.三省堂.
柏野健次.(2012).『英語語法詳解 英語語法学の確立に向けて』.三省堂.

イディオムを使ってみる

2014-03-09 19:06:23 | 日記
会話では、簡単な語彙でもかわった使い方をすることで意味が把握できないことが多々あります。とくにイディオムなどの定型表現は知らなければわからないことが多く、類推することもできない(あるいはなんとか類推できるようなものでも会話では考えている時間はほとんどありません)ので、学習しておくしか方法はないと思います。今までも何度か取り上げてきましたが、同じ表現ばかりでなく、イディオムを混ぜて使っていくことで理解や表現の幅が広がります。たとえば、相手の誘いを断る表現として、こんな表現があります。

(1)Can I take a rain check?(またの機会でいいかな?)

このrain checkとは「次の機会を約束するチケット」という感じで、それを受け取ってもいいか、というところから「別の機会でもいいか」という意味になります。とりあえず(1)の文のまま覚えてしまったほうがよいと思います。ちなみにrain checkはもともと、スポーツ観戦などで雨の時の「雨天順延券」を指す言葉でしたが、そこからスーパーなどで並んでいるときに売り切れると配られる、次回購入できるチケットを指すようになりました。それがさらに日常の「次の機会を約束する」という点に注目して用いられるようになったようです。仲のよい友人同士ならこの表現を使えばよいでしょう。


次にどしゃぶりの雨が降っているとき。通常「雨」が「激しい」ときには「heavy」を使います。しかし、常にheavyでは飽きてしまう(そんなことはない、とか言わずにお付き合いください)ので、こんな表現も知っておくと便利です。

(2)It's raining cats and dogs.(どしゃぶりの雨が降ってるよ。)

この「cats and dogs」は「激しく(heavily)」という意味で使われます。理由はいまいちわかりません。なぜでしょう。とりあえず覚えてしまった方が手っ取り早いでしょう。そういえば同じ「~and…」の形でこんな表現があります。

(3)Japanese cars have pros and cons.(日本車には長所と短所がある。)

この「pros and cons」は「長所と短所」という意味です。もちろん「advantages and disadvantages」ともいい換えられます。後者の方が少しフォーマルな表現です。単独で「pro(s)」を「長所」、「con(s)」を「短所」という意味でも時々使われますが、ほとんどの場合「pros and cons」で使われるので、ひとつの定型表現だと思ってよいでしょう。

覚えて、使ってみることです。使うのは頭の中でもかまいません。それもいいトレーニングです。

知床第一ホテル

2014-03-07 20:10:58 | 旅行
今日は知床のホテルで1泊します。知床第一ホテルはバイキングの品数が80品と豊富で、寿司を握ってくれたり、クレープを作ってくれたりします。部屋も改装されており、キレイでモダンな感じで、でも畳なので落ち着きます。


贅沢な時間を過ごしています。知床にはこの第一ホテルの他に、北こぶしというホテルもあり、こちらも料理がとてもおいしいのでおすすめです。